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こちらは、主に素直でクールな女性の小説を置いております。おもいっきし過疎ってます
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充足(一般エンタ)

 視界がぼやけている。足元がねっとりとしている。僕は直立しているのだ。
 よくわからない、が第一声だった。
 足の裏が粘っているので下を向くと、残念なことに視界がぼやけているために、色気が褐色にひろがっていた。
 体液なのか、自然的な液体なのか、はたまた人工的な液体なのかは判らないが、とりあえず粘っている液体が足元を覆っているのが解ったぐらいか。
 目を細めて辺りを覗《うかが》ってみる。まるでモノクロームフィルムのような安っぽいフィルターを掛けた映像だった。キャメラが寄る、そして引く。視界の色気が正常に戻りつつある。アイボリーの映像に、不意に人気《ひとけ》が飛び込んできた。
 僕の足元に人の股がある。いまだアイボリーに滲んでいて、足元に転がる人は赤系のスカートを穿いるとだけわかった。ペイズリー柄は確認できたが、その柄の着色が緋色なのか青紫なのかは把握できない。
 丁度、僕の左足が股の中心部に食い込んでいる。したがって、この女性と思《おぼ》しき人物の左足が僕の両足の合間にあるわけだ。
 意識が徐々に回復する。足元のねばねばが気になり片足を上げると、体勢がぐらぐらと揺れた。そして倒れた。そのとき、はじめて、落ちるという感覚が走った。
 床に腰を打ち付けて、僕はベッドの上で直立していたことに、気がついた。
 側頭部に激痛を覚えた。鼻にツンとくる、この感じ。衝撃の度合いが、ある一定を超えたのだ。掌を側頭部に差し込むと、ねろっとしている。生暖かい。掌を眼前へもっていくと、酸化していない真っ赤な鮮血に塗れていた。
 この時点で僕は、やっと意識が完全に回復して色素も正常に戻っていることがわかった。これで事態が把握できるという、頭部からの出血による不安よりも、安堵が全身を支配していた。
 起き上がり様に振り向くと、ガラステーブルが破損している。丸みを帯びた角だったが、一点だけ鋭く欠損している。その箇所から、稲妻のようなひび割れが中央に向かって突き進んでいた。
 そりゃぁ頭から血もでるわなぁ。僕は自然に伸びをした、生あくびも。生理現象に身を任せた。
 この状況で感覚がおかしくなったのだろう。全く記憶を辿れない。現在自分の出血よりも、この状況の把握の方が重要なのだから。
 ベッドに腰を掛けた。ポロシャツの胸ポケットから煙草を取り出そうとすると、直に指先が肌を触っていた。頭をぽりぽりと掻いて、緊張感のない声色をあげる。身体を眺めると、ポロシャツどころか全裸だった。
「おいおい全裸ですか……」
 ベッド脇に窓があるらしくカーテンで遮られ、隙間から薄っすらとした陽光が注ぎ込まれていた。
 皮肉にも全裸のお陰で肌寒さがはっきりとわかり、早朝なのだとおぼろげに理解した。
 昨晩はいったい……何をしていたんだろう、と首を捻る。コキュコキュと関節が鳴った。その場に緩和した空気が流れた。
 喉をごろごろと震わせると痰が絡んだ。喉の渇きが絶頂だったが、ニコチンの摂取の欲求と体からの要求が絶頂に達していた。僕はテーブル辺りを見渡して、ポロシャツを探す。小奇麗に畳まれた衣服が、ベッドの傍にあった。
 ジーンズの上にポロシャツ、その上にトランクスとソックス。記憶の断片を追ったとしても自分で折り畳んだとは思えなかった。自分の性格上、無いと考える方がより自然である。
 そして、この女性が折り畳んだものと考えるのが、ベターだ。
 胸ポケットに、煙草特有の角張った膨らみが無い。仕方なく着替えるだけ着替えてしまって、煙草を探すことにした。テーブルから少し離れた場所に煙草が転がっていた。先ほど頭をぶつけた拍子に飛んでしまったのだろう、ワンルームの一室の片隅に煙草と百円ライターがあった。
 その煙草の真横に一枚のメモ帳。
 僕の、特徴ある丸字で書かれてある。
 ――お前は転がっている彼女を殺す。できればこれを見た瞬間、この部屋から逃げ出せ。
 確かに自身の文字だった。目を疑ったが、そこに紛れは、無い。
「それじゃあ」
 振り返った。ベッドを凝視する。女性だ。それはわかっている、スカートを穿いているから女性と判断したが。僕の知り合いにオカマや性同一障害者は居ない。半笑いでニヤけた面のまま横たわっている人物は見間違いようもない。
 彼女だ。
 彼女を一瞥して呻いた。幾度もなく嗚咽がこみ上げる。絡まっていた痰が口内の奥にひろがり、ぷつぷつ気泡が弾ける。我慢できず痰を吐き出す。絨毯の毛先が粘状の体液を吸い込み、こんもりと盛り上がった。
 思わず足の裏を触る。粘着した液体が乾燥して固形物になっていた。引っ掻くように足の裏をほじると、ぼたっと厚みのある物体が剥がれ落ちた。凝固した血液だった。鈍く表面が波打っている、酸化したどす黒い血液。
 彼女の股から大量の血液がベッドに沈殿していたのだ。異様に黒々としているが、結晶板が黄色く覆い、表面は半透明に艶やかだった。ところどころ血液が集まり乾燥しきれず、斑模様になっていた。
 しかし、僕は意識を失う前に、お前は彼女を殺す、と記入していた。まだ彼女は死んでいないのだろうか?
 いったいどのタイミングでこのメモを残したのかはわからないが、意識を戻した僕に対して警告を発しているのだろう。
 彼女は両脚を伸ばし、しっかりと股を開いていた。ペイズリィ柄のロングスカートはこげ茶に染まって、半分以上捲れあがっている。ショーツは片方の太腿の中間に引っ掛かり、血液を吸えるだけ吸い込んでいる。ティシャツも乳房の上まで捲られている、鎖骨の下あたりまでだ。ブラはフォックが外れ、だらしなく腹の辺りまでずり下がっている。半笑いのニヤついた表情が、堪らない。
 頭が割れるように痛い。耳の裏が生暖かい。ぬるぬると滑るように血液が垂れ流れている。側頭部からの血が、いまだ止まっていない。
 流れ出る鮮血が貧血を誘っている。また目の前が霞みかかってきた。脳に血液があまりいっていないのか、脳に辿り着いた血液がそのまま側頭部から流れ出ているのか。冷静さを欠いているのは確かだ。
 ……冷静さを欠いているのに確かだ、と断定する自分に嘲笑が漏れる。
 とにかく、過度にドーパミンを噴出させてアドレナリンが分泌している。軽い躁《そう》状態だ。安定しない思考が物語っている。
 この半笑いの面で死んでいるのかいないのか、彼女は寝息の一つもたてていない。
 全身に苛立ちが這った。
 僕はどうしたいんだ。何を求めているんだ。過去の自分は、現在の僕に何を伝えたかった?
 手を伸ばして、転がっていた煙草を拾う。限界まで主流煙を肺に溜め込んだ。くらりと頭が揺れる。既に煙草による酸欠なのか出血による酸欠なのか、判断さえ喪失していた。
 彼女の腰の付近に座り、火種を発火させた。ぐんっと煙が胎に染入る。
 情報が不足しすぎている。
 一通のメモ、血塗れの彼女、現在は早朝、これだけで何を推理しようというのだ。
 ついでに側頭部からの出血と……。――これはどうでもいい。
 不意に背中に丸みを帯びた非常に柔《やわ》い感触があった。首筋に人肌の感触。
「うーん……おはよぉ。すっごい良かったよ……。あんな趣味があるとは思わなかったな」
「あん?」
 顔を捩ると、彼女の面がそこにあった。混乱が生じる。
「だからぁ、今日は生理だから駄目だって言ったのにぃ、無茶するんだから。あーあ汚しちゃったなぁ」
 沸々と怒りが込み上げてきた。
 ただのマニアックなプレイじゃねーか! てめぇなに興奮してんだよ。
 油分が浮いている。固形物が混じっている。
 やられた。勘違いだった。生理ですよ、生理。
 しかし、これで話しが終わることはなかった……。
「ごめん、先シャワー浴びてくるね。もうね、ぐっちゃぐちゃじゃない」
 と、彼女は欠伸を軽く抑えながら、けだるくベットから立ち上がった。
「ああ、そうですか」 
 僕はようやくメモ帳の文字の意味を理解した。そういうことだったのだ。昨晩の記憶も取り戻した。
 下半身が硬直をはじめる。身体では、直立の準備がはじまろうとしている。そして、僕は行動に移すだろう、抗えない快楽によって。このメモの文面、お前は転がっている彼女を殺す。
 ベッドから立ち上がった彼女は、捲れたスカートを直そうとしたが乾燥した血液が固まって上手く出来ない。ぱりぱりと音をなして砕け落ちるだけだった。
 僕はガラステーブルの両脚を握り締めた。
「おーい、そこの彼女お茶しない?」
「んん?」
 彼女の振り向き様。
 僕はテーブルを投げつけた。
 結構な重量のため、投げつけたテーブルの放物線はだらしない反比例のような弧を描いた。そして脇腹にめり込んだ。彼女は半目を開いて、苦渋の面持ちを浮かべる。
 駆け出して彼女の前髪を掴む、その勢いのままテーブルに額を打ち付けた。跳ね返すような感触があった。元々テーブルにはひびが入っていたが、それを深く刻んだだけだった。ぱっくりと彼女の額が割れる。――無言。前髪から後頭部へ髪を持ち替えてもう一度、額を叩き込んだ。
 完全に貫通した感触だった。ガラス面を貫通して、自分の手首にガラスが突き刺さっているのだ。引き抜き様、めりめりと皮膚が剥がれる。血が吹き出る。
 彼女の体は、くの字に折れ曲がっていた。
 その途端、僕は満たされた。充足したのだ。
 ちりちりと電流が脊髄を駆け抜け、脳天から昇華する感覚。一気に痺れた。硬直は絶頂を迎える。勃起して波打っている。意識が遠のき、また直立がはじまる。既に、何度目かの硬直を迎えているだろうことは理解したが、もう、この時点で、この硬直……充足から逃れることは不可能なのかもしれない。
 時間が限られた。意識を失う前に、また目覚める自身に対してメモを託さなくては。
 いや、どっちだ?
 求めている、否定している、この充足を……。
 ゴミ箱に彼女を殺す、と書かれたメモを捨てた。記憶が戻っているのでメモとボールペンの場所は知っている。
 一応、ゴミ箱を漁って、もう一枚捨ててあろうメモを確認する。
 あった。前回のメモ。
 ――お前は彼女を無茶苦茶に犯すだろう。できれば、目覚めたら素直に寝ることをお勧めする。
 エスカレートする欲求が自己を貶めた。いや、突き進めた。そう、充足が僕を歓迎した。
 このメモをみて、味わった充足を思い出した。
 その時の僕は、生理中の彼女を犯すだけだった。一気に充足した。そこで止めれば良かったんだが、味わってしまった充足は更にエスカレートする結果をもたらした。
 本来ならば、今回は至らなかったかもしれない。殺すところまでいくこともなかったかもしれない。しかし、この側頭部からいまだだらだらと溢れる鮮血がその冷静さを失わせ、現在に至ったのではないか。脳が視覚聴覚嗅覚触覚、快楽を渇望している。
 しかも。その失敗を上回るほどの充足感。もう次回の結果は同じだ。また快楽を得るだろう。もう止められない、止めることの無意味さが硬直を是正する。
 
 
 僕は書く、メモ帳に最期の充足を求めて。
 ――お前は死姦するだろう。もう止めても無駄だよねー。
 僕は直立した。意識が消し飛んだ。
  1. 2010/01/09(土) 21:42:45|
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今日からわたしは思春期なのだ!

 放課後、学校帰りの途中にある書店に寄った。
 ふと目に留まった、オンナ三十路を越えてからが勝負でしょう、という名前も知らない作家の文庫本を購入した。
 わたしは三十路どころか中学に入ったばかりの十三歳の女子で、女性の色気なんてものはほど遠い。どちらかといえばしょんべん臭いガキと呼ばれるような、そばかすの残る女の子なのだ。
 でも、わたしはこの本を購入して満足しているみたいだ。
 すごく他人行儀な、傍目のような感覚。
 なんとなくこのような感覚に囚われた理由は、わたしが思春期を迎えたのかなぁ……。なんておもってみたんだけど、間違っているような気がするし、間違ってないような気もするし。たぶん、それが思春期を迎えるってことなんだろうと、へんに納得してみるのも一つなのでしょうか……どうでしょう。
 というわけで、思春期とやらを、こんな形で受け入れることになった。
 嬉しいのやらかなしいのやら。どうせだったら好きな男の子に告白されて、恥かしさのあまり、お断りさせて頂きます! と逃げ出して、電柱の影で後悔しながら、でもドキドキしてみたかった。
 人生おもいもよらない、おもいがけないこともあるって、新婚の体育教師がいっていたのを思い出しました。
「センセイ……。センセイが話していた、キャバクラの名刺がお嫁さんに見つかってエライ事件ですよ、よりも事件ですよ! もっといい形での迎え方を希望しますよ!」
 などと、嘆いたみたところで、この高鳴る動悸は治まらない。
 ものすごく遠い場所から自分を眺めているような……。先にある精肉屋の二階のベランダから私を眺めて、あーこの娘って男子に告白されて舞い上がっているのかぁ? おいおい、いいじゃんいいじゃんわたしぃ、とニヨニヨしてしまう自分がいた。
 ということで、なんとも微妙な思春期を受け入れつつ、そして思春期にありがちな、訳もわからず涙が零れてきたので実はわたしは哀しかったんだぁといった、後になって理解する自分を自覚することになった。
 うん! 思春期なんだから年上の女性に憧れる、なんてこともあるでしょう。
「思春期な自分に乾杯」
 小一時間とまではいかないけど二十分ほど物思いに耽っていたのか、やや辺りが暗くなりはじめてくる。暗闇が馴染んでくるみたいだ。
 少々足早に、帰路に着くと、前方にメリケン焼き屋があった。実際にはキャベツしか入っていないお好み焼きなのだが。一つ八十円といったリーズナブルさが、中学生の小腹を満たすにはうってつけなのだ。
 そこに同級生の男子が居た。二学期の席替えで隣になった男子だ。背はまあまあ、顔もまあまあ、雰囲気はちょっとトゲがあるけどそれは照れを隠しているのがばればれだから、淡い優しさに溢れている彼だった。
「なに? メリケン焼き? 安く上げるねぇ」
 彼の背後から近づいて声を掛けた。
「なんだお前か。ほら安いじゃんここ、晩飯までもつよな」
「ふーん」
 なにを言い訳しているのか、そんなことまでべつに訊いていない。
 それよりもどういう訳か、彼がは怪訝に表情を歪ませた。
「なによ、わたしへんなことゆった?」
 彼は首を捻ってわたしから顔をそらした。そのしぐさが怪訝に、というよりも困ってしまって無意識にそむけた、というようなニュアンスだった。
 うーん。どうしたよー、なんかしましたか?
 と、ここで疑問符がよぎった。あれ? 彼との距離ってこんなに近かったのだろうか。いってしまえば吐息がかかるほどの距離に、そのまあまあで愛嬌のある顔があるのだ。
 ああ、彼の肌って間近でみると、朱色のニキビが結構あるんだ。レモンを食えレモンを。レモンを食って顔をくちゃくちゃに顰めさせて、そしてビタミンを摂取するのだ。
「お前さぁ、ちょっと離れてくれよ」
 そういって彼はわたしの肩をぐっと掴んで、押し出すようにしてばりばりっと身体を剥がした。
 そうなのだ、これが思春期の嫌がらせってやつなのだ!
 彼の腕をとってしっかりと握り締めていた自分が居たらしく、沸騰するような彼のぬくもりが胸にのこっていた。おい、思春期とやら、てめぇ行動するんだったら先にわたしに云え。彼もわたしもびっくりするだろうが……馬鹿者。
「なに赤くなってんだよ……」
「え? わたし赤くなってる?」
 もう最悪だ。頬を染めた自覚もない。さぞかし彼に、潤んだ瞳でラヴラヴビームを放っていたことだろう。
 なぜ思春期によって乙女心を自覚させられねばいけないのだ。淡い恋心をあたたかく育ませる時間、片思いの甘酸っぱい気持ちを味わうこと、それが出来なくなってしまったじゃないのさ。
 いきなり告白、いきなりセックスなんて、三十路を越えたオンナがすることなの!
「ちょっとこっちきて!」
 彼の手を取った。この先に公園があるのだ。彼はつんのめりながらわたしに引っぱられている。
 彼の、眉を寄せて甘く砕けた表情にわたしは、なんともいえない背筋を這うような微量の電流を感じた。耳の裏っかわが心地いいぐらいぴりぴりと痺れたのだ。
 嗚呼……。思春期が勝手に反応してしまっている。三十路のオンナはこうなんな風にオトコと対峙すのか。
 凄すぎる! いったいどうやって思春期真っ只中の三十路のオンナは、このうねるような激流をこの激しい濁流を、我がもの顔で突き進んでいられるのか。
 早すぎるよぉー。思春期とやらは子供だったわたしを急激に大人へと変化させたのだ。
 公園の出入り口は五段ほどの浅ひろい階段で、なだらかな下りになっている。彼が転ばない程度に引っぱってゆき、近くのベンチに腰掛けた。
 そのベンチは背もたれが無いタイプだ。しかも少々腐食していて安定感が悪い。お尻を密着させると、みしみし……なんて木片が軋んだ。あーうー結構傷つく――わたしのお尻はそんなに重くないぞ。
 彼は笑った。微笑みではなくて、やわらかくてあったかい、くだけたほほえみだ。微笑みのようなマイナスイメージの印象ではないのだ。その彼の子供っぽい表情を受けてわたしは、胎《からだ》の芯まで彼が浸っていくのだ。
「好き」
 無意識の告白、そう後で気づいた。
 わたしは三十路のオンナになった……。でも声がうわずっていた。けっして三十年の年月を積み重ねたオンナじゃない、十三歳の未発達なオンナなのだ。だから掠れるようにうわずったへんな声が出たのか。
 彼を見詰める。距離が詰まる。鼻頭がふれあうほどの距離が、わたしの心臓をどっこどっこと打ち鳴らした。
 その様が、とても三十路のオンナに思えない。うわべだけのオンナなのだ。
 なにか足りない。
 全然スマートじゃない!
 もっと、こう、痺れるようなオンナのフェロモンが、彼を包むように漂うはずなのだ。
 肩口から腕の関節までを締めつけられた。突然、二の腕が固く鎖されて、熱を帯びている。ああ、彼の胸の中にわたしがいるのだ。二の腕の表面がおののくほど熱いのだけれど、内っかわはじゅんわりとあったかい。電子レンジでチンッとゆわしたような、彼の放電子が胎内を駆け巡る。
 あのぅ、もっと手加減してくれませんか? お願いしますのよー。
 そりゃあもう、鼻頭がこつこつとあたってる状態なので、彼の鼻息が上唇にばしばしとねぇ。きいてますか、きいてないですよねぇ、というか云ってないし。むむむ。脳細胞がぽしぽしと瞬きをしているみたいだ。あれぇ、おそろしく混乱している。
 あうあうあー、口唇が塞がれる。彼のかさかさの質感が妙にはっきりと感じ取れる。こんどのは表面が冷たくて、でもぶしつけに圧しあてられて、くちびるの芯がぬくいのだ。だった。なぜかだったといい直して、気持ちはドッキドキなのだ!
 わたしの答えはNOだけどやっぱりYES。これがつんでれってやつなのかなぁ。そうなのか、キャバクラの名刺で一杯くわされた体育教師のお嫁さんは、こんな気持ちなのか。
 しかも――右のおっぱいを彼は左のてのひらでもしゃもしゃしている。
 おいこら、誰もそこまでしていいなんていってないぞぉー。やっぱりYESなのだ。
 だけど、服のうえからなんて、しかもブレザーのうえからなんて、本当のさわり心地なんてわかんないんじゃないのかな。あーあ、彼の不憫さをおもうと、可哀相になってくる。
「体育教師の若妻がつんでれ」
「え? なに?」
「キャバクラの名刺で大変お世話になったセンセイの幼な妻がつんでれでれでれぇ」
 と、いい放ったら。彼は目蓋をぽしぽしと瞬き慄き、漫画のような吹き出しが頭上でぐぐぐ……、と表現したように眼球が見開かれた。
 さも激しく、みるからに驚いたと云わんばかりの彼に、どちらかといえば愕いたようなしぐさに、私は少々安堵した。それはそれは場違いなつんでれでれでれぇと放たれた言葉の反応としては、至極まっとうなのだった。
 ちゃんと彼はおっぱいをわしづかみにした事実をわきまえているのだ。そしてちゃんと羞恥心を持ち合わせている。愕いた表情とは、羞恥心がなければ表にはあわられないのだ。
 彼の可愛らしさにわたしは、つい追い討ちを掛けてしまう。
「おい! おっぱいは越権行為ナノダヨー」
「あっああ――ごめっ、気づいたらキスしてた、気づいたら、うぅ……」
 するりと彼は視界から消えた。
 みしみし、とベンチの、打ちっぱなしの木片を地味に鳴らして、彼は落っこちたのだ。
 きゅうに肩のあたりが寒くなって、寂しくなったのだけれど。
 彼も思春期だったのだ! 気づいたら、気がついたら、って! 
 オンナになったばかりのわたし口唇を奪って、ふくらみはじめたおっぱいをわしゃわしゃと揉んでおいて――思春期のせいにするなんて! 
 ベンチには背もたれがなかったので、彼は防波堤もなく落っこちていった。彼は頭を打ったのだろう、うぅぅうぅぅと左右に体を振って、もんどりうっている。これは、とーぜんの報いなのだ。
 でも、死ななくてよかった。思春期の野郎によって暴走したあげく、防波堤もなく頭を打って死んじゃったら、目も当てられない。
 手を差し伸べてやろうか、なんておもったけれど。そこはやっぱりとーぜんの報いであって、然るべき報復を噛みしめて戴くとして……。ああ、わたしも思春期の、とーぜんの報いを受けるのか? しかしそれはそれなので、あれはあれで、そうだ! わたしは思春期ってやつの、とーぜんの報いは、しっかりと受けとめたのだ。
 彼によって口唇と発育途上のおっぱいを奪われたのだから、よしとしようではないか。
 暫くしてから、ちょっと恥かしそうにしてそっぽを向いている彼に、わたしは手を差し伸べた。
 背筋をぴんと張って、姿勢を正した。彼がもぞもぞと、子猫のようにこぢんまりと丸まってベンチに座る。自分でも悪戯《わるふざけ》をしてるなぁー、とおもいながら、彼の太腿にてのひらをそえてみた。
「痛かった? すんげく痛かった?」
「うん」
 俯き加減で頭を下げる。わたしは彼の背中に手をそっとあてる。彼は後頭部を気にしながら、むずがるのだった。
「どーしてキスしたの? おっぱいもさわるし……」
 少しだけ怒った風味を雑ぜつつ、でもたしなめるように呟く。これは意図した追い討ちだ。くすくすと笑いを堪えるのに精一杯。
「どうしてって」
 下がっていた彼の頭は、さらに深く落ち込んでいった。ふれるかふれないかの微妙な感触で太腿に置いていたてのひらを、やけどするぐらいの熱い彼のてのひらがぎゅっとにぎる。
「それは……」
「それは?」
「――もう別にいいじゃんか」
 おい! どゆこと? あーた、思春期ってやつのしわざでしょーが。
 わたしは、ぺっと彼の手を振り払ってやった。そしてしらじらしく背中にあてていた手を除《の》けて、密着していた身体をはずしてやったのだ。でもね、心の中では、怒ってないよーばーかばーか、なんてウィンクした気分。これがいわゆる、つんでれでれでれぇつーんーでーれーなのだ。
 わたしは勢いよく立ち上がって、彼に背を向ける。あとは彼が焦って本当のことを云えばいいのだ。好きだ! って告白してもいいんだよ? 三十路の思春期の、いきなりのカミングアウトにいきなりの実践、ざっくりその渦中にあるんだから。
 ごくり、と大袈裟に彼の咽喉が鳴った。
「ごめん! 別にいいことないよな。アレだよ、男の性っていうか……生理現象っていうか。やっちまったっていうか」
 んん? あれれ? おかしいぞ? 可笑しいと笑ってしまうぐらいのおかしさがあるぞ? どうしたのだ? わたしが美少女といえば、そばかす混じりの童顔娘がなにいってやんのぉー三つ編でもしてなさいな、なんだけど――
 まぁね、学年の真ん中から数えて下に二つ三つってなもんの、まずまず、自慢出来ないまでも彼女として紹介するぶんには卑下することもないキュートなわたしだけど、あんなことやこんなことをしておいて、男の性ってましてや生理現象って……。
 てめぇ、誘惑に負けた思春期の発露じゃなかったの! そのファクターが若干数、オンナに対する態度としてすんげく紳士的じゃない!
 振り返って彼を見据えた。自分の表情がいったいどういったものだったのかはわからないけど、彼の面が急激に強張りはじめたのだ。そんな彼の姿から、現在わたしの表情がそりゃーもうすんげく怒り心頭しているのだろう、と易《あん》に理解できた。
「俺も、お前のこと、前から好きだったんだ」
 その彼の切実な言葉とせつない態度で、少しだけ息が詰まった。ぐるぐると彼の思惑のようなものを想像しているうちに、
「なんかさぁ、お前の変わったところなんかがすげー可愛いっていうか好きなんだよー」
「ヘンジャナイデスヨー感受性ガ豊カナダケデスヨー」
 そうなのだ。どさくさに紛れて彼が告白するものだから、緩みきった頬で答えてやったのだ。
 だけど実に曖昧で複雑な内心なのだ。ちょっと、てゆうかかなり喜んじゃっているわたしが居て。すんげく、とゆうか恥かしいぐらいあきらかに彼は誤魔化しているのが、御無体なぁーといいますか。も一回つづけさまにキスして虜に、……取り込んでやろうかねぇ、などとニヤついた堕天使が耳元で囁くのだった。
 で、結局。
 さらに、すきなんだよー、と彼が切迫した面持ちでわたしのすべてを抱きしめるものだから、あいしてーるーとーてーもー、って同級生は一人も知らないんじゃなかろーかスターにしきのベストソングを奏でてしまった。
 自分が傾《かぶい》てしまっているとして(スターにきしののあたりが)、それよりも自分の美声はアニメティックだなぁ、なんて関心しているあたりがれっきとした変人なのだ、と認識した。もしくは誤認したかった。
 したらば結局。
 デモ、ヘンジンジャナイデスヨー。コレハシシュンキーノヤリクチナダケダヨー。とーぜん! 思春期のせいにしてやったのだった。
「弁論の余地はないのだよー。思春期にそんな権限はないのだ!」
 そうなのだ。思春期の癖にぞんざいな扱いを受けている、などと抗議される所以はないのだ。思春期の尊厳とか人権(ひとではないので因権になるのだろうか)を当然として要求するならば、そんなものへし折ってやる。なんだったら、上手く誤魔化せたー助かったよー、なんて胸を撫で下ろしてる彼に喰らわせてやる。
「なにかいった? 弁論ってなんだよ」
 あっ、彼が焦ってる。そんなつもりはなかったのにな。
「ナンデモナイヨー」
「なに笑ってんだよ」
「そんなことないって」
 頬の綻びがとまんない。誤魔化したのがばれた、とおもって彼がめっちゃ焦ってるから、どーしても笑ってしまっている。
 彼に中断されたけれど、まー彼の無理矢理に揚々とさせた顔を眺めると満足しているわたしが居て、それはともかく思春期って野郎にやさしくしてあげるつもりは毛頭ないのだ。やさしくしてやったら、そりゃーもーつけあがるに違いない! だってですよ、たまたま告白だけで済んだかもしれないじゃないですか。もしかしたら、自分から彼の手を取っておっぱいさわらせてたかも――。
 うぉ、こわすぎる! むりむりむり、思春期に権利と主張を与えるのは自殺行為ってやつなのです。
 やっぱり、どーして三十路のオンナは平然としていられるのだ。思春期を飼いならせているのかなぁ。……うーん。
「どーしたよ」
 彼はわたしの顔を覗きこんだ。
「そろそろ帰ろっか」
「おう」
 抱きしめられていた彼の身体からすり抜けて、また彼の手首を引っぱった。公園の出入り口に向かって指を差した。
「行こ」
 なだらかな階段を一歩づつのぼっていく。これがいわゆる、大人の階段のぼるってやつなのだろうか。いって、すんげくアーハズカシィ。我ながら御《ぎょ》し難い、なんて普段使わないような科白を独白して、盛大にふいてしまった。
 彼はわたしに追いついて、肩を並べて歩きだした。もう既に手首からてのひらを重ねてしっかりと握っている。彼は口をひらいた。そしてわたしもだ。
 なにふいてんだよー。あのね、そろそろこのパターンも飽きてきたなって。意味わからんし。ごめん! それは本当に謝る、ごめんなさい。いいよ別に……。あー怒ってる? 怒ってねぇーよ。
 あたりはいっそう暗くなっていた。商店街から抜けた先の道は、街路樹におおわれている。街灯が点々と画一に照らしているのがわかって、こんなにまじまじと眺めて気にしたのもはじめてだなぁー、とおもったのだ。
 なんとなく無言がつづいて、そしてなんとなく彼と目があって、なんとなく逸らして、息があったように夜空を見上げていた。
 星はものすごく遠く一等星が幽かにみえるぐらい、その夜空にぼんやりした満月が低い位置に居た。その姿はびっくりするぐらいになげやりだったのだ。
「あのねー」
「ん?」
 あの野郎がねー、と云いかけて口を噤んだ。そうだ、思春期のあんにゃろーの話をしても、彼には一〇〇%伝わらない。むしろ、あの野郎といってしまえば、彼が心配するかもしれないのだ。一応、女の子のていにしてみたのだった。
「友達の娘《こ》に、嫌いじゃないけどすんげく酷いことするのがいてねー、わたしをげしげしと陥れようするのさー」
「それで?」
「でねでねでね、あんにゃろーは烈しく恥かしいことを強要する癖に、自分は正当な権利を主張するわけさー。あんまりにもムカつくから、わたしの失敗も都合のわるいことも全部あんにゃろーのせいにしてやって、自尊心と羞恥心を防衛するのだよー」
「たまーにお前は難しいこと言いだすから、びびる。でも、仲いいんじゃねーの? お前もあんま怒ってるようにもみえないし」
「そう?」
「怒ってんの?」
「うーん、そんなに、かな。お互いさまでしょうか」
 そう云うと彼は、わたしの髪の毛をわしゃわしゃとかきまわすのだった。
 うん、全力で彼の脇腹に拳をたたき込みたい。ってゆうか、おっぱいと一緒のさわりかたですか、おい。
 オモイ返シテ、ジュンワリトフクラミニヒロガルヨーナ文学的要素ハナイデスヨー。
「でも、まぁ、友達やめないまでも、いっぺんその娘と離れてみたらいいんじゃねーの。落ち着いたら仲良くすりゃーいいし、縁切るまでもねーじゃん。嫌いじゃないんだし」
「そ、そうっすか……。そんなこと出来るんでしょーか」
「知《し》んねーけど。距離置いてる間になんか色々あんじゃねーの」
「ええぇ! そんなこと出来るんですか! 縁って、切れるものなのですかー」
「ちょっと待てよ。縁切るまでもねぇっていったじゃん」
「ああ……。そうでしたね。いったん、離れてみるってこと考えもしなかったものですから。いやはや、想像ってものが、全然、全くといっていいほど」
「へぇ。それじゃー、お前、ソイツのこと、結構好きなんじゃないの? ほら、好きすぎて近くにいるからさーウゼェって感じるんだろ」
「うっ、それは衝撃的ですよー。なんっすか、そのハリケーンパンチみたいな破壊力は!」
 やややや、正直その発想はなかったのだ。この対、思春期に於ける前衛的なアプローチはいったいぜんたい、わたしにどーゆーヒントを与えてくれるのだろうか。
「だからさぁー。まーお互い落ち着くまで距離おいてさー、それから仲良くなりゃーいいんだよ。お前も大人になるっていうか、大人の対応が出来るようになればさ、その娘とまた楽しくできるって」
 うーん……うーん……。なんでしょうか、もんのすげく彼が答えのようなものを云ってくれている気がするんですけど。ドラえもんでいう、しずかちゃんのオールマイティ牌が入って即どんじゃら! みたいな。この本人、理解できてないのにあがっちゃってる感覚は……。すっげく理不尽なのだよ!
 しかも彼は思春期ってことわかってないのですよ。わたしは思春期のことを知っててわからない、彼は思春期のことを知らないのに、わかってるような素振りをみせる。うごー、複雑すぎるのだ。
 あのね、もう怪奇現象なのだ。これは京極堂大先生のご登場なのだ。あの作家菊池秀行先生も、まさかの展開に失笑するのだ!
「穿《うが》った文学少女をなめるなよー。実際に三つ編にしてハイセンスな黒縁眼鏡かけて、図書館に篭ってやる」
「おーい、いきなりお前なにいってんだよ。目がこえーよ、マジで」
 微かに彼の声が聞こえた。
「あぁ?」
 振り向いて彼をみた。彼は絶句していた。これは、さすがの文学少女のわたしでも表現しきれない、なんとも云えない彼の表情だった。たぶん、みた、っていうレヴェルではなく、すんげく彼を見据えていたのだろう……。
 ただ、できうる限りを尽くして分析にあたってみれば、そう彼は泣きそうなのだった。
「ごめん……なさい、っていうとおもったか、この馬鹿者ぉ! なにげにオトコ振《ぶ》って上から目線しやがってからに。わたしだってオンナなのだ。三十路も驚嘆するオンナっぷりなのだー。どーして三十路のオンナは思春期ってやつを飼い殺しにしているのかはわかんないけど、この歳でわたしはオンナなのだよー。わたしは、わたしは――」
 息切れした。酸素が足りないっす。
「ええい、この先わたしは由緒正しき三十路のオンナになってやるのだー」
 オーオーテンションマックスデスヨー。
 幽体離脱して背後霊のばーちゃんに決意の握手を求めてしまいそうですよー。
 そうだ。ばーちゃんなら喜んで握手に応じてくれるに違いないのだ。嗚呼、彼だって。
 彼はわたしの暴発に付き合ってくれてるみたいで、ぶんぶんって感じで首がもげるんじゃないかなー、ってなぐあいに首を縦に振りつづけていたのだった。
「握手」
「はいぃ?」
 いやーすごい。彼の表情がすんごいのです。浮気がばれて土下座したあげく、絨毯のうえを三六〇度転《ころ》げ回ったような、反省だけの、この面持ち。つんでれの幼妻(わたしの勝手な思い込みで)をもつ体育教師のキャバクラ事件での表情なのだ。まーこれも、思い込みの産物でもあるのだった。
 そうして、わたしは彼の目の前に手を押しだした。彼は、といえば、なにやら藁をも掴む勢いで、わたしのてのひらを両手で包むようににぎりったのだった。その彼のてのひらから伝わるあたたかな感触がどうのこうの、っていうのはまーあるんだけど、それはいいじゃないですか。それよりも、わたしが彼に対してむちゃくちゃにしてしまったなぁー、なぁんて悪振っている自分が居て。その自分の恥かしそうにしているさまが、いやーわたしチャーミングですねーと自画自賛しているあたりが、救いようのないどっぷりオンナだとおもいました。
 反省はしたけどね、反省の色はないんです。なぜなら――。
 スキナンダヨー。ツンデレデレデレナノデスヨー。デレ、ガ多メナダケデ嘘ジャナイデスヨー。
「つんが、多いほうが正解だとかいうなってばさー」
「お嬢、なんもいってないっす!」
 もう彼は脅えきっているのだった。
「あっ、でも、お嬢は嬉しいかも」
「じゃあ、いまからそう呼ばせて頂きます」
「うん!」
 あーだめだ。めっちゃわたし喜んでいるのさー。うほっニヨニヨがとまんない。うん! とかいっちゃって、ばーかーだーねーわたし。これは、あんにゃろのせいにするのに、精一杯だった。
「じゃー帰りましょうか」
「おう」
 そういって包み込まれていた彼の手がすーっと離れた。そして間髪入れずにわたしの指の股に彼の肉厚の指が差し込まれた。しっかりと手が重なりあう、互いのてのひらの付け根がしっとりと密着するのだった。
 なんだこのエロさは! ちょっと彼の汗ばんだてのひらに不快感があったんだけど、それを寛容する気持ちが出来あがっていた。
 それもこれも、あんにゃろうに以下略するのだ。
 それから彼はわたしの家の前まで送ってくれて、彼は笑顔と恐怖心とをないまぜにして帰っていったのだ。実は彼の家は、公園よりわたしの家から反対方向だったらしく、なにもいわずに送ってくれていたのだった。
 わたしは関心して、彼をもっと好きになってもいーんじゃないかなー、とかおもったりして。しかしながら、どーしてこのオトコは、こんな扱いづらい文学少女を好きになってしまったのかなー、なんて不憫に感じてみたり不思議におもってもみたり。まぁ、彼もあんにゃろのせいでキスするわおっぱい揉むわで、お互い被害者ってことで、仲良くすればいーんじゃなかろーか、と。
 背後にいるだろうばーちゃんに、わたしにも彼氏ができたぜーめちゃめちゃドキドキするんだよー、と報告したのだった。
 自分の部屋に入って、今日の発端になった例の、オンナ三十路を越えてからが勝負でしょう、をひらいた。
 これにあんにゃろーの秘密が隠されている、とわたしは意気揚々だったのだ。三十路による思春期の飼い殺しかたが書いてあろう文庫本にあたって、期待と興奮の真っ只中だ。
 しかし……。
 気の無い男性を振り向かせるには目尻を細く伸ばして眼力で狩る、とかいわれてもさーっぱりわからなかった。
 なんだったら、SM入門編の教本みたいな内容に、唖然を通り越して呆然としてしまったのだった。
 うぅぅ、うぅぅ。今日はすんげく疲れたのだ。しょうがないので、期待はずれの教本をリヴィングのテーブルに置いて寝ることにした。明日、おかーさんに読ませてやろうとおもう。それからあんにゃろーのことを、おかーさんからききだすのも一つの手なのだ。
 早々《はやばや》と二一時前にベットへ潜りこむ。明日、彼が思春期に任せてしでかしたことの間違いに気づいて、取り消しを求めてくるかもしれない。やり直しはともかく取り消しは失礼極まりないのだ!
 明日に備えて、彼を言いくるめて、論破するべく、思案をはり巡らせるのだった。
  1. 2008/08/24(日) 21:59:27|
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素直春日お嬢様七話

「いやーカイザー。あたりまえのラブソングでしたねー」
「まあな……。感慨に耽っているけど、どう考えても駅前付近に墜落したよな」
「そうですね。あの方向と角度だと、素直電鉄モノレール、素直市駅に落ちたんじゃないでしょうかねぇ」
「うー。大惨事だな」
「……そうですね。カイザー」
 郊外の最果て、砂浜に向かって金田バイクを漕いでいく。
 振り向くと、もくもくと真白の煙が立ち上る。離れた中心部の方角に、小さくみえる瓦礫と化した素直ヘリコプターが燻っていた。
 運転はヨシオ君に任せて、俺は風に身を預けた。
 操作はヨシオ君のオートマティック。動力は電動に切り替えた。きっかけをペダルに与えて、後は電力と惰性が金田バイクを漕ぎ進める。
「ホントお嬢様、可愛らしかったですね」
「そうそう、アレいくつのとき? ヨシオ君、九年の沈黙がどうのっていってたじゃん」
「九年前ですよ。お嬢様が八歳のときですね」
「じぇんじぇんいまと、変わらないんですけど……」
「夢の中のお嬢様、ネバーランドの住人ですからねぇ。それが素敵なんですけど」
「ふーん……。これからも春日はかわらないんだろうか、なぁ」
「それはカイザーの、気持ち一つでしょう。お嬢様は初めて人間という有機物に心を奪われましたから、染まるも熟れるもピュアであるのも、すべてはカイザーの手の中」
「そうか……。まー春日は、変わらず居て欲しいのな」
 高校生になってあんなにピュアでいられる人間は、そうそういないから。春日には素直に居て欲しい。
 春日には、素直財閥には、それだけの――財力、名声、影響力、そのもの力《パワー》――を確立している。
 こんごも、春日が無茶をして弾圧されようとも、それら複合された力が全てを弾き返すだろう。
 春日は無敵だ。周りの実力だけではない、春日当人に実力が備わっている。あとは、いかに春日を導くのか、が俺の役目じゃないだろうか……。
 気負いすぎかもしれない。なにを偉そうに、と俺も思う。
 が、一方的な願望でも、素直グループから頼みもされてなかろうが、俺は数々の意味合いで春日を護っていくべきだ。
 上空に佇んでいた春日と黒服がくるりと体を返した。背負われたジェットから青白い火が噴く。
 硝子に陽光が遮断され、鈍く太陽が輝いてみえる。下降気味に暮れゆく太陽。徐々に、真っ青な空が黄金にのびつつあった。
「そうだヨシオ君。さっき返事がなかっただろ? 教えてよ」
「スパコンハッキングのときですか?」
「うん、そう」
「あのとき、ですね……」

 ☆

 ヨシオ君は、心中を、こう語った。
 ――いやーね。こちらとスパコンの、双方向の回線をいきなり送受信してたら一発でやられてました。いくらパスワードを使って進入しても、すぐにウィルスと感知されて消去されてしまします。
 だっていくら安全に通信したところで、スパコンと春日様の意に背く命令をしようとしているんですから。
 だからですね。はじめは送信のみでランダム兵器を停止するために回線を開きます。その際に、ルーレットを操作する容量が足りないので、兵器を確定させます。
 なんでも良かったんですが、今回は「神の玩具♪ 春日☆悪戯」に決まりました。
 その間、兵器発動までのタイムラグ中に停止命令をします。今回は各国主要都市の選択です。
 もちろん瞬間的にウィルスを感知してスパコンが破壊しにきますが、こちらはその破壊行動を予想して回避するように、事前にプログラムを組んでおきました。
 わかりきっていますが……予想が一つでも間違っていたらアウトです。ですから何万何十万桁のケースを用意しました。破壊行動の数をこちらが用意したケースを上回っていれば勝利です。
 で、事前に準備していたプログラムを行使している最中に別の兵器を替わりに発動させなければなりません。なににせよ、兵器を発動させなければ、このランダム各種兵器プログラムが終了することはありませんから。
 その停止命令中にオンラインに切り替えて、兵器を変更させます。
 普通に変更しようものなら、スパコンになにをされるかわかりません。そのための事前プログラムです。
 時間もありませんでしたから。ぐずぐずしていると時間切れで、各国どこかしらに神の雷《テゥールハンマー》が発射されてしましいます。
 スパコンからのジャミングは完全に事前プログラムに任せて、兵器変更に専念しました。
 当然……停止命令と兵器変更を同時に行なえるほど、性能が高いわけじゃありません。しかも相手は、素直シティの地下に鎮座する超弩級のスーパーコンピューター。
 残り0,87秒ですね。兵器の変更と回線を切断できたのは。
 回線を切る直前、別窓に常駐させていたプログラムを確認すると、ほぼスパコンに相殺されていましたよ。残っている実行データはざっと見で、百ちょい。一秒しかもたなかった。すんでで成功しました。
 だからカイザーに返事ができなかったんですよ。
 えぇ? なんで「愛をおぼえていますか」ですって?
 可愛いじゃないですか、春日お嬢様。カイザーに一度見てほしかったんですよ、幼少の春日お嬢様を。まぁ、いまとあんまり変わらないですが。いいじゃないですかぁ、カイザーにはお嬢様の全てを知ってほしいですね。
 素直春日お嬢様と対等に或ることができうる人間は、カイザー以外に考えられません。
 とまぁ、そういいましたが、もう一つ。
 「愛をおぼえていますか」の他に損害程度の低い兵器は無かったんですよね、正直。
 いや、ダメージが凄すぎる。尋常じゃありませんよ。基本的に開発される兵器は国家が滅ぶクラスの物しかありませんでしたから。
 ここで知っていて欲しいんですが――春日お嬢様直属から末端までのAI思考ルーチンは、完全にお嬢様寄りです。
 すなわち、お嬢様が喜ぶようにAIは学習しております。
 ですから……。
 通常、春日お嬢様付けのAIは、嬉々としてランダム兵器を実行するでしょう。彼らを想像するに、多分、素直式地殻操作システムを選ぶはずです。
 だって、無駄に大げさでまわりくどくて、面白いじゃないですか。一応、うちだって春日お嬢様製作のAIですから、面白いと思いますもん。
 では、何故、そうしなかったのか?
 不肖ヨシオは、お父様直属のマシーンなんです。お父様にプレゼントされたマシーンになりますので、完全に独立しています。
 そりゃ春日様の製作ですので、横の繋がりはありますよ。AI同士で情報交換もしますし、必要とあればお父様以外の人物も乗せます。現にカイザーを乗せているでしょう。
 だから、ランダム兵器を回避できたんです。
 はっきり言って、うちがお嬢様直属のAIだったら100%負けてましたね。同じ直属同士だと、数億倍の性能を持つスパコンに思考が読まれますから、太刀打ちできませんよ。
 まず負けます。まずもって敗北。勝てる要素を見出せません。
 それでもアタックできたのは、うちがお父様直属のAIだからです。
 元々お嬢様の情報を持っています。そのうえお父様の直属で、スパコンからはうちの思考ルーチンを読みにくいはず。だから勝てる見込みが出てきたんですよ。
 それでも半々だったのは、さすが超弩級スーパーコンピューター、と言えますね。
 えへへ、ちょっと偉そうでしたか……。
 ほらカイザー。春日お嬢様が砂浜でお待ちしていますよ。いそいで向かいましょうよ!

 ☆

 金田バイクは坂道に差し掛かった。登りの坂道。視界は登りの道路に遮断されていた。越えれば前方にひろがる海がある。
 春日が居る、黒服が居る。すこしむっつりした、表情の薄い春日の笑顔がある。
 あいたくなった。無性にあいたくなる。
 ただ単に、幼少の頃の春日に心を奪われたわけではない。無機質なAIにしか心を通わせる春日をいじらしくおもった、だけではじゃない。
 素直。そして、なり、はクール。その145cmに満たない小さな身体に秘めた、燃えるような熱量――情熱。
 春日の生い立ちからなる純粋な原石を、育まなければならないのではないだろうか。いんや……。
 俺がそうしたい。
 実はカイザーとか、からかわれているような呼び方をされても、嫌な気持ちじゃなかったんだよな、別に。
 だから俺は、春日をこのまま素直財閥の春日お嬢様として、甘えて成長していって欲しいとおもうんだ。社会的に適応してなくてもいいじゃんか。
 一般人が本質を知らずに流行を鵜呑みにして間違った知識を常識としていく中、春日は独自の道《みらい》を歩んでいけばいい。特異な環境で育った春日は、ピュアで恥ずかしく生きていってほしいんだ。
 その風上に俺が立って、全てを受け止めるぐらいに。
「そろそろ砂浜でっせ」
 ヨシオ君のヴォイス。とりあえずの終焉を迎えるのか。
 日中の出来事――嘘のような爆破行為。俺も加担した爆破。
 一瞬だった……。
 前方より、登り坂の終着点が迫ってくる。潮風が漂って、俺の鼻先を掠めた。
 もうすぐだ。春日と黒服、あいたい。頂上からみる春日と黒服の姿は小さいだろう。
 急《せ》る気持ちが脚を速め、一気に上り坂を登った。
「いくぜ!」
 駆け上がった。陽光が視界を貫く、一面がホワイトカラーに包まれた。そしてぼやけ、千切れるように光がのびゆく。砂浜が一面を覆い尽くした。
「春日ぃ!」
「春日お嬢様ぁ!」
 俺とヨシオ君は春日の姿も確認しないまま、大声で雄叫びをあげた。
 春日と黒服の姿がみえた。手を振っている。俺たちを迎え入れるように、二人はやさしいほほえみだった。姿が小さい二人だけど、なんとなくそうほほえんでいるように感じたんだ。
 下り坂を、埃や土煙を撒き散らしながら、めいっぱい金田バイクをこぎ進め、二人の元に向かった。

  1. 2008/05/26(月) 23:38:25|
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初夏の生ヌルい微風 一話

 扇風機が無造作に首を振っていた。窓が全開にされている。カーテンがやわらかく波打っていた。摂氏二十六度、湿った微風を扇風機が運びこむ。
 攪拌された微風が漂い、六畳の室内は蒸れてた。
 ベッドが軋んだ。もぞもぞと布団が移動する。寝苦しさを通り越した木下嵩児《コノシタコージ》は、無意識に布団を蹴落とした。
 目が覚める。おもむろに上半身を起こし、部屋を流し見た。HDDレコーダーの、オレンジのデシタル表示が目に入った。二十二時三十分。
 ベッドから降りた。汗でびったりとティシャツが背中に張りついている。半袖ティシャツとトランクス姿だった。軽く汗ばんだ髪を手櫛で払う。箪笥からよれたティシャツを取り出して着替えた。汗で濡れたティシャツを放り投げる。箪笥の横に立て掛けてあったアコースティックギターを手に取った。
 コードを押さえ、弦を撫でた。ナイロン弦特有の、緩い濁った音色が鳴った。
 身体をベッドへ投げ出して、寝転がった。そのまま胸下に抱えたギターを弾く。湿気を含んだ箱から振動を感じる。エレクトリックギターにはない、あたたかなアナログの音色がある。引っ掻くように弦を弾く。匂いたつハーモニィを、胎に深く沁みこませた。
 口笛を吹いた。ぬけるように高音が響いた。ねばっこく絡みつくアコースティックギターの緩い低音が、口笛と共鳴する。弦を弾く速度が増す。口笛が力強く吹き出され、必然に歌声へと替わった。
 微風が振動した。箱から繰り出される音、直接ナイロン弦から弾かれる音、潰れた喉声。
 廃頽的なロックンロールが吐き出された。
 ――愛という憎悪。ジョニーウォーカー、ハイライト、流行らない大麻。溺れてやろうぜ、愛憎というカフェイン。
 踵がリズムを刻む。身体が跳ねる。砕け散っていく感覚。ちりちりと痺れる神経。加速度的にのめり込んでいく。
 間奏の、螺旋ソロ。しっかりと指先に抓まれたピックが暴れ倒す。
 そこへ、ノイズが雑じった。無機質な電子音。ベッド脇のコードレスフォンから、内線の呼び出しだった。単調な内線のメロディで、熱がすぅっと冷めた。コードレスフォンの、褐色の液晶には内線番号4番と表示されていた。
 コージは、この時間の演奏で親が苦情を言い出したのか、と気にしたが違った。親が普段使用する内線は一番もしくは二番だった。そしてコージの妹が三番である。
 家族では無い、とコージは少し安心して受話器を耳に当てた。
「なに?」
「起きた? ギターの音がしたからね。じゃっ、そういうことで」
「なんじゃそら」
 コージは受話器を放り出し、ソロを弾く。内線で気が紛れ、淡々と一弦から五弦をてきとうにこじいた。喉を震わせて、不安定な声色を搾り出す。高域が切なく鳴いていた。
 窓の外から物音がした。コージは下げていた頭を上げる。窓をみた。窓の外から、ひょっこりと頭が飛び出した。コージにとって、見慣れた頭、見慣れた光景、慣れた日常だった。
 二階の窓から顔を出したのは、幼馴染の素直空《スナオクゥ》だった。梯子をよじ登ってきたクゥは、窓枠に上半身をのせて手をあげた。カランカラン、とロープで結ばれた木製の梯子がはしゃいでいる。
「よっ」
「よっじゃないよ。はいはい、もー危ないからね、さっさと中に入って来い」
 クゥはごろごろと転がり込んだ。
 サイドにテープラインが入ったジャージ姿。クゥは頭を掻きながら、コージの正面に立った。
「コージの、その上から目線がむかつく。せっかくお姉さんが遊びにきたのに」
「いやいやクゥ、同級生でしょ?」
「まあね。だけどコージは、学年で一番背が小さくて、しかも童顔だからね」
 クゥは真顔でいいはなった。ベッドに座るコージの隣に並んで、ぶっきらぼうに腰を下ろした。
 コージは苦笑して、クゥの前髪をそっと掻きわけた。
「童顔だから仕方ないって? どっちかっていうと、その身長と大人びた面は同じ高三とは思えないんだけど……。ど?」
 コージの瞳をクゥは直視した。呼吸が頬に感じるほどの間近だった。コージは、クゥの息が唇にあたってくすぐったい。
「幼馴染の隣に住む綺麗なお姉さんで、オーケー。ん? コージ」
 クゥは小首を傾げた。喋りながらクゥの唇が、何度もコージの唇にふれていた。コージはそっと唇を遠ざけると、カスタードの甘味を感じた。「クゥ、さっきなに食べた? カスタードの味がしたけど」
 きょとん、と目をまあるくしたクゥは天井を見上げた。上半身を勢いに任せてベッドへ寝転がった。
「エクレア……六つ。チョコレートの味もしなかった?」
 力を抜いてベッドに身体を預け、けだるくコージを見上げるクゥ。首をねじって、全身を眺めるコージ。クゥとコージの視線が繋がる。
「それ、食べすぎだろ。六っ個って」
「うまかった。コージの分も持ってきたらよかったね」
 ちらり、とコージの視線がクゥのお腹にはしった。
「そんだけ食べたら残ってないだろ」
「あーそうだった。忘れてた」
 そういってクゥは、コージのトランククスのウエストゴムをつまんだ。引っ張ってパチンパチンとゴムを鳴らしている。クゥの、上のジャージの裾が捲くれあがり、へそが顔を覗かせていた。真っ白のもち肌があらわになっている。
 コージはクゥから視線を外した。なんとなく手持ちぶたさから、ギターを弾いた。ピアニシモの演奏。コージは背中越しにクゥに話し掛けた。
「お前、インナーぐらい着てこいよ。ジャージの下、裸かよ」
「あー違う違う。ブラ着けてるよ、下も。――みる?」
「はいはい、みないみない。みませんよー」
 コージの呆れたニュアンスだった。脚を組んだコージはコードを確認してピックを滑らせた。マイナーコードのBGMが奏でられる。
 一旦伸びをしたクゥは、薄っすらと生あくびをした。軽く目頭に微量の涙が溜まり、揉みこむように指の関節で涙を拭った。体を回転させて寝転がり、コージの腰に腕を回した。コージの硬い太腿に頭を乗せて、見上げた。「あいたっ」
 アコースティックギターにあたり、頭がずり落ちてベッドが弛む。
「パンイチの癖に、よく言いますな。コージ君」
 クゥはトランクスの縁を抓んで、揉んでいる。
「あらら? クゥさんも、みますか?」
 からかうようにコージは呟いた。
「うーん。もう、みえてるんだよね」
「あん?」
 コージは身体を捻って見下ろした。クゥの顔が、太腿のすぐ傍にあった。組んでいた脚の間を眺めていた。
 引き寄せられる感覚が互いによぎった。目があう。コージの手が止まった。ギターの和音が引いていった。扇風機のノイズが二人の耳をうった。扇風機の首振りの、カタンという振動が定期的に流れた。
 じっと視線が絡みあい、クゥの唇が震えた。
「したげよーか? コージ」
 おもむろにコージは立ち上がった。回していた腕が外れ、クゥの身体がベッドに埋もれた。
「あほか」
 コージは歩き出し、勉強机の椅子に座わる。山積みになったCDケースから、一番上に乗っているCDを手に取った。ブランキージェットシティーだった。
 ミニコンポの電源を入れ、CDトレイを吐き出させた。セットされていたCDを取り出し、先ほど手に取ったCDをトレイに載せる。再生ボタンを押そうとした瞬間、
「コージ、CDはいいよ」
 と、うつ伏せになっていたクゥが、ベッドに面を押しつけてくぐもった声色を囁いた。
 クゥは身体を返して上向きになった。腰を浮かせ、もぞもぞと枕元まで移動する。枕に頭をのせようとして身体をあげた。勢いよく頭を下ろすと、ベッドの木枠に後頭部をぶつけた。
「あいたた……」
 ずるずると、ぶつけた木枠から頭が滑り落ちて、枕に納まった。
「ばかだねー」
 コージは笑った。クゥを、尋常じゃないほど、抱きしめたくなった。
 コージは脚を伸ばして、扇風機をクゥに向けた。無理矢理に扇風機の首を捻じった。扇風機は逆の方向へ向けられ、反発してガガガ、と軋んだ。
「どお? クゥ、涼しい?」
 コージは言う。
「うんにゃ。生暖かい風がくるだけ」
 と、首を横に振る。クゥは薄っすらと微笑んだ。口元が開き、笑窪が浮きでる。
 クゥの唇が歪んだ。ぼそぼそと波打った。瞳の奥に愛情を宿した、やわいほほえみをした。
「コージ」
「ん?」
「うた、ききたい」
「なんの楽曲?」
「サニーデイ」
「アレ? いいけど……」
 コージはギターを担ぎなおした。脚を組み、箱を抱えた。ピックで頭の頭皮をこりこりと掻いた。そして構える。ピックを振り下ろすとき、一瞬、躊躇した。
 サニーデイ・サービスはどちらかというと、GS《グループサウンズ》やフォークに近い、と思い巡らせて苦笑した。
 コージはピックを振りあげたまま、片方の掌で箱を叩いた。リズムをとる。ツゥービート。
「じゃーいきますよー。クゥ」
 コージは身体を縦に揺らし、クゥを上目で覗き込んだ。
 クゥはすぅーっとコージを流しみて、ベッドの脇を叩いた。クッションの効いた沈んだ音が鳴る。
「コージ、こっち」
 いって、クゥはコージを立たせた。クゥはお腹を中心に体をくの字に曲げて、コージをベッドへ座らせる。猫のようにまるまって、脚をコージの太腿にのせ、膝をさわった。
「早く、うたえ」
「はいはい」
 コージはピックを振り下ろした。
 第一音。うねった。
 箱からの衝音がコージを介してクゥの胎に浸透する。

 水溜り走行《はし》る車両《くるま》に乗って、恋人攫《さら》って何処かへ行きたい。
 雨上がりの街鈍い光浴びて、虹に追われて何処かへ行きたいんです。
 日曜日に火を点けて燃やせば、喪失《なく》した週末が立ち昇る。
 デブでよろよろの太陽をみつめれば、白い幻影《まぼろし》が、ほぅら、映るんです。
 闇《よる》がやってきて僕に仄《ささや》くんだ。
 ねぇはやく、ねぇはやく、キスしなよって。
 雨が次いつ降るかわからないから、恋人《あのこ》を連れて何処かに行きたいんです。
 うーらららー。うーらららー。サヨナラ。
 夏が到来《き》てるって、誰かがいってたよ。

 何度も振りかぶったピック、肉厚の弦を叩きつける。粘りのあるナイロン弦は、押さえたコードの指から逃げ出すように、乱暴に弾けている。音色は箱のなかで共鳴しあって、暴力的に搾り出される。分厚く絡まったハーモニィーは室内を切り裂き、蠢いた。
 ねっとりと湿った微風が扇風機にのって、二人の身体に纏わりつく。室内温度が一気に上昇した。
 コージの額から汗が吹き出る。ティシャツが背中に張りついて、汗がひろがり、滲む。太腿に膜がはったように汗をかいている。
 クゥは、てのひらで、コージの温度とぬめった雫をかんじていた。
 コージはクゥを背中越しに確かめ、鋭くバッキングを繰り返す。じんっと胎に音楽が浸っていく。クゥも、じゅんわりと音楽が入り込んでいく。コージの胎がクゥの胎にエネルギィを伝える。
 コージの前髪から汗が飛び散った。うなじに汗が溢れていく。身体が急激に振動する。突き刺すように視線を外部《そと》へ送った。
「クゥ。うたえよ」
「ん」
 こくり、とクゥは頷いた。

 水溜り走行る車両に乗って、白い大きな車両に乗って。
 雨上がりの街鈍い光浴びて、恋人を連れて何処かに行きたいんです。
 らーららららーららららーららららー。
 らーららららーららららーららららー。

 コージの胸が上下に弾んだ。肺活量ぎりぎりの吐き出した息《ブレス》。歓喜《うたごえ》。そして烈しい衝動。コージはクゥにのしかかる。コージとクゥ、視線が繋がる。
 くの字に丸まっていたクゥの肩を押しつけ、コージは馬乗りになる。
「おもいぞ」
 クゥの真摯な眼差し。ねっとりと絡みついた視線。鼓動が高鳴る。二人は、暴力衝動に駆られた鼓動に胸を殴られた。馬乗りになって圧《お》さえつけていたクゥの両肩が軋んだ。
 コージはクゥの肩に手ごたえを感じ、一瞬にして破顔《はがん》した。体重を膝で支え、コージは肩から掌をすべられて、そっと手首を掴んだ。クゥの指の合間に、甘えるようにして指を差し込んだ。しっかりと握りしめる。
 クゥは一直線にコージの瞳をみつめている。
 なあクゥ、シャワー浴びた? ここにくる前に入ってきた。そっか……俺、まだ、入ってないんだけど。けど? しかも、おもいっきりシャウトしたし、汗だくだし。うん……、っで? だから、汗でべちゃべちゃだぜ。わたしも歌ったから、負けず劣らずコージとあんま変わらん、よ? クゥ気にする? 大して。それは良かった。どう致しまして。
 コージは汗で駄目にしたティシャツを脱ぎ捨てた。がっしりとしたコージの肉体から微量の熱気があがる。
 クゥは急いで俯いた。ジャージのジップアップを引き下げた。プラスティックの乾いた、心地いい快音がコージの耳をくすぐった。フロントフォックが、ちらりと顔を覗かせた。プラスティックの重量で、ジャージは身体を流れるように両サイドへ落ちた。
 脂肪ののった、ふにゃりとやわい身体が、コージの視線を縛りつける。簡素な刺繍がはいった綿糸のブラ。黄味がかった白。
 コージは迸った。性衝動とは言いがたい、愛《いつく》しむような昂ぶりが込み上げてきた。
 圧《お》し潰すほど、クゥの唇を貪《むさぼ》った。
 半ば抗えない男性の性的興奮、コージは貪ったままフォックを外す。丸みをおびた胸の谷間に指を這わせ、めり込ませる。何故か安堵と安らぎを覚えた。
 クゥの指先がコージの腋からトランクスへ向けて、するすると進む。遊んでいるような指の仕草。トランクスのギャザーウエストに人差し指と中指が進入する。コージは無意識に腰を浮かせた。クゥは指の先端まで神経を集中させて、トランクスを膝まで滑らせた。
「なんか言えよ、クゥ」
 谷間から瞳を潤ませて、コージは囁いた。
 クゥはコージの髪を撫でる。汗でねている髪を、丹念に手櫛をした。
「好きですよー」
「あっ俺も」
 と、コージの唇はヴォリュームのある肌に押し潰されて、くぐもった声があがった。
 コージの手も、クゥのジャージのウェストゴムをしっかりと掴んでいた。乱暴に引き下げた。クゥは手伝うように腰を浮かせて促した。
 するりとクゥの指が、コージの太腿を這う。
「コージ。固くなってる」
「当たり前でしょう」
「いつから?」
「そーねぇー。クゥが窓から出てきたときから」
「嘘つき」
「嘘じゃねーよ」
 握ったままクゥは思い返していた。無意識に親指が左右に揺れ、ぬめった感触を嗜んでいた。
「そういえば、トランクスの隙間からみえたとき元気だったわ」
「寝起きの朝立ちってやつ?」
「はいはい、コージ君。そういうことにしときましょうか?」
「うっせーよ!」
 コージは上半身を滑らせた。クゥの胸がへしゃげた。強引にクゥの唇を奪う。ぷつぷつと唾液が弾け、涎が溢れだす。クゥは何か言葉を発したが、コージの胎に吸い込まれていく。ふれた唇がもごもごと波打ったので、コージは顔をあげた。
 クゥの目尻がひくひくと痙攣している。頬はほんのりと薄桃《ピンク》。
「あーあたってる。当たってる」
 コージとクゥの胎がフレンチキッス。クゥは過敏に反応する、身体が反射的に浮き沈みをする。
 胎がきゅっと切なくなったクゥは、ぼうっとして壁を眺めた。コージの視線が突き刺さるのをかんじる。その真摯な眼差しが心地いい。このままことに運ぶとなると……とおもい、クゥはコージに尋ねた。
「コージ……。由佳ちゃんはどうしてる? 寝てる?」
 コージは顔をあげた。クゥが隣の、部屋の壁を眺めていることに気づいた。妹の、由佳の部屋だった。
 コージはクゥの髪を乱暴に乱《みだ》す。コージの掌が異様に熱を帯びていた。
「たぶん……」
 いってコージは、液晶モニター付近の床を目で追った。脱ぎ捨てたティシャツがあった。扇風機が、だるそうに首を振っていた。飲みかけのジャックダニエルの瓶が転がっていた。
 AVAMPに直結していたゲームハードが無くなっている。机に放り出していたソフトも数点、無くなっている。
「ゲームしてんのと違う? メガドラ無いし」
「ん」
 クゥは、その返答に満足して、自然に頷いた。
 上半身を起こしていたコージの喉元に、クゥの指が伸びた。口紅を引くようにコージの咽仏の曲線《ライン》をなぞった。痙攣したように、咽の筋肉が大きく脈打った。
「コージの声って野太いね。でも、高いキィは女の子みたいに、かぼそいよね。可愛い」
「嬉しくねーよ! そんなこといわれても」
 床に転がった酒瓶を取ろうと、コージは手を伸ばす。アルミのキャップを捻り、酒瓶を煽る。そしてラッパ飲み。大量にテネシーウィスキーを流し込んだ。口内から溢れた黄金の液体が、大玉になってクゥのお腹を叩く。
「高域の不安定さは気にしてんの! あー早く酒焼けしてハスキィになんないかなぁ」
 クゥは笑った。吹き出すでもなく、ほくそ笑むわけでもなく、大笑いしたわけでもない。ただ自然現象として、クゥは笑った。そこには含みや皮肉といった感情は皆無だった。
「鍛えろよ。コージは短絡的過ぎ」
 そういいながらクゥは、コージがJPOPの流行である中高域に寄った楽曲を練習しているのを知っていた。夜に聴く、コージの部屋の窓からこぼれるアコースティックギターの音色と歌声。咽から搾り出して、切なく奏でるメロディに耳を傾けながら過ごしていた。
「ホントは歌って鍛えてんの、それっぽい曲。でも気が乗らねーよな、ケミとかエグザイルとか……。ソウルねぇし。ジャパニーズポップシーンでソウルフルなんて、ウルフルズぐらいじゃん」
「だったらサンボマスター歌いなよ。ソウルフルだよね」
「えー、サンボなんてただのイエローモンキージャップじゃん。ジョンレノンの影響受けすぎ。ピースはわかるけど、馬鹿丸出しだぜ。それに俺、オノヨーコ否定派だし」
「オノヨーコ、誰それ?」
「知らなかったらいいよ、かなりどうでもいいし」
 と、コージはそういって酒瓶をクゥの頭上に差しだした。「ほれ」
 クゥはゆっくりとウィスキーを流し込んだ。とたんに噎せた。ごぼごぼと濁った異音が鳴った。
「駄目だわコージ。寝てると飲みにくい」
 コージはもう一度酒瓶を握って煽る。口内に液体を残したまま、酒瓶を放り投げた。酒瓶は湿ったティシャツに落ち、衝撃を和らげて、円を描くように転がっていった。
「ん……」
 コージは唇を重ねて、クゥの胎にウィスキーを注入した。クゥの咽が、上下するのがわかった。
 クゥの頬が赤く上気する。発端に全身が、胎の内側の赤味が透けて不透明な朱に染まっていく。
「酒弱い?」
 コージはいう。
「うんにゃ、ここからが長いよ」
 と首を横に振った。
 しばらく沈黙が流れた。コージはすっとクゥの両脚を抱えた。コージの体がクゥの身体にぴたりと着いた。
「ホント……ここからが長いよね」
 コージは片目を瞑りウィンク。悪戯っぽい仕草をして、頬を和らげた。
「あーホントだ。コージはねちっこいからね。まぁ、伝わってくるからいいけど」
「クゥさん、おそれいります」
「いえいえこちらこそ」
 クゥが愛しむような視線をコージに送る。クゥの動悸に、バスドラムに叩き込まれたキックのような一撃が走った。
 ありえないが、コージに激しい鼓動が聞こえたのではないか、とクゥは戸惑った。
「いきますよークゥ」
 そのいつもと変わらないコージの声に安堵した。
 瞬間。
 また一発の衝撃が鳴った。
 クゥは、いつもしてるのに慣れないものだな、と悪態を吐いた。
 しかし、コージは、部屋のドアへ振り向いた。
 クゥは顔を顰《しか》めた。私じゃないの?
 ドア越しに、聞きなれた甘い高音が流れた。
「お兄ちゃん! セーブの仕方教えてー」
 妹の由佳だった。由佳が部屋から出たときに発しられたドアの開閉だった。
 ドアノブがガチャガチャと暴れた。
 ドアが開かれた。
「あのね、あのね、お兄ちゃん。由佳ね、こんなゲームしたことなかったから、セーブの……」
 由佳の視界に二人が映し出されて、立ち尽くした。
 コージとクゥの視線が由佳に集中する。
 由佳の口が半開きになり、唇がパクパクと動く。混乱して、上手く言葉が出なかった。
 無言で由佳は一歩後ずさる。ドアを閉めた。
 膠着状態。
「うわーん! おとーさんおかーさん。おにーちゃんが! おねーちゃんが!」
 由佳は走り出して、階段を一気に駆け降りた。その衝撃が壁を伝って二人に知らせる。
「あう!」
 連続的に階段を降りる衝撃が走っていたが、一瞬の沈黙の後、不規則《ランダム》に強い地響きが鳴った。
 あきらかに由佳が足を踏み外して転げ落ちたのが、二人には嫌でもわかった。
 二人は見合わせた。視線が繋がる。
「やっぱり下に降りないと駄目だよな」
「まーお互いほとんど裸だし。呼ばれる前に、降りていったほうがいいよね」
 二人はふれるかふれないか微妙なキスをして立ち上がった。
 扇風機は規則的に首を振っている。生暖かい微風を運ぶ。

  1. 2008/04/30(水) 02:29:49|
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素直春日お嬢様 六話

 ヘリが墜落していく。時間にしてきっちり二分した頃だろうか、へりに乗り込んでいたオペレーターが脱出した。
 いまだ動力を維持したヘリが雲を縫うようにして地上に落ちる。ときたま浮上を繰り返すヘリは、波飛沫《なみしぶき》に煽られる遭難者のようだ。
 俺は大通りを爆走して、この先に臨む海岸へ向かっていた。
 大気の壁がぶちあたる。弾丸のような風がアクリル硝子を響かせていた。
「いや、カイザー……。なに黄昏てんすか? ぜんぜん終わっていませんよ。むしろこれからっすやん」
「もういいじゃん。これから海にいって楽しく遊ぼうよ。お前もハイオク入れてやるからさー」
「うち電動自転車っす。ハイオク無理! 入れるところないっすよぉー。現実に戻ってくださいカイザー。おもいっきし兵器の抽選が行なわれてますって」
「あぁ。まあね」
 正直に、無かったことにしようかなーなんて。……おもったっていいじゃん!
 だって、一般人の想像を、遥かに凌いじゃってるもん。もう、ね――春日と砂浜ではしゃいで、その後に回転寿司とか食べちゃって、黒服と春日と喫茶店で珈琲ブレイクとか甘い幻想を抱かせて欲しい! 切に願ってるんですよ。
「んで? この後、どうなるの?」
「もう、カイザー。そんなに苦ったタルい顔しないで下さいよー。めっちゃ泣きそうじゃないですか」
「ホント、泣かせて。おうちに帰りたいの」
「しっかりして下さいよ! 春日お嬢様を操《あやつ》れるのはカイザーしか居ないんですからぁー」
 上空より、ヘリに乗った春日に睨まれつづけた緊張から解き放たれた俺は、芯が折れて弱気になっている。
「それで、先ほどの説明ですが――」
 と、ヨシオ君。どうしようなもなく、俺を現実に引き戻した。
「諸々のセッティングは完了いたしました。あとは天命を待つのみぞ、こんな感じっすね! 成功確立は半々。正直どう転ぶか、うちもわからないっすね」
 おい……。パスワード手に入れたから無問題! ノーモンダイじゃないの?
「失敗するかもって、ヨシオ君。なんでっ?」
「カイザー。時間がないんで、このランダム破壊兵器の処理が終わりましたら、ゆっくりと説明します」
「おいおい! ヨシオ君! まだ、まだなにかあるのか!」
 そうだ。液晶盤には、いまだルーレットが回りつづけている。カーソルが止まったら確定して発射になる。
 ……忘れてた。いや、全力で忘れたかった。
 どうしたらいい、俺はどうしたらいいんだ。
「ヨシオ君。わかった。覚悟を決める。やってくれ、おもいっきりやっちゃってくれ!」
「急に素直になったっすね。さすがカイザー頭の回転早いっす。わかりました! 幾多の可能性を計算してマクロを組みましたから、本当にあとはスパコンの出方次第になります。これからカイザーにはホーンを押していただきます。カイザーの作業はそれだけです」
「わかった――。これだな、これを押せばいいんだな」
 ハンドルの手摺の根元にボタンがある。丁度、親指で押せる場所だ。ふるふると震える親指の先端に力を込める。
「GO! GO! カイザー!」
「うっせー!」
 押した。押し込んだ――
 なにが起きる。これからなにが起きるんだ。
 金田バイクから超弩級のホーンが咆哮した。
 ――フィーヴァァァァァアアアアアアアア! 777番台。確立変動ノーパンク、フィーヴァースタートおめでとうございます――
「なんでパチ屋! 確変掛かってるし」
「いやー。お父様は無類のパチンコ好きなんっす」
 液晶画面が発光した。……真っ赤に染まる。
 俺はそのまま画面が消えるとおもってたから度肝を抜かれた。ってオーイ! 兵器確定してんじゃん!
 なんだ。なにに決まったんだ。ヨシオ君どういうことなの? いやぁぁあああ。
 見た。見た。見た。液晶。みた。点滅してるぅー。兵器の場所でカーソルが点滅してるって! 何? 何? なんなの? 兵器は? 何? どれ? おい! 回避できなかったの! ヨシオ君。もう義男君! yosio君ってばぁー。
 返事が返答が、ヨッシーはなんも言わない。NO! ヘブン! 決まった。決まっていた。兵器確定のお知らせ。
 ――神の玩具♪ 春日☆悪戯――
「ギャース! おまっこれっ、各国に宣戦布告してんじゃねーか! KITA●鮮かっG7入りかっ」
 次に画面が切り替わり、世界地図が表示される。下部に各国の主要都市、百二十都市がナンバーを打たれてずらっと並ぶ。最下部に二桁三桁の数字が高速で切り替わっている。
 こっこれは。ゲームメーカー光栄時代の得意な表示。
 そんなことよりも、「どれかキーを押してください」の表示が怖いよ。ピンクと赤に点滅してる。
 上部に残り時間が表示。時間にして三十秒ほどだった……。
「のあーいやー」
 勘弁! 勘弁! おしっこちびりそう。むしろでた。
 もー見るのやーんぺ! しーらないっと。ある……あるよねー。こんなことって結構頻繁にあ――
「ネーよ! ねーって」
 ヨシオ君、なんで無視するの? 冗談っていってよ、いってーさ。ぴーぴよぴよ、ぴーぴよぴよって言ってーな。
「嘘だといってよぉバーニィ」
 全身に寒気が。背筋が凍る。残りタイムが十秒を切った。
「NASA! そうだ。NASAがこんな暴挙、黙っているわけがない。素直財閥の暴挙を見逃すはずがない! ぜってー止めに入るからぁー」
 俺の叫び。しかし誰の返答もない。もう時間が迫っている。来る、タイムリミット。そしてタイムアウトがぁ。
 4――3――2――1――
「素直財閥科学研究所はNASAに対して技術提携と四割の出資をしていますんで、多分NASAは見逃しますぜ。カイザー」
 ぼぞっと電子音が聞こえた。
「ヨシオ君? その声はヨシオ君なの?」
「スパコンからの反応が薄かったので、ちょーっと焦ったっすけど……成功しました」
 おおおおおー。よかった! 耐えたぁー俺ぇS級戦犯にならずに済んだ。済んだんだよ!
「よくやった! ヨシオ君。ガッ! ジョブだ」
「正直……数億倍のスペックを持つスーパーコンピュータ相手に、よくやったと自画自賛っすね。まぁ、お父様直属のマシーンなんで手玉に取れたようなもんですから」
「どういうこと? ヨシ――」
「それよりも、です。カイザーあとの処理お願いします!」
 ヨシオ君が俺の声を、ばっさり上から掻き消した。あとの処理って……。
 液晶画面が変化して、中央部に文字が表示された。かすかに記憶のある言葉だった。
 これが選択された兵器? 冗談みたいな表示だった。
 叫び声が突如あがった。ヨシオ君のテンションマックスの電子音。すげーこんなヨシオ君、はじめてー。
「ハーイ。こちらヨシオでぃーす。やってやったぞこんチクショウォ! これからお送りするカイザーアンドヨシオーズチョイス、ジ、ウェポン! 九年の沈黙を打ち破り登場する初期型素直式兵器。レッツショータイム!」
 金田バイクの後輪が変形して、数千のバルーンが放出された。足元にあるステップが百八十度反転。両サイドにあらわれたのは、紅藍黄の三色レンズ。そこから接写《せっしゃ》された映像が空中に。子供、女の子。ひらひらのアイドル衣装に身を包んだ幼少時代の春日が映し出された。
 見た目はいまとそんなに変わらないが、現在にない無類の無邪気さがそこにあった。そして少し恥かしそうに、照れながらはにかんでいる。あー持ち帰りたい……。
 さらにアクリル硝子に半透明の文字で「愛をおぼえていますか」が浮き出てきた。
 これは……。

 ☆

「カイザー! セリフっセリフー」
「えっ? そっからやるのぉー」
「画面に台詞が表示されていますから、棒読みでもいいからはじめちゃってください」
「これってマクロス劇場版じゃねーか!」
「そうそう」
「そうそうってお前。こんな恥ずかしい台詞、言ってのか! わーったよ。えーっと……しかも、ここからかよ」
 誰がわかるんだーこのネタ。俺は画面に表示された文字を叫んだ。
「先輩だって柿崎だってみんな死んじまったんだ。やりたいことだっていっぱいあったろうに」
「かっかっ、カーキーザーキー」
 いきなり電子音。それ柿崎が出てきた瞬間、墜ちたシーン! 「ヨシオ君うっせーよ! なんで素直式兵器がミンメイアタックなんだよ!」
 そうなんだ。あの時――春日☆悪戯――から画面が切り替わって、設定された兵器が「ミンメイアタック」だった。ありえねー。ヨシオ君も柿崎ぃーとかいっちゃってノリノリだし。
 くっそー。でも、しょーがねー。核がどこぞに落ちるよりはよっぽどマシだぁ。
 えーとつづきは……と。
「君はまだ、歌がうたえるじゃないか」

 春日が待機する。ホログラムに映し出された幼い春日は、両腕を後ろにまわしている。つま先をこつこつと叩いてリズムを取っている。そして口づさんでいる。
 ――ワン、ツー、スリィー、フォー。ワン、ツー、スリィー、フォー。
「あっワンツー」
 イントロが掛かった、超時空要塞マクロスの曲。リン・ミンメイとこ素直春日が歌う「愛をおぼえていますか」。
 春日が身体いっぱい使って腕を振り上げた。全身でリズムに乗った。左右に身体を振っている。
 ここでヨシオ君の音声が入った。カラオケ状態のままAメロに突入! 春日が片手を前に押し出し、ニコリと笑う! AメロBメロに乗ってヨシオ君の解説が炸裂する!
「超時空要塞マクロス劇場版。ストーリィーは割愛。最終局面!
 宇宙軍戦艦三十、ゼントラーディ軍戦艦七十、両軍艦載機合わせて千二百。敵「素直財閥科学研究所ヘリコプター」に向かって突入!
 各戦艦は敵索レーダーを搭載、ヘリの弱点を分析して艦載機に通信。よって艦載機は回旋する二枚の羽根に対してミサイルを集中放火。撃破を狙う」
 的確な解説を披露するヨシオ君。よくわかる内容。このくすぐる展開、春日のセンスに脱帽です。
 解説が終了とともに、サビに突入。
 あふれるほほえみ。真剣な眼差し。素敵な春日。マイクを口元にそっとそえて熱唱する!

 おぼえていますか? 目と目が合ったとき。
 おぼえていますか? 手と手がふれあったとき。
 それははじめての、愛の旅立ちでした。
 I Love song
 もぅひとりぼっちじゃない、あなたがいるから。

「キタキタキタ! きたぁー」
 ここで春日の映像が反転。ホログラムで擬似化された巨大スクリーンがうちっかわに反り返り、春日フェイスのアップに替わる。真面目な面持ちで、切なく歌う狂おしいほどの春日のメロディ。
 そのスクリーンの前方に数千の艦載機が一気にミサイルを撃ち込んだ! 
 一斉にミサイルを発射。各艦載機から一閃のミサイル。それが分離して六発のミサイルが火を噴く、さらに分離して八発のミサイル。一機のミサイルから6*8=48発。全艦載機1200*48=57600発。計五万七千六百発の弾丸が大気を刻むように宙を舞った。
 360度――全方向から、ヘリめがけて火花が散った。
 一瞬――空がオレンジ染まった。刹那、ヘリを取り囲むように灰色の煙幕が空を覆いつくす。はじける快音。濃度が薄れた煙幕の下部から、ヘリは崩れ落ちるように顔を出した。
 二枚の羽根は、くの字にへしゃげている。装甲は剥がれ、骨組みがむきだしになっている。
 雄叫びをあげるように黒々とした煙硝をまきあげるヘリは落下。
 ある一機の艦載機は――最期を見逃さなかった。

 もぅひとりぼっちじゃない、あなたがいるから。
 はぁ……ん。はぁ……ん。

 甘く切ないヴォイスで歌いきった春日は、息を切らせて肩が上下にゆれていた。
 その凹に反り返った巨大スクリーンの中央に――人型に変形した艦載機が!
 太陽に照らされて、シルバーの装甲が鈍く輝いた。そして人型から飛行タイプの戦闘機に変形。ジェット噴射の朱色の火が噴射口から盛りあがった。大気の壁を突き破り、高速で敵素直財閥科学研究所ヘリに向かって突進した。
 墜落するヘリの上部に停止し、上空からヘリを見下ろす。
 艦載機の各発射口がぬるりと開き、全弾発射! ごりぃ、とへしゃげた羽根の付け根が……へし折れた。そしてもげた。
 無機質に淡々とヘリは自由落下。直後、爆音が轟いた。
「スカルワンよりデルタワンへ、任務完了! これより帰還します」
 金田バイクの液晶に表示された台詞を、俺は感無量で読み上げた。感情を込めた。
 あぁ……春日。俺、じぃーんとキたぜ!
「こちらデルタワン、了解……」
 切なく響く、ヨシオ君のささやきだった。
 ――あたりまえのラブソング。

  1. 2008/04/13(日) 12:25:58|
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