「真一様、お嬢様には、あまり厳しく当たらないで頂きたいのですが」
「俺の気持ちも汲んでほしいよなぁー黒服」
トッと軽いタッチの音《ね》がした。突然、目の前に黒服があらわれる。やはりトタン屋根に忍んでいたのは黒服だったか。
「わかっています、ですからお願いをしているのです。真一様」
「俺だってな、春日はかわいいさ……。むちゃくちゃ素直な娘だし。しかしねぇ」
俺は、少ししょんぼりとした黒服の胸元を叩いた。からかうように正拳をくりだす。乾いた衝撃音。へともしない黒服は申し訳なさそうにしてして頭を下げた。
「すみません。私はお嬢様の立場でして、お嬢様は娘みたいにおもっております。しかし春日お嬢様の幸せを第一に考えますと、真一様が我慢していただくほか……」
「俺だってただの同級生だったら喜んでくっ付いてるよぉー。でも春日はさぁ……」
「ですから、これを用意いたしました。ワタクシができることは、ここまでなのです」
自分が転校前に住んでいた場所からわざわざもってきたお気に入りの自転車のとなりに、あからさまにおかしな自転車があった。
黒服はその外見から実にメカメカしい自転車を指差す。
「ちょっ、このジオン研究者が開発したようなゴツゴツした自転車はなに?」
「たぶん……今夜は長くなりそうなので、ワタクシの気持ちでございます。これでもって、お逃げ下さい」
黒服の目が血走っている。これはただごとではないのが嫌でもわかった。
この自転車のフォルム……すでに自転車の概念を逸脱している。
どうみても金田のバイク――アキラに出てくる――バイクだった。アキラといっても世代でわかりづらいのかもしれない。俺は黒服に聞いていた、その性能を。
「黒服。今晩にいったいなにがあるかわからないが、この“バッドだねヨシオ君”に出てきた初代のバイクは自転車なのか?」
「はい。性能は、ハンドルについているボタンをてきとうに押していただけると発動いたしますが……自転車といいますか、電動自転車です。ほら」
黒服は電動自転車とおぼしきメカメカしい自転車の後輪を叩く。――ホントだ! ナンバーが無い。
このアメリカンのような、脚を伸ばした体勢で乗る電動自転車には、ペダルがあった。
原付の、屋根付きキャノピーを引き伸ばしたようなフォルム。赤とピンクのツートンカラー。春日カラーか。
アクリル硝子とおもわれる屋根には、デカデカと素直財閥科学研究所と書かれてあった。チャコールグレーの文字。
「おい黒服! この自転車は春日のんじゃねーのか?」
なぜか近くの大木にもたれかかり、煙草の煙を巻き上げる黒服に訊いた。黒服は、ふぅと紫がかった煙を吐き出した。煙草を靴の踵で揉み消す。肺にのっている煙を燻らせながら答えた。
「真一様。心配ご無用。これは、お嬢様がお父様の為ために造られた自転車です」
「え? そんなもの勝手に借りていいの? やばくない?」
「先ほど同期の黒服に連絡をして急遽ご用意いたしました。真一様はそうそうに早引けされるおもいまして」
黒服と、先ほど別れ間際に浮かべた苦笑いがダメだったか。ばればれだったのか。しかし――急遽持ってきたってことは……。
「無許可?」
「そうです真一様。無許可です」
「春日は、そのこと気付いてる?」
「気付いて、いらっしゃいません」
いや、ちょっと待て。さっき春日は俺の自転車に跨って、俺のこと待ってたよな? ってことは……目の前にある、あからさまに怪しい自転車に気付かないはずがない。普通わかるだろ!
「黒服、さっき春日の目の前にあったんだぜ、春日が気付かないわけないじゃん」
黒服は目尻から少しばかり涙を流した。穏やかな空を眺めて、遠い目をしている。
「あのですね真一様。春日お嬢様は真一様しかみえておりません。冗談抜きで真一様が好きで好きで仕方がないんです。目の前にあるお父様に贈った自転車があったとしても、そんなもの見えてはいないのです。真一様の自転車と真一様しか、眼中に無いのです」
何もかも捻じ伏せる豪腕理屈。かなり無茶ではあるが、異様に説得力があった。
春日の一途な性格を考慮するとありえない話しではない。、いや、むしろそうとしか想像できないほど、だ。
「うそだろ……」
それでも驚きを隠せない。心臓がばっくんばっくん。
「過度のマッドサイエンティストですから」
ああ、あのマッドサイエンティスト系清純派お嬢様サトラレール属性なら、ありえる!
うおぉ……。
マジで、この後、一体なにがあるというのだろう。長い夜になりそうだとか、もしかして俺の計画がバレてる?
ツートンカラーの自転車。シャア専用自転車《リゲルグ》を用意していると考えると黒服にはバレていることはわった。春日はどうなんだろうな。
「真一様。とりあえずお逃げください」黒服は慈悲深く、俺の肩をそっと撫でた。
「なぜだ?」
「そのうちわかります。では、真一様――ワタクシお嬢様のところへ帰えらなければならないので」
シュタっと手を振りあげて「失礼!」と黒服の残像が揺れる。
すると地面にはクシャクシャになった紙切れがあった。紙切れの一部に真一様へと書いてある。俺は手をのばして拾った。
それをひろげ、覗き込む。こう書いてあった。
――真一様へ。まず、これを読まれましたら、すぐさま破り捨てて下さい。
機密を洩らしますと、非情に不肖黒服、身の危険が迫りますので。今夜が長くなるといったのは、他でもありません。真一様……。お嬢様の自宅に伺わず逃走なされるのは、春日お嬢様には、十二分に承知でございます。もうばればれってなものです。
時間がございませんから割愛させていただきますが。真一様、頭上にお気をつけください。確実になにかが追いかけてまいります。
黒服より愛を込めて――
とあった。
☆
……OK。黒服、春日、わかったよ。その気持ち。さあて、逃げましょうか。
春日とは、たかだか小一時間の対面だったが概ね性格は把握している、つもりだ。もしくは想像よりも数段、斜め上いくぐらいの特権階級の持ち主だ。
危険過ぎる。俺の身の危険も重々ある。むしろ春日は俺を獲《と》りにくる。
手段を選ばす獲っておいて監禁軟禁。後ででどうとでもするつもりだろう。仮に俺が致命傷になて最悪の事態に直面しても、春日は息を吹き返すまで看病を――科学を駆使するだろう。
嗚呼……。逃げてやるよロリッ娘――俺、ヤってやるよ! 逃げ切って自由を手に入れるんだ! 真一。俺なら出来る、出来るさ!
俺はツートンカラーの金田バイクに跨り、ペダルを思いっきりこいだ。
ハンドルにはわけのわからないボタンが山ほどある。俺はホイルベースが異様に長い自転車。金田バイクを傾けコーナーを駆け抜ける。
三輪の原動付き自転車のように似非ハングオンを繰り広げた。学園から市外までの下り坂、ドーパミンを垂れ流してペダルをこぎまくる。。
しばらくすると頭上から、あまり聞こえたくない春日ヴォイスが響き渡った……。
きやがった、春日がきやがった。
「当学園の生徒諸君! 高等部理事長素直春日だ。
真一のアホが逃げ出すといった暴挙に出たため、市街戦になりそうである。が、心配するな。超科学の前では爆破はつきものだ。
周辺一体が焦土と化すが、むしろ楽しんでほしい。家屋等の金銭的な保証はする。だが生命の保証はない。生きろ! そして避難せよ 以上」
バラバラバラ――と上空より風を切った音が聞こえてくる。
俺は素直財閥科学研究所とかかれた硝子ごしに空を見上げた。
太陽をバックに徐々に巨大化していく春日の姿。逆光にあおられ、黒影があらわれたヘリに乗る春日の姿。
真赤なボディに輝くヘリコプターの着地の足に乗り、出入り口に備え付けられたポールを握る春日が、近づいていた。
風をかっ切る羽根《プロペラ》の音が近づくにつれ、強大な騒音となってきていた。
メラミ、ベギラマと、シャレにならない、笑えないジョークを春日にとばされ憔悴しきった俺は、黒服に「とりあえず帰るよ」といいのこして退散することにした。
春日に放課後化学室へ来いといわれていたが、その気にもなれずとっとと家路に着くことにする。
「これ以上春日に関わると、ろくなことがない……でも、めちゃめちゃ好みなんだよなぁ」
性格に難のある春日とはお近づきにはなりたくはなかった。が、しかし、あのバディといいフェイスといいヴォイスといい申しぶんない。
――まあるっこいフェイスにして溺愛しそうなほどの下膨れの頬。中学生にしかみえない春日の醸しだす雰囲気。
胸は小ぶり。おなかがぷっくり出ているところなどはイカっぱらさながらで、身長はハッキリとはわからないが俺の胸下あたりに収まっている。その風貌にも関わらず態度がデカい。
しかも、潜在的に興奮さめやまぬ擽られる声色。と、いわば声帯の波形を再形成したような――かわいらしいアニメティックな声を春日は発していた。
俺の性癖を抉った春日を我を忘れてかっさらって愛《め》でつづけたいほどだった。しかし相手が悪かった。
黒服がいうには、素直財閥会長の孫娘で素直市を牛耳る地主みたいなものだった。知事に長男を据え、市長は次男、さらに素直市をホームグラウンドにする一流と呼ばれる企業グループの代表が三男らしい。
まるで愛知県の豊田市さながらの、素直市になっている。だれも素直財閥には手だしができない状態だった。
トドメとばかりに春日は超科学専攻のマッドサイエンティスト。マッド業界では一位二位をあらそう実力を誇るという。いや独占天下人だ。
正直、告白した相手が悪かったのだろうか……。
転校初日にして平穏な学生生活をエンジョイできる気がしない。この先、いったいどうなってしまうのだろうか? 一抹の不安を感じ、とりあえず家に帰って、寝て、明日考えたい。
まさか学生生活の根底から覆すような地雷――そのような生易しいものではなく、核兵器を起爆スイッチを押すようにな……常にデンジャラスに見舞われるとは夢にもおもわなかった。
ある種の脅迫めいたものだったが、一概に自分に非がなかったともいいきれず、苦い現実を叩きつけられてしまった。
春日にはなんともいえない感情を持ってしまうが、いまはなにも考えられなかった。考えたくはなかった。
そうして俺はトボトボと正午にもならない三時間目を終えて、授業をサボることにした。
☆
自転車置き場へと脚を進める。
鍵のわっかに指を入れて、回しながら自転車置き場に到着すると、鍵が指からすりぬけて飛んでいってしまう光景に出くわした。
早引けしたはずなのに、俺の自転車の後部座席に女座りをして待ち侘びている少女の姿があった。
脚をぶらぶらと上下して、駐輪場のトタン屋根の裏側を見上げる春日だった。
「うう……。やはり神々しいまでの輝きを放ってる。脱出不可能、ですよね」
心臓を揺さぶられるほどの春日のロリっぷりに食い入った。惹かれてしまった。魅了《チャーム》を掛けられた、とおもうほどに春日から目を離せない。身体ほとそらす他にないぐらいだ。
俺に気付いた春日は、こちらに振り向きニヤリとほくそ笑む。
「真一。遅かったじゃないか。では新居に帰ろう」
イキナリの春日の発言に度肝を抜かれた。新居とはなにごとだ、おい。
「春日、新居とはどういうことなんだよ」
「ああ? 真一はなにいっているんだ? 新居とは一緒に生活する新たな家だろう。私たち付き合っているのとちがうのか?」
睨みつけるよな春日の強い眼差しだったが、途端にウルウルと眼が潤ってきていた。大人たちに囲まれて、心細くなった儚い子犬の眼を俺にむける。このまま春日を放置して帰れば、誰かに拉致されたうえに監禁されるのでは? と思わず心配になってくるほどの――この愛くるしさ。
おもわず――
「付き合ってはいるけどさ。さっそく一緒に住むってのは、おかしくないか?」
と付き合いの事実を認めてしまった。春日の、その瞳がいけない! 可愛い過ぎる。むしろ罪!
じくじたる想いが混濁とした。勢いのまま付き合いが成立してしまった件について、後悔の念が押しよせてくる。
そりゃーさぁ確かに春日に告白したよ。しかしながら告白させられた感は否めない。筋を通して撤回を敢行できたのでは? とか切に感じてしまう。が、いまさら――後の祭になってしまった。くそぅ。
自分で「付き合ってはいる」と公言してしまったのだ。なにを垂れようが頭《こうべ》を垂れようが、春日なら理系の正確さで正当性を通すだろう。春日は理系の人間。白黒以外にグレーという認識は皆無と考えるべきだ。
――まさにハルヒイズム炸裂。
頭皮から汗がじゅわりと滲む。背筋は汗が噴き出す。カッターシャツをぴたりと吸いつけた。
ヘタに地位や権力がある春日と会話するにあたって、よほど言葉を選択せざるおえないと気付かされた。
「彼氏になるということは家族ぐるみの付き合いだ。真一と私は共に新居にて花婿花嫁の修行だ。お前は財閥幹部候補生として私は夫を支える妻として、だ」
真正面、真っ向勝負の春日は屈託のない笑みを浮かべ俺にすりよった。
まるで大木が寄り掛かっているように俺の腰に手をまわし抱きしめる。身長差により上から見下ろす俺は春日のつむじしかみえなかった。体温の暖かさだけが感触として残っていた。
うん。甘酸っぱい匂いがする。べたべたのミルクのような匂い。
俺は……。訳はわかるが、納得がいかない。
あたりまえだ。準備もできていない人間に対して戦地へ赴け、と指令を出しているようなものだ。はいそうですか、といえるはずがない。いってしまいそうなのが、春日の罠だ。
ここは逃げるが勝ち! と春日の頭をやさしく撫でる。
ここからが――勝負の――はじまりだ。
深く深呼吸。くわっと神経を集中させた。
「春日、新居に行くにしても荷物があるからね、一度取りに帰りたいんだ。大まかなものは黒服に取りにいかせればいいけど。うん、大事なものは自分で持っていきたいだろ? そうだろ? 春日」
「うん。それはある。私もレアメタル化合物は自分で持って出たい。大事だもの」
俺は「だろ?」と、はにかむ笑顔を存分に魅《み》せた。石鹸の匂い薫る春日の黒髪にふれる。そっと指を差し込み毛先を遊ばせた。包み込むように春日を抱きよせる。
「そうだよなー。そうそう、俺はいったん家に帰るから後で家の方にいくよ。そのへんの歩いてる人に訊きゃぁ教えてくれるんだろ?」
身長差が加わり腹部に顔がある春日は、もぞもぞと寂しそうに埋める。
線の細い髪質が俺の腕を撫でる。くすぐったくて、変な感じだった。
春日は家に荷物を取りに帰るだけの時間も我慢ままならないご様子。
「誰でも知っている家だからな。そりゃ……」
と春日は、そっと俺から身体を離した。
春日の俺を見上げる面持ちは、木々からこぼれだす光が潤う瞳に反射してキラキラと輝いていた。
不意に打ち込まれる新兵器――春日ウエットeye。
確実に惹かれ虜になっていく。やべえ、腰から砕けそうだ。
身の危険を感じ、この場からいち早く脱出することを決意した。
このままでは新居にて再教育を施されて、自由が失われるのは必至。
「それじゃあ、俺いくわ」
俺は視線を、春日から身体ごと逸らした。
春日は、ぱたぱたといまにもコケそうな走り方で飛んでいった。自転車の鍵を春日は拾う。物憂いしくあんにゅいな表情。俺に向かって鍵を投げた。
「真一……待っているから。ぜったいにきてね」
春日はこぶしを硬くしめ、がっくりと肩を落とした。か細い後姿で自転車置き場を後にした。
トタンの屋根がかすかに振動をした。俺は人影を確認した。木々が、意識しないとわからないようなほど仄かに揺れた。
――たぶん彼だろう、と俺は横切った人影を見逃さなかった。
アイツはヤバイ。一言でいったら――イっちゃってる人。
どのぐらい逝っちゃってるのかは置いといて、結果として俺の家が無くなった。文字通り無くなってしまった。
目前で繰り広げられる現実。俺は笑いしか出てこなかった。乾いた笑い。
その日、たまたま近くを通りかかった友達に聞いたんだけど、事が終わった時のアイツが――凄まじかったらしい。
「素晴らしい! さすが我が素直財団科学研究班だ。このメラメラと燃える美しさといった、ないな。想像を絶する破壊力、爆破! なぁ黒服」
とおっしゃった、そうな。しかも――うっとりしていた、らしい。ありえない……。
いや、ありえるか。
☆
そのあまりにも、あまりな非現実的な出来事より24時間前。そう、土曜日の朝から始まる。
ことの発端は学校。素直学園高等部3-B組。タイガーバーム事件が俺を窮地に立たせたのだ。
授業一時間目。授業ギリギリに教室に入り、何故かしらないがハッカ系の匂いがたち込めていた。
「おはよう――ってこの教室メンソール臭いんすけど……」
「あーあ、誰も言わなかったのに。しーらね」
教室が静まり返った。一番奥の一番窓際――見晴らし抜群、絶景ポイント――に座っていらっしゃる。あのお方が俺を睨みつける。
突き刺さる視線が痛い。ねえ助けて。教室に入ったばかりの俺は誤魔化すように鼻歌を鳴らし、友人に話しかける。
「しーらねって、どういうことだ? なんか俺、まずいこと言った?」
「言ったんじゃねーの? ほらぁ、あそこで睨みつけてるし。直接お嬢様に訊いてみれば?」
お嬢様か……。
訊きたくないっていうか、関わりたくもない。あのお嬢様は数々の逸話や伝説を残していらっしゃいますから。正直勘弁して欲しいのです。
本当に……この学園に入学してから、ずーっと絡まれつづけた。三年間も、だ。
心で語っていることも、敬語になるくらいのデンジャラスなお方だ。
「そこのメンソール臭いと言い放った――そこの君。ちょーっとこっちに来て貰おうか」
すみません、許して下さい。ねっ、お願いしますから。最後の望みに賭けてお嬢様に聞きなおしてみた。
「お、おれ? 俺?」
「そうそう、そこの君。うんにゃ、真一。ちょっーと、こっちにきたまえ」
やっぱりダメだった。今回もどんな伝説になるのか……出来る事なら傍観者としていたかったなー。たった一言。たった一言だけ、メンソール、と口に出しただけなのにぃ。
「真一はいちいち行動が遅いのな。しょうがない」
ちょっと待て! 躊躇っていただけなのに! まさか……。
「おい黒服! 真一を連れてこい」
イキナリ天井から人が!
黒い人影が!
もの凄い爆音と共に天井が崩れ落ちる。普通の感覚の持ち主ならば大惨事とばかりに暴れまわるだろう。しかし、うちのクラスメートは違った。あきらかにアナタたち粉塵まみれなのに無反応デスカ? 教室内は異様な光景だ。
視界は砕け散ったコンクリートの破片で奪われ、一面が真っ白になっている。
おいおいおい、よく考えてみてもおかしいぞ。クラスメートの髪と机――教室中が粉塵まみれ。制服とか頭とかに、塵が積もっているんですよ。いや、そりぁーこんもりと。
なんで? なんでそんなにも平然と自習……シチャッテルノ。
天井から漆黒のスーツに身を纏い、出てきた男二人組が俺の両脇を抱える。そのままズルズルとお嬢様の所まで運び込まれる。がっちり固められた両脇腹、脱出不能! いつものことだけど、手加減してくれよ黒服。
助けを求めようと周りを見渡せど――
「えー。なんで皆ぁ、目を逸らすのぉ?」
クラスメートが揃いもそろって知らん顔。中には笑いを堪えている親友もいた。てめっこのやろう、お前とはもう口きかね。さらばアディオスマイフレンド。そんな心無い友とは思わなかったよ。ガッデム。
俺は黒服の目をみた。にやりと白い歯茎を光らせる。
「黒服、お前達最高だ。天井の壊し方が素敵だ! なにごとも思い切りが大切だな」
うんうんと、眼を爛々と輝かせているお嬢様は、泣く子も黙る素直春日(スナオハルヒ)様だ。
素直グループ会長のお孫様。残念な事に容姿はバッチリ俺好み。童顔のお顔立ちに小綺麗な髪質。眼鏡の黒と髪の色が黒。
共に統一あそばれた制服。デザイナー『シンイチ・モリ』の一点モノでございます――紺のお洋服をお召しになられております。そして、その制服に重ねるように白衣を羽織られましす。背中にはマッドサイエンティストと書かれております。
ですから――真《まこと》にもってお美しゅうございます。
素直学園理事を兼業なされ天皇様ではございませんが、この地域一帯は素直グループお膝元。誰しもが手出し出来ないためにこの市内は、素直グループの絶対君主制度を黙認されております。
そのような素直春日様にお声を掛けられようものなら……正常な生活を過ごせるハズがございません。私はこれからどうなるのか、心配で心配で……。
「君は私に対してメンソール臭い女だと言っているのだな?」
「ううう、結果的にそういう事に……」
俺は黒服達に連れられて、春日お嬢様の前に立たされた。もう逃げ出したい。ゴーツーフローダム、レッツゴープリーズ。
「真一ぃ、君は覚えてないのか? 筋肉痛にはコレが一番だと、タイガーバームを渡してくれたではないか?」
「そ、それは」
「私はタイガーバームを君だと思って筋肉痛のたびに塗っている。君のことを想ってはタイガーバーム三昧なんだぞ」
「ほんとに、忘れてくれても良かったのに……」
俺が転校初日にやらかしてしまった事が尾を引く事になる。残念な事に容姿はバッチリ俺好み、が残念なことに残念である。残念でならない。
☆
そう――
俺が転校してきた初日。素直学園高等部に転入。秋のわびしさを胸に学校に向かうが道に迷った。道中――冒険活劇が繰り広げられたのだが、それは次の機会でお送りしよう。
激しい嘔吐。漲るエネルギー。迸る闘志。アンニュイなラブロマンス。決闘。そして安堵。幾多の試練を、友情を、経験を。物語があったのだ。
そんなこんなで学校に遅刻してしまった。俺は閉まりきった校門を乗り越え中へと進入する。
授業がはじまっているだけに、静まり返った廊下を歩く。すると、ほのかに珈琲の香りと焼き菓子のかほりが漂ってくる。気になる。実に気になる。
「腹減った……」
旨そうな匂いを頼りに廊下を走る。駆けめぐる。
「ここかぁ。やっと着いたぜ」
辿り着いたのは科学室。中から可愛らしい声といい大人の声が聞こえる。嬉し恥ずかしのエピソードを携えて冒険活劇を終えた俺は、かなり腹が減った。
くくく……食わせろお! とドアを開ける。
「ハラヘッタッス。俺もなんか食わせてケロ。意識が……」
俺はバタリと倒れこんだ。ヴァイオレンスドラマの様な冒険の疲労感と空腹感でバタリと――
教室内の様子がゆらゆら歪んでいく。意識を失った。
「おい、大丈夫なのか?」
「おい、返事をしろ」
なんだ? ロリッ気たっぷりの声がするぞ……。
可愛いな、声。どんな顔してんだろ? 下級生か? わからんが、とてつもなく俺好みのような気がする。声だけで十分くえる。
しかし――腹が減ったな。空きっ腹に響くロリ声。癒される。
「黒服、起してやれ」
「はい。お嬢様」
ジジジ…… ジジジ…… バリバリバリ……。
ヤバイ電子音が聞こえる。一度聞いた事がある――ブレーカーがショートした時の音だ。
何で? 今、聞こえるの? そんな物騒なものが。危険極まりないのですが、どうでしょうか?
「黒服、カウントする。零秒で電気ショックと共にこの男を起してやれ」
「わかりました、春日お嬢様」
いや、俺は起きなきゃいかんだろ。何がなんだかわからない状況だが、とりあえず立ち上がるしか選択肢が無い。俺の記憶が正しければ、この電子音は……たぶんスタンガンの音だ。
「カウントいくぞ。5・4・3……」
立ち上がれ! 俺立ち上がれってば。今立ち上がらなければいつ立ち上がるというのだ。さあ、俺。立ち上がるのだ! やればできる子、やればできる子だってば!
「2――1――」
「素直学園高等部。池田真一。只今、気合で起き上がりました。無問題! 無問題! もーまんたーい!」
勢い余って自己紹介。汗が滴り落ちる。
「なんだ、ツマラナイな」
ナヌ! ツマラナイとは、げに恐ろしい事を! 転校したてのこの俺に五万ボルトの電圧をぶちかまそうなんて、酷すぎる。この人おかしすぎるよ。危険! 危険すぎる。デンジャラスハードパンチャー(意味不明)。
「チッ」
舌打ちまでかまされる可哀相な俺。苗字はイケダ、名前はシンイチ。とりわけ秀でた所もないその辺にいる転校生だ。
熱血漢で突っ走ってしまう性格がたまに傷。
へへっ――このまま舌打ちされて黙っている俺様ではないさ。なにか言ってやらねば。このお嬢様と呼ばれる小娘に。
「テメッ、なんつー事をしやがる。殺す気かっ! ってお前――」
うはぁー。かわええー。この娘バッチリ俺好みじゃんか。どうみても中学生ですよねハイ。なんだ俺の、このテンションは? 一気に上がってキター!
目の前に立つお嬢様。見た目が中学生のお陰で、ヴォルテージはMAX! 最高潮! こんな感じ「俺のハートにMAXボンバー!」意味不明であります。二回目。
「真一とかいったな。イキナリ現れては倒れこんで、起きたとたんに自己紹介。貴様はどういう了見だ」
「ぐふぐふぐふ」
「コイツ……人の話、ぜんぜん聞いていないな。おい黒服! 再度五万ボルトの弾丸をぶち込んでやれ。目が覚めるだろう」
「了解!」
俺は黒服に体を固定させられる。目の前でもう一人の黒服がスタンガンを食らわそうとする。血湧き肉踊る冒険活劇から本日――何度目のピンチかわからなくなってきた。三桁はくだらない、だろうな。
何とかしなければ! 周りを見渡し打開策を探る! 目の前にはスタンガンを持った黒服。背後には俺を固めるもう一人の黒服。奥で椅子に座りカフェを嗜む俺好みのロリっ娘。長机が列をなして並ぶ。ロリっ娘の机には珈琲と焼き菓子がある。
どうにもならんかもしれない……。
ええい、ままよ。どうにでもなれ!
俺の想う気持をぶちまけてやる。やられる前に言ってやれだぁ! やってやるよーこんちくしょう!
「おおおお、俺。君の事が好きだ! ズキュン! ってキたんだぁあ!」
黒服。ロリっ娘。俺。
――刻が止まった。
☆
急にそのような事を言われても……困るな。すすす、少し考えさしてくれないか。真一とやら。
☆
刻を越えて、甘えたような猫なで声をあげたのは春日お嬢様。ロリっ娘だった。
スタンガンは回避出来たけど、これから俺はどうなるのだろう。
なんか脈ありそうだし……めっちゃめちゃ動じてるし。
なにかロリっ娘が、もの凄く考えている。目の前のお嬢様が、アゴに手をやったり頭をかきむしってたりしている。
黒服たちは俺の両脇に椅子を並べ様子を伺う。春日お嬢様と俺の様子を。お嬢様と呼ばれるロリっ娘は、トントンと机に指を突きながら考えていた。
「ん?」
なんだ? 変だ。机を指で小突くリズム。これまた聞き覚えがある。なんだろ?
チチッ、チチチチ、トントン、チ――トトン……。
「ももも、モールス信号?」
えっ! このロリっ娘。自分の思考をモールス信号に変換して頭に入れるの? ある意味サトラレ。素直サトラレールなのか? 訳せない俺が口惜しい。実際モールス信号なのかも半信半疑だし。
すると……隣の黒服が。
「お前やったな。GJ!」
と嬉しそうに、アメリカンナイズドされたニヒルな笑顔で『イヤァー』と親指を立てる。
黒服さんって、そんな素敵なキャラだったの?
俺は小声でモールスか確かめた。そっと黒服の耳元に顔を近づける。
「イヤァー」さらに「でも、ちゃんとお嬢様がOK出すまで黙っとけよ」
と黒服が言う。
ロリっ娘お嬢様が返事を返すまでなにも言うなと。ロリっ娘が告白を受け入れるまで知らん顔しとけよと。
――このロリっ娘。サトラレ指定入ってんじゃん!
バラしたら、サトラレ特別法に引っかかんじゃねーか! ああ言いてえ。ココでプラカード書いて「サ○ラレてますよ」と「サト○レてますよ」と、尊大木多康昭大先生ばりにバラしてえ!
なんだかんだで、ドキドキワクワクの四十分経過。
「よし、わかった。お前の告白受けよう。現時刻から私はお前のワイフだ」
そうそう。黒服から全部訳して貰ったからロリっ娘が俺の彼女になってくれるって……。
おいっワイフかよ! ええ、話が飛躍してもう俺たち結婚してる! ありえねえ! ロリっ娘の中でライフワークが生まれてるー。
「いや、まだ早いと思うんだけど」
「そうか、もう既に想像妊娠とかしているが? お前どうするつもりだ? 責任とか」
スゴひ! 想像力が豊か過ぎる。飛び級ならぬ、飛び妊娠かよ(造語)どうするもこうするも、まだ今日出逢ったばっかりだし。なんか俺、「どうするつもりだ?」っとか責められてるし。うんにゃ、詰められてるし。出口なさそうだし。
このマッドサイエンティスト系清純派お嬢様サトラレール属性。こえええええ! 怖い! へんに理系の思考ルーチンしてるから怖すぎる! すでに、モールス信号が出てるだけに本物だ! 理数系万歳! 嘘だろおい。
「そういうわけで、挙式はいつにする? 今からでもいいが、お前の親御さんに挨拶しないといけないだろう。科学の粋を決して、素直超科学で幸せにしますと挨拶を」
「そうだ! 手土産は何がいい? 水酸化ナトリウムか? それとも超上質の炭素か? いや、これは真一から貰うダイヤモンドの指輪だな」
「少シ落チ着イテ下サイマセンカ? 俺、テンパッテキマシタ」
「オースリーは止めておこう。生臭いからな」
なんでっそんなにも怪しげな手土産なの。オースリーにいたってはオゾン層だし。「俺早まった事しちゃったかな?」
落ち着け俺落ち着け。ふうーOK、OK。落ち着いてきた。
助けを求めるために、黒服に目線を送った。
「ねえ、タスケテ。オネガイ」
――そっぽ向かれた。
なんで? なんでよ。なんでーさ。さっきまで、やけにフレンドリーマイマインドだったじゃんか! 酷すぎる。
「……子供の名前はどうする? 男ならベギラマ、女ならメラミだな。どうだ? 真一。悪くないだろ? いや――最高だろう」
もう勘弁しってぇー。
おかしいから! もう理系とかじゃなくて魔法系になってるから。ファイナルファンタジーか? ドラクエか? それとも魔女っ子もの? みたいなレベルになってるから……
「たっ確かに女はメラミっぽいけど、男はベギラマっぽいけどさぁ……。俺たちまだまだ学生じゃん? 高校生? 結婚は卒業してからにしようよ」
名前云々はさておき、俺まともなことを言った。後はロリっ娘がどう出るかだ。
しばしの沈黙。
両サイドの黒服は、あいかわらず俺と目を合わさないしこっち向いたと思ったら半笑いだし。俺がなんとかしないと、半笑いの黒服は助けてくれない。
チチッ、チチチチ、トントン、チ――トトン……。
チチチチチチチ……トント、トン。チチチチチ…………。
「よし」
の一言でロリっ娘の腹は決まったみたいだ。
黒服は俺の真後ろでロリっ娘お嬢様に見えないようにガッチリ握手を交わした。
オイ、どっちの意味だ?
この場合、黒服の考え方は二通りある。
1つ目は俺にとって良い意味だ。ロリっ娘がYESと言った場合。黒服が「お前助かってよかったな。おめでとう」という意味だ。俺のために握手を交わしてくれた。
二つ目は俺にとって悪い意味だ。ロリっ娘がNOと言った場合。黒服が「目を合わさないし、こっち向いたと思ったら半笑い」といった意味。皮肉たっぷりで握手を交わした。「ハーハハ! 真一君残念」そういったことだ。
さあどっちだ? どう転ぶ。どう転じる。
俺は改めて黒服を直視。
黒服は、嬉しそうにアメリカンナイズドされたニヒルな笑顔。「イヤァー」と親指を立てる。
でも真意が読めない。
回答への刻――――
「お前のいう通りだ。女はメラミ。男はベギラマでいこうと思う」
はーん! そっちじゃないって。ないよー。結婚するかしないかの話だってばさ!
「ふふふふ、冗談だ。あまりに真一が挙動不審なので、からかっただけだ。くっくっく……」
びっくりした。むちゃくちゃいいやがるな、このロリっ娘め!
「はははははははは! お嬢様、最高でございます! ナイスギャグセンス! 軽くブラック入ってて素敵です」
腹を抱えながら大笑いの黒服に無性に腹が立った。その笑い方が――マイアミビーチで豪快にハンバーガーLサイズを食ってそうな感じ――だ。
頭、茹ってんじゃねーよ。黒服ぅ。
「そうだろう、そうだろう」
気をよくしたロリっ娘が、さらに続ける。
「冗談はさておき。非常に残念ながら、結婚は諦める。私も、家の事情とやらがあるから……そくさま結婚とはいかない。断念せざるおえない」
生き残った。助かったんだ! 俺、広告の裏にでも「勝訴」と書いて走り出したい気分だ!
「だがな真一。今後の事もあるから、放課後またココに来い。待っているからな」
ロリっ娘の指示により、黒服に案内されて自分の教室に案内される。ロリっ娘は科学室で珈琲を嗜んでいる。匂いに誘われて中に入ったのが悔やまれる。転校初日に俺、なにやってんだ……。
「真一君。お嬢様に告白するなんて凄い度胸だな。尊敬ものだよ。陰ながら応援する。お嬢様を幸せにしてやって欲しい」
黒服から素直春日お嬢様の素性を聞かされて、「えらいモノに手を出してしまったな」と後悔した。
一つよかった点は、少なくとも黒服は俺の事想ってくれている。頼りにならないが相談相手くらいにはなってくれるだろう。
悪かった点は、俺が転校生じゃなかったらこんな事にはならなかっただろう。と、いうことだった。
初めて笑ったとベリーショートの髪をした彼女は無口な緑目の少女に向かっていった。
緑目の少女は無感動に乾いた笑みを顔に張り付かせたままだ。これで笑ってるって言うんだ、と少女はベリーショートの彼女に返事した。
そうだよ、ベリーショートの髪をした彼女――並川は答える。
ふうん。緑目の少女ロメリアは関心をなくしたように言い、張り付いた笑みを顔から消した。
ロメリアは馬鹿笑いする。日本でこんな人が多いんだね、私の国とは大違いだよ。
駄目だよ、そんなことここで言っちゃ、並川は平然を崩さずに言う。
でもさ、ここただの喫茶店じゃん。
だから大きな声を出してはいけないの。並川は子どもに勉強をさせるときのような口調で言う。
私の国はね――とロメリアは言おうとしたら、一人の男性に目を奪われた。その男は茶色く光沢のある椅子に腰掛けており自嘲気味な笑みを顔に張り付かせている。
あの男の人、私の笑い方と似てる――ロメリアは吸い寄せられるように男に近寄った。
男は黒い服を身にまとっている。髪は当然のように黒く上着もコートもズボン靴も全て。瞳は自己主張を全くしていないそれを装っているように見えるけど、赤い目は黒ずくめの中でどうしようもなく目立ってしまっている。
ロメリアはその赤い目に吸い寄せられる。
綺麗……。まるでガラス玉が埋め込まれたみたいにその目がロメリアを射抜く。
何か用でも? まだ二十代であろう黒ずくめ赤目の男が口を開く。 その光景をロメリアの保護者になっていしまっている並川は恐る恐る見守る。それも嫌悪の目を丸出しにして。ロメリアはそれを無視して男性を見続ける。
ああ。ロメリアは嘆くように言う。あなたの目がほしいわ。
俺の目かい? と男は聞き返す。
それ以外何があるのよ、
当然のようにロメリアは言う。それで――――いいのかしら、その目をもらって。
こんな目を持ったって何の意味を持たないよ、ただ寂しいだけだ。
私はとうに寂しいのなんて克服しているから平気よ。自慢げに言う。そう……男は無表情な顔になる。全く、寂しさを克服するなんて馬鹿なことをしたよ。
話を変えないで、とロメリアは男を見据える。それで、目はくれるの?
こんなモノで良ければ、………………………………。
ロメリアは早速男の目を抉ろうとする。
「待って!」ロメリアの後方から並川の叫びが聞こえた。何よとロメリアは振り返り並川を鋭く目で捕らえる。並川は一瞬躊躇したが、椅子から立ち上がりハイヒールの踵と床を鳴らしロメリアの元へ行った。そしてロメリアの手を強引に引っ張る。あなたは何馬鹿げたことをしているの! と怒りをあらわにしてロメリアの意思を無視し帰ろうとする。
ちょっと離してよ! 目をまだもらってないの。
あなたはそういうところを直したほうが良いよ、並川は先ほど感情的になってしまった自分を恥じ冷静な口調にもどす。だからあなたは変人扱いされた挙句日本に放り出されてしまったのよ。
ロメリアは並川の腕を噛む。私は放り出されたんじゃないわ、自分の意思で日本に来たのよ、勘違いされちゃ困るわ。
並川は「痛っ」と小さく叫んだ。並川は続ける。……呆れた、まるでやることが餓鬼じゃない。
そう、それは良かった、
――もうあなたのことは一切面倒見ないからね。
ロメリアは鼻を鳴らす。こちらこそ建設的な運動をしようとうわべだけ見せてる偽善者に面倒見られたくないわ。
馬鹿ね、と並川は言って喫茶店を出て行った。
さあ抉りましょう。
あなたの瞳を抉りましょう。
そこには耽美的なものしか存在しない。汚辱は決して許されない。潔いまでに自己陶酔し、彼女は瞳を抉ろうとする。
「右目を取って、そして左目で泣きましょう」
彼女は男に言った。男は微笑にも似つかない不敵な笑みをうっすらと浮かべる。そしてああそうだねと答える。
しかしそこには絶望しか待っていなくてどうしようもなくなった男は哀れなまでに彼女に視線を送り心の中ではやめてくれと叫んでいるでも彼女は一切そういった抽象概念を振り払って全てを手にこめて右目を――――――
男の右目のあった部分からは血が噴出し、笑い声は闊達なまでに少女の口から溢れ出す。男の赤い目の温度を右手に感じながら、少女は狂ったまでに喜び、舞う。