「いやーカイザー。あたりまえのラブソングでしたねー」
「まあな……。感慨に耽っているけど、どう考えても駅前付近に墜落したよな」
「そうですね。あの方向と角度だと、素直電鉄モノレール、素直市駅に落ちたんじゃないでしょうかねぇ」
「うー。大惨事だな」
「……そうですね。カイザー」
郊外の最果て、砂浜に向かって金田バイクを漕いでいく。
振り向くと、もくもくと真白の煙が立ち上る。離れた中心部の方角に、小さくみえる瓦礫と化した素直ヘリコプターが燻っていた。
運転はヨシオ君に任せて、俺は風に身を預けた。
操作はヨシオ君のオートマティック。動力は電動に切り替えた。きっかけをペダルに与えて、後は電力と惰性が金田バイクを漕ぎ進める。
「ホントお嬢様、可愛らしかったですね」
「そうそう、アレいくつのとき? ヨシオ君、九年の沈黙がどうのっていってたじゃん」
「九年前ですよ。お嬢様が八歳のときですね」
「じぇんじぇんいまと、変わらないんですけど……」
「夢の中のお嬢様、ネバーランドの住人ですからねぇ。それが素敵なんですけど」
「ふーん……。これからも春日はかわらないんだろうか、なぁ」
「それはカイザーの、気持ち一つでしょう。お嬢様は初めて人間という有機物に心を奪われましたから、染まるも熟れるもピュアであるのも、すべてはカイザーの手の中」
「そうか……。まー春日は、変わらず居て欲しいのな」
高校生になってあんなにピュアでいられる人間は、そうそういないから。春日には素直に居て欲しい。
春日には、素直財閥には、それだけの――財力、名声、影響力、そのもの力《パワー》――を確立している。
こんごも、春日が無茶をして弾圧されようとも、それら複合された力が全てを弾き返すだろう。
春日は無敵だ。周りの実力だけではない、春日当人に実力が備わっている。あとは、いかに春日を導くのか、が俺の役目じゃないだろうか……。
気負いすぎかもしれない。なにを偉そうに、と俺も思う。
が、一方的な願望でも、素直グループから頼みもされてなかろうが、俺は数々の意味合いで春日を護っていくべきだ。
上空に佇んでいた春日と黒服がくるりと体を返した。背負われたジェットから青白い火が噴く。
硝子に陽光が遮断され、鈍く太陽が輝いてみえる。下降気味に暮れゆく太陽。徐々に、真っ青な空が黄金にのびつつあった。
「そうだヨシオ君。さっき返事がなかっただろ? 教えてよ」
「スパコンハッキングのときですか?」
「うん、そう」
「あのとき、ですね……」
☆
ヨシオ君は、心中を、こう語った。
――いやーね。こちらとスパコンの、双方向の回線をいきなり送受信してたら一発でやられてました。いくらパスワードを使って進入しても、すぐにウィルスと感知されて消去されてしまします。
だっていくら安全に通信したところで、スパコンと春日様の意に背く命令をしようとしているんですから。
だからですね。はじめは送信のみでランダム兵器を停止するために回線を開きます。その際に、ルーレットを操作する容量が足りないので、兵器を確定させます。
なんでも良かったんですが、今回は「神の玩具♪ 春日☆悪戯」に決まりました。
その間、兵器発動までのタイムラグ中に停止命令をします。今回は各国主要都市の選択です。
もちろん瞬間的にウィルスを感知してスパコンが破壊しにきますが、こちらはその破壊行動を予想して回避するように、事前にプログラムを組んでおきました。
わかりきっていますが……予想が一つでも間違っていたらアウトです。ですから何万何十万桁のケースを用意しました。破壊行動の数をこちらが用意したケースを上回っていれば勝利です。
で、事前に準備していたプログラムを行使している最中に別の兵器を替わりに発動させなければなりません。なににせよ、兵器を発動させなければ、このランダム各種兵器プログラムが終了することはありませんから。
その停止命令中にオンラインに切り替えて、兵器を変更させます。
普通に変更しようものなら、スパコンになにをされるかわかりません。そのための事前プログラムです。
時間もありませんでしたから。ぐずぐずしていると時間切れで、各国どこかしらに神の雷《テゥールハンマー》が発射されてしましいます。
スパコンからのジャミングは完全に事前プログラムに任せて、兵器変更に専念しました。
当然……停止命令と兵器変更を同時に行なえるほど、性能が高いわけじゃありません。しかも相手は、素直シティの地下に鎮座する超弩級のスーパーコンピューター。
残り0,87秒ですね。兵器の変更と回線を切断できたのは。
回線を切る直前、別窓に常駐させていたプログラムを確認すると、ほぼスパコンに相殺されていましたよ。残っている実行データはざっと見で、百ちょい。一秒しかもたなかった。すんでで成功しました。
だからカイザーに返事ができなかったんですよ。
えぇ? なんで「愛をおぼえていますか」ですって?
可愛いじゃないですか、春日お嬢様。カイザーに一度見てほしかったんですよ、幼少の春日お嬢様を。まぁ、いまとあんまり変わらないですが。いいじゃないですかぁ、カイザーにはお嬢様の全てを知ってほしいですね。
素直春日お嬢様と対等に或ることができうる人間は、カイザー以外に考えられません。
とまぁ、そういいましたが、もう一つ。
「愛をおぼえていますか」の他に損害程度の低い兵器は無かったんですよね、正直。
いや、ダメージが凄すぎる。尋常じゃありませんよ。基本的に開発される兵器は国家が滅ぶクラスの物しかありませんでしたから。
ここで知っていて欲しいんですが――春日お嬢様直属から末端までのAI思考ルーチンは、完全にお嬢様寄りです。
すなわち、お嬢様が喜ぶようにAIは学習しております。
ですから……。
通常、春日お嬢様付けのAIは、嬉々としてランダム兵器を実行するでしょう。彼らを想像するに、多分、素直式地殻操作システムを選ぶはずです。
だって、無駄に大げさでまわりくどくて、面白いじゃないですか。一応、うちだって春日お嬢様製作のAIですから、面白いと思いますもん。
では、何故、そうしなかったのか?
不肖ヨシオは、お父様直属のマシーンなんです。お父様にプレゼントされたマシーンになりますので、完全に独立しています。
そりゃ春日様の製作ですので、横の繋がりはありますよ。AI同士で情報交換もしますし、必要とあればお父様以外の人物も乗せます。現にカイザーを乗せているでしょう。
だから、ランダム兵器を回避できたんです。
はっきり言って、うちがお嬢様直属のAIだったら100%負けてましたね。同じ直属同士だと、数億倍の性能を持つスパコンに思考が読まれますから、太刀打ちできませんよ。
まず負けます。まずもって敗北。勝てる要素を見出せません。
それでもアタックできたのは、うちがお父様直属のAIだからです。
元々お嬢様の情報を持っています。そのうえお父様の直属で、スパコンからはうちの思考ルーチンを読みにくいはず。だから勝てる見込みが出てきたんですよ。
それでも半々だったのは、さすが超弩級スーパーコンピューター、と言えますね。
えへへ、ちょっと偉そうでしたか……。
ほらカイザー。春日お嬢様が砂浜でお待ちしていますよ。いそいで向かいましょうよ!
☆
金田バイクは坂道に差し掛かった。登りの坂道。視界は登りの道路に遮断されていた。越えれば前方にひろがる海がある。
春日が居る、黒服が居る。すこしむっつりした、表情の薄い春日の笑顔がある。
あいたくなった。無性にあいたくなる。
ただ単に、幼少の頃の春日に心を奪われたわけではない。無機質なAIにしか心を通わせる春日をいじらしくおもった、だけではじゃない。
素直。そして、なり、はクール。その145cmに満たない小さな身体に秘めた、燃えるような熱量――情熱。
春日の生い立ちからなる純粋な原石を、育まなければならないのではないだろうか。いんや……。
俺がそうしたい。
実はカイザーとか、からかわれているような呼び方をされても、嫌な気持ちじゃなかったんだよな、別に。
だから俺は、春日をこのまま素直財閥の春日お嬢様として、甘えて成長していって欲しいとおもうんだ。社会的に適応してなくてもいいじゃんか。
一般人が本質を知らずに流行を鵜呑みにして間違った知識を常識としていく中、春日は独自の道《みらい》を歩んでいけばいい。特異な環境で育った春日は、ピュアで恥ずかしく生きていってほしいんだ。
その風上に俺が立って、全てを受け止めるぐらいに。
「そろそろ砂浜でっせ」
ヨシオ君のヴォイス。とりあえずの終焉を迎えるのか。
日中の出来事――嘘のような爆破行為。俺も加担した爆破。
一瞬だった……。
前方より、登り坂の終着点が迫ってくる。潮風が漂って、俺の鼻先を掠めた。
もうすぐだ。春日と黒服、あいたい。頂上からみる春日と黒服の姿は小さいだろう。
急《せ》る気持ちが脚を速め、一気に上り坂を登った。
「いくぜ!」
駆け上がった。陽光が視界を貫く、一面がホワイトカラーに包まれた。そしてぼやけ、千切れるように光がのびゆく。砂浜が一面を覆い尽くした。
「春日ぃ!」
「春日お嬢様ぁ!」
俺とヨシオ君は春日の姿も確認しないまま、大声で雄叫びをあげた。
春日と黒服の姿がみえた。手を振っている。俺たちを迎え入れるように、二人はやさしいほほえみだった。姿が小さい二人だけど、なんとなくそうほほえんでいるように感じたんだ。
下り坂を、埃や土煙を撒き散らしながら、めいっぱい金田バイクをこぎ進め、二人の元に向かった。
扇風機が無造作に首を振っていた。窓が全開にされている。カーテンがやわらかく波打っていた。摂氏二十六度、湿った微風を扇風機が運びこむ。
攪拌された微風が漂い、六畳の室内は蒸れてた。
ベッドが軋んだ。もぞもぞと布団が移動する。寝苦しさを通り越した木下嵩児《コノシタコージ》は、無意識に布団を蹴落とした。
目が覚める。おもむろに上半身を起こし、部屋を流し見た。HDDレコーダーの、オレンジのデシタル表示が目に入った。二十二時三十分。
ベッドから降りた。汗でびったりとティシャツが背中に張りついている。半袖ティシャツとトランクス姿だった。軽く汗ばんだ髪を手櫛で払う。箪笥からよれたティシャツを取り出して着替えた。汗で濡れたティシャツを放り投げる。箪笥の横に立て掛けてあったアコースティックギターを手に取った。
コードを押さえ、弦を撫でた。ナイロン弦特有の、緩い濁った音色が鳴った。
身体をベッドへ投げ出して、寝転がった。そのまま胸下に抱えたギターを弾く。湿気を含んだ箱から振動を感じる。エレクトリックギターにはない、あたたかなアナログの音色がある。引っ掻くように弦を弾く。匂いたつハーモニィを、胎に深く沁みこませた。
口笛を吹いた。ぬけるように高音が響いた。ねばっこく絡みつくアコースティックギターの緩い低音が、口笛と共鳴する。弦を弾く速度が増す。口笛が力強く吹き出され、必然に歌声へと替わった。
微風が振動した。箱から繰り出される音、直接ナイロン弦から弾かれる音、潰れた喉声。
廃頽的なロックンロールが吐き出された。
――愛という憎悪。ジョニーウォーカー、ハイライト、流行らない大麻。溺れてやろうぜ、愛憎というカフェイン。
踵がリズムを刻む。身体が跳ねる。砕け散っていく感覚。ちりちりと痺れる神経。加速度的にのめり込んでいく。
間奏の、螺旋ソロ。しっかりと指先に抓まれたピックが暴れ倒す。
そこへ、ノイズが雑じった。無機質な電子音。ベッド脇のコードレスフォンから、内線の呼び出しだった。単調な内線のメロディで、熱がすぅっと冷めた。コードレスフォンの、褐色の液晶には内線番号4番と表示されていた。
コージは、この時間の演奏で親が苦情を言い出したのか、と気にしたが違った。親が普段使用する内線は一番もしくは二番だった。そしてコージの妹が三番である。
家族では無い、とコージは少し安心して受話器を耳に当てた。
「なに?」
「起きた? ギターの音がしたからね。じゃっ、そういうことで」
「なんじゃそら」
コージは受話器を放り出し、ソロを弾く。内線で気が紛れ、淡々と一弦から五弦をてきとうにこじいた。喉を震わせて、不安定な声色を搾り出す。高域が切なく鳴いていた。
窓の外から物音がした。コージは下げていた頭を上げる。窓をみた。窓の外から、ひょっこりと頭が飛び出した。コージにとって、見慣れた頭、見慣れた光景、慣れた日常だった。
二階の窓から顔を出したのは、幼馴染の素直空《スナオクゥ》だった。梯子をよじ登ってきたクゥは、窓枠に上半身をのせて手をあげた。カランカラン、とロープで結ばれた木製の梯子がはしゃいでいる。
「よっ」
「よっじゃないよ。はいはい、もー危ないからね、さっさと中に入って来い」
クゥはごろごろと転がり込んだ。
サイドにテープラインが入ったジャージ姿。クゥは頭を掻きながら、コージの正面に立った。
「コージの、その上から目線がむかつく。せっかくお姉さんが遊びにきたのに」
「いやいやクゥ、同級生でしょ?」
「まあね。だけどコージは、学年で一番背が小さくて、しかも童顔だからね」
クゥは真顔でいいはなった。ベッドに座るコージの隣に並んで、ぶっきらぼうに腰を下ろした。
コージは苦笑して、クゥの前髪をそっと掻きわけた。
「童顔だから仕方ないって? どっちかっていうと、その身長と大人びた面は同じ高三とは思えないんだけど……。ど?」
コージの瞳をクゥは直視した。呼吸が頬に感じるほどの間近だった。コージは、クゥの息が唇にあたってくすぐったい。
「幼馴染の隣に住む綺麗なお姉さんで、オーケー。ん? コージ」
クゥは小首を傾げた。喋りながらクゥの唇が、何度もコージの唇にふれていた。コージはそっと唇を遠ざけると、カスタードの甘味を感じた。「クゥ、さっきなに食べた? カスタードの味がしたけど」
きょとん、と目をまあるくしたクゥは天井を見上げた。上半身を勢いに任せてベッドへ寝転がった。
「エクレア……六つ。チョコレートの味もしなかった?」
力を抜いてベッドに身体を預け、けだるくコージを見上げるクゥ。首をねじって、全身を眺めるコージ。クゥとコージの視線が繋がる。
「それ、食べすぎだろ。六っ個って」
「うまかった。コージの分も持ってきたらよかったね」
ちらり、とコージの視線がクゥのお腹にはしった。
「そんだけ食べたら残ってないだろ」
「あーそうだった。忘れてた」
そういってクゥは、コージのトランククスのウエストゴムをつまんだ。引っ張ってパチンパチンとゴムを鳴らしている。クゥの、上のジャージの裾が捲くれあがり、へそが顔を覗かせていた。真っ白のもち肌があらわになっている。
コージはクゥから視線を外した。なんとなく手持ちぶたさから、ギターを弾いた。ピアニシモの演奏。コージは背中越しにクゥに話し掛けた。
「お前、インナーぐらい着てこいよ。ジャージの下、裸かよ」
「あー違う違う。ブラ着けてるよ、下も。――みる?」
「はいはい、みないみない。みませんよー」
コージの呆れたニュアンスだった。脚を組んだコージはコードを確認してピックを滑らせた。マイナーコードのBGMが奏でられる。
一旦伸びをしたクゥは、薄っすらと生あくびをした。軽く目頭に微量の涙が溜まり、揉みこむように指の関節で涙を拭った。体を回転させて寝転がり、コージの腰に腕を回した。コージの硬い太腿に頭を乗せて、見上げた。「あいたっ」
アコースティックギターにあたり、頭がずり落ちてベッドが弛む。
「パンイチの癖に、よく言いますな。コージ君」
クゥはトランクスの縁を抓んで、揉んでいる。
「あらら? クゥさんも、みますか?」
からかうようにコージは呟いた。
「うーん。もう、みえてるんだよね」
「あん?」
コージは身体を捻って見下ろした。クゥの顔が、太腿のすぐ傍にあった。組んでいた脚の間を眺めていた。
引き寄せられる感覚が互いによぎった。目があう。コージの手が止まった。ギターの和音が引いていった。扇風機のノイズが二人の耳をうった。扇風機の首振りの、カタンという振動が定期的に流れた。
じっと視線が絡みあい、クゥの唇が震えた。
「したげよーか? コージ」
おもむろにコージは立ち上がった。回していた腕が外れ、クゥの身体がベッドに埋もれた。
「あほか」
コージは歩き出し、勉強机の椅子に座わる。山積みになったCDケースから、一番上に乗っているCDを手に取った。ブランキージェットシティーだった。
ミニコンポの電源を入れ、CDトレイを吐き出させた。セットされていたCDを取り出し、先ほど手に取ったCDをトレイに載せる。再生ボタンを押そうとした瞬間、
「コージ、CDはいいよ」
と、うつ伏せになっていたクゥが、ベッドに面を押しつけてくぐもった声色を囁いた。
クゥは身体を返して上向きになった。腰を浮かせ、もぞもぞと枕元まで移動する。枕に頭をのせようとして身体をあげた。勢いよく頭を下ろすと、ベッドの木枠に後頭部をぶつけた。
「あいたた……」
ずるずると、ぶつけた木枠から頭が滑り落ちて、枕に納まった。
「ばかだねー」
コージは笑った。クゥを、尋常じゃないほど、抱きしめたくなった。
コージは脚を伸ばして、扇風機をクゥに向けた。無理矢理に扇風機の首を捻じった。扇風機は逆の方向へ向けられ、反発してガガガ、と軋んだ。
「どお? クゥ、涼しい?」
コージは言う。
「うんにゃ。生暖かい風がくるだけ」
と、首を横に振る。クゥは薄っすらと微笑んだ。口元が開き、笑窪が浮きでる。
クゥの唇が歪んだ。ぼそぼそと波打った。瞳の奥に愛情を宿した、やわいほほえみをした。
「コージ」
「ん?」
「うた、ききたい」
「なんの楽曲?」
「サニーデイ」
「アレ? いいけど……」
コージはギターを担ぎなおした。脚を組み、箱を抱えた。ピックで頭の頭皮をこりこりと掻いた。そして構える。ピックを振り下ろすとき、一瞬、躊躇した。
サニーデイ・サービスはどちらかというと、GS《グループサウンズ》やフォークに近い、と思い巡らせて苦笑した。
コージはピックを振りあげたまま、片方の掌で箱を叩いた。リズムをとる。ツゥービート。
「じゃーいきますよー。クゥ」
コージは身体を縦に揺らし、クゥを上目で覗き込んだ。
クゥはすぅーっとコージを流しみて、ベッドの脇を叩いた。クッションの効いた沈んだ音が鳴る。
「コージ、こっち」
いって、クゥはコージを立たせた。クゥはお腹を中心に体をくの字に曲げて、コージをベッドへ座らせる。猫のようにまるまって、脚をコージの太腿にのせ、膝をさわった。
「早く、うたえ」
「はいはい」
コージはピックを振り下ろした。
第一音。うねった。
箱からの衝音がコージを介してクゥの胎に浸透する。
水溜り走行《はし》る車両《くるま》に乗って、恋人攫《さら》って何処かへ行きたい。
雨上がりの街鈍い光浴びて、虹に追われて何処かへ行きたいんです。
日曜日に火を点けて燃やせば、喪失《なく》した週末が立ち昇る。
デブでよろよろの太陽をみつめれば、白い幻影《まぼろし》が、ほぅら、映るんです。
闇《よる》がやってきて僕に仄《ささや》くんだ。
ねぇはやく、ねぇはやく、キスしなよって。
雨が次いつ降るかわからないから、恋人《あのこ》を連れて何処かに行きたいんです。
うーらららー。うーらららー。サヨナラ。
夏が到来《き》てるって、誰かがいってたよ。
何度も振りかぶったピック、肉厚の弦を叩きつける。粘りのあるナイロン弦は、押さえたコードの指から逃げ出すように、乱暴に弾けている。音色は箱のなかで共鳴しあって、暴力的に搾り出される。分厚く絡まったハーモニィーは室内を切り裂き、蠢いた。
ねっとりと湿った微風が扇風機にのって、二人の身体に纏わりつく。室内温度が一気に上昇した。
コージの額から汗が吹き出る。ティシャツが背中に張りついて、汗がひろがり、滲む。太腿に膜がはったように汗をかいている。
クゥは、てのひらで、コージの温度とぬめった雫をかんじていた。
コージはクゥを背中越しに確かめ、鋭くバッキングを繰り返す。じんっと胎に音楽が浸っていく。クゥも、じゅんわりと音楽が入り込んでいく。コージの胎がクゥの胎にエネルギィを伝える。
コージの前髪から汗が飛び散った。うなじに汗が溢れていく。身体が急激に振動する。突き刺すように視線を外部《そと》へ送った。
「クゥ。うたえよ」
「ん」
こくり、とクゥは頷いた。
水溜り走行る車両に乗って、白い大きな車両に乗って。
雨上がりの街鈍い光浴びて、恋人を連れて何処かに行きたいんです。
らーららららーららららーららららー。
らーららららーららららーららららー。
コージの胸が上下に弾んだ。肺活量ぎりぎりの吐き出した息《ブレス》。歓喜《うたごえ》。そして烈しい衝動。コージはクゥにのしかかる。コージとクゥ、視線が繋がる。
くの字に丸まっていたクゥの肩を押しつけ、コージは馬乗りになる。
「おもいぞ」
クゥの真摯な眼差し。ねっとりと絡みついた視線。鼓動が高鳴る。二人は、暴力衝動に駆られた鼓動に胸を殴られた。馬乗りになって圧《お》さえつけていたクゥの両肩が軋んだ。
コージはクゥの肩に手ごたえを感じ、一瞬にして破顔《はがん》した。体重を膝で支え、コージは肩から掌をすべられて、そっと手首を掴んだ。クゥの指の合間に、甘えるようにして指を差し込んだ。しっかりと握りしめる。
クゥは一直線にコージの瞳をみつめている。
なあクゥ、シャワー浴びた? ここにくる前に入ってきた。そっか……俺、まだ、入ってないんだけど。けど? しかも、おもいっきりシャウトしたし、汗だくだし。うん……、っで? だから、汗でべちゃべちゃだぜ。わたしも歌ったから、負けず劣らずコージとあんま変わらん、よ? クゥ気にする? 大して。それは良かった。どう致しまして。
コージは汗で駄目にしたティシャツを脱ぎ捨てた。がっしりとしたコージの肉体から微量の熱気があがる。
クゥは急いで俯いた。ジャージのジップアップを引き下げた。プラスティックの乾いた、心地いい快音がコージの耳をくすぐった。フロントフォックが、ちらりと顔を覗かせた。プラスティックの重量で、ジャージは身体を流れるように両サイドへ落ちた。
脂肪ののった、ふにゃりとやわい身体が、コージの視線を縛りつける。簡素な刺繍がはいった綿糸のブラ。黄味がかった白。
コージは迸った。性衝動とは言いがたい、愛《いつく》しむような昂ぶりが込み上げてきた。
圧《お》し潰すほど、クゥの唇を貪《むさぼ》った。
半ば抗えない男性の性的興奮、コージは貪ったままフォックを外す。丸みをおびた胸の谷間に指を這わせ、めり込ませる。何故か安堵と安らぎを覚えた。
クゥの指先がコージの腋からトランクスへ向けて、するすると進む。遊んでいるような指の仕草。トランクスのギャザーウエストに人差し指と中指が進入する。コージは無意識に腰を浮かせた。クゥは指の先端まで神経を集中させて、トランクスを膝まで滑らせた。
「なんか言えよ、クゥ」
谷間から瞳を潤ませて、コージは囁いた。
クゥはコージの髪を撫でる。汗でねている髪を、丹念に手櫛をした。
「好きですよー」
「あっ俺も」
と、コージの唇はヴォリュームのある肌に押し潰されて、くぐもった声があがった。
コージの手も、クゥのジャージのウェストゴムをしっかりと掴んでいた。乱暴に引き下げた。クゥは手伝うように腰を浮かせて促した。
するりとクゥの指が、コージの太腿を這う。
「コージ。固くなってる」
「当たり前でしょう」
「いつから?」
「そーねぇー。クゥが窓から出てきたときから」
「嘘つき」
「嘘じゃねーよ」
握ったままクゥは思い返していた。無意識に親指が左右に揺れ、ぬめった感触を嗜んでいた。
「そういえば、トランクスの隙間からみえたとき元気だったわ」
「寝起きの朝立ちってやつ?」
「はいはい、コージ君。そういうことにしときましょうか?」
「うっせーよ!」
コージは上半身を滑らせた。クゥの胸がへしゃげた。強引にクゥの唇を奪う。ぷつぷつと唾液が弾け、涎が溢れだす。クゥは何か言葉を発したが、コージの胎に吸い込まれていく。ふれた唇がもごもごと波打ったので、コージは顔をあげた。
クゥの目尻がひくひくと痙攣している。頬はほんのりと薄桃《ピンク》。
「あーあたってる。当たってる」
コージとクゥの胎がフレンチキッス。クゥは過敏に反応する、身体が反射的に浮き沈みをする。
胎がきゅっと切なくなったクゥは、ぼうっとして壁を眺めた。コージの視線が突き刺さるのをかんじる。その真摯な眼差しが心地いい。このままことに運ぶとなると……とおもい、クゥはコージに尋ねた。
「コージ……。由佳ちゃんはどうしてる? 寝てる?」
コージは顔をあげた。クゥが隣の、部屋の壁を眺めていることに気づいた。妹の、由佳の部屋だった。
コージはクゥの髪を乱暴に乱《みだ》す。コージの掌が異様に熱を帯びていた。
「たぶん……」
いってコージは、液晶モニター付近の床を目で追った。脱ぎ捨てたティシャツがあった。扇風機が、だるそうに首を振っていた。飲みかけのジャックダニエルの瓶が転がっていた。
AVAMPに直結していたゲームハードが無くなっている。机に放り出していたソフトも数点、無くなっている。
「ゲームしてんのと違う? メガドラ無いし」
「ん」
クゥは、その返答に満足して、自然に頷いた。
上半身を起こしていたコージの喉元に、クゥの指が伸びた。口紅を引くようにコージの咽仏の曲線《ライン》をなぞった。痙攣したように、咽の筋肉が大きく脈打った。
「コージの声って野太いね。でも、高いキィは女の子みたいに、かぼそいよね。可愛い」
「嬉しくねーよ! そんなこといわれても」
床に転がった酒瓶を取ろうと、コージは手を伸ばす。アルミのキャップを捻り、酒瓶を煽る。そしてラッパ飲み。大量にテネシーウィスキーを流し込んだ。口内から溢れた黄金の液体が、大玉になってクゥのお腹を叩く。
「高域の不安定さは気にしてんの! あー早く酒焼けしてハスキィになんないかなぁ」
クゥは笑った。吹き出すでもなく、ほくそ笑むわけでもなく、大笑いしたわけでもない。ただ自然現象として、クゥは笑った。そこには含みや皮肉といった感情は皆無だった。
「鍛えろよ。コージは短絡的過ぎ」
そういいながらクゥは、コージがJPOPの流行である中高域に寄った楽曲を練習しているのを知っていた。夜に聴く、コージの部屋の窓からこぼれるアコースティックギターの音色と歌声。咽から搾り出して、切なく奏でるメロディに耳を傾けながら過ごしていた。
「ホントは歌って鍛えてんの、それっぽい曲。でも気が乗らねーよな、ケミとかエグザイルとか……。ソウルねぇし。ジャパニーズポップシーンでソウルフルなんて、ウルフルズぐらいじゃん」
「だったらサンボマスター歌いなよ。ソウルフルだよね」
「えー、サンボなんてただのイエローモンキージャップじゃん。ジョンレノンの影響受けすぎ。ピースはわかるけど、馬鹿丸出しだぜ。それに俺、オノヨーコ否定派だし」
「オノヨーコ、誰それ?」
「知らなかったらいいよ、かなりどうでもいいし」
と、コージはそういって酒瓶をクゥの頭上に差しだした。「ほれ」
クゥはゆっくりとウィスキーを流し込んだ。とたんに噎せた。ごぼごぼと濁った異音が鳴った。
「駄目だわコージ。寝てると飲みにくい」
コージはもう一度酒瓶を握って煽る。口内に液体を残したまま、酒瓶を放り投げた。酒瓶は湿ったティシャツに落ち、衝撃を和らげて、円を描くように転がっていった。
「ん……」
コージは唇を重ねて、クゥの胎にウィスキーを注入した。クゥの咽が、上下するのがわかった。
クゥの頬が赤く上気する。発端に全身が、胎の内側の赤味が透けて不透明な朱に染まっていく。
「酒弱い?」
コージはいう。
「うんにゃ、ここからが長いよ」
と首を横に振った。
しばらく沈黙が流れた。コージはすっとクゥの両脚を抱えた。コージの体がクゥの身体にぴたりと着いた。
「ホント……ここからが長いよね」
コージは片目を瞑りウィンク。悪戯っぽい仕草をして、頬を和らげた。
「あーホントだ。コージはねちっこいからね。まぁ、伝わってくるからいいけど」
「クゥさん、おそれいります」
「いえいえこちらこそ」
クゥが愛しむような視線をコージに送る。クゥの動悸に、バスドラムに叩き込まれたキックのような一撃が走った。
ありえないが、コージに激しい鼓動が聞こえたのではないか、とクゥは戸惑った。
「いきますよークゥ」
そのいつもと変わらないコージの声に安堵した。
瞬間。
また一発の衝撃が鳴った。
クゥは、いつもしてるのに慣れないものだな、と悪態を吐いた。
しかし、コージは、部屋のドアへ振り向いた。
クゥは顔を顰《しか》めた。私じゃないの?
ドア越しに、聞きなれた甘い高音が流れた。
「お兄ちゃん! セーブの仕方教えてー」
妹の由佳だった。由佳が部屋から出たときに発しられたドアの開閉だった。
ドアノブがガチャガチャと暴れた。
ドアが開かれた。
「あのね、あのね、お兄ちゃん。由佳ね、こんなゲームしたことなかったから、セーブの……」
由佳の視界に二人が映し出されて、立ち尽くした。
コージとクゥの視線が由佳に集中する。
由佳の口が半開きになり、唇がパクパクと動く。混乱して、上手く言葉が出なかった。
無言で由佳は一歩後ずさる。ドアを閉めた。
膠着状態。
「うわーん! おとーさんおかーさん。おにーちゃんが! おねーちゃんが!」
由佳は走り出して、階段を一気に駆け降りた。その衝撃が壁を伝って二人に知らせる。
「あう!」
連続的に階段を降りる衝撃が走っていたが、一瞬の沈黙の後、不規則《ランダム》に強い地響きが鳴った。
あきらかに由佳が足を踏み外して転げ落ちたのが、二人には嫌でもわかった。
二人は見合わせた。視線が繋がる。
「やっぱり下に降りないと駄目だよな」
「まーお互いほとんど裸だし。呼ばれる前に、降りていったほうがいいよね」
二人はふれるかふれないか微妙なキスをして立ち上がった。
扇風機は規則的に首を振っている。生暖かい微風を運ぶ。
ヘリが墜落していく。時間にしてきっちり二分した頃だろうか、へりに乗り込んでいたオペレーターが脱出した。
いまだ動力を維持したヘリが雲を縫うようにして地上に落ちる。ときたま浮上を繰り返すヘリは、波飛沫《なみしぶき》に煽られる遭難者のようだ。
俺は大通りを爆走して、この先に臨む海岸へ向かっていた。
大気の壁がぶちあたる。弾丸のような風がアクリル硝子を響かせていた。
「いや、カイザー……。なに黄昏てんすか? ぜんぜん終わっていませんよ。むしろこれからっすやん」
「もういいじゃん。これから海にいって楽しく遊ぼうよ。お前もハイオク入れてやるからさー」
「うち電動自転車っす。ハイオク無理! 入れるところないっすよぉー。現実に戻ってくださいカイザー。おもいっきし兵器の抽選が行なわれてますって」
「あぁ。まあね」
正直に、無かったことにしようかなーなんて。……おもったっていいじゃん!
だって、一般人の想像を、遥かに凌いじゃってるもん。もう、ね――春日と砂浜ではしゃいで、その後に回転寿司とか食べちゃって、黒服と春日と喫茶店で珈琲ブレイクとか甘い幻想を抱かせて欲しい! 切に願ってるんですよ。
「んで? この後、どうなるの?」
「もう、カイザー。そんなに苦ったタルい顔しないで下さいよー。めっちゃ泣きそうじゃないですか」
「ホント、泣かせて。おうちに帰りたいの」
「しっかりして下さいよ! 春日お嬢様を操《あやつ》れるのはカイザーしか居ないんですからぁー」
上空より、ヘリに乗った春日に睨まれつづけた緊張から解き放たれた俺は、芯が折れて弱気になっている。
「それで、先ほどの説明ですが――」
と、ヨシオ君。どうしようなもなく、俺を現実に引き戻した。
「諸々のセッティングは完了いたしました。あとは天命を待つのみぞ、こんな感じっすね! 成功確立は半々。正直どう転ぶか、うちもわからないっすね」
おい……。パスワード手に入れたから無問題! ノーモンダイじゃないの?
「失敗するかもって、ヨシオ君。なんでっ?」
「カイザー。時間がないんで、このランダム破壊兵器の処理が終わりましたら、ゆっくりと説明します」
「おいおい! ヨシオ君! まだ、まだなにかあるのか!」
そうだ。液晶盤には、いまだルーレットが回りつづけている。カーソルが止まったら確定して発射になる。
……忘れてた。いや、全力で忘れたかった。
どうしたらいい、俺はどうしたらいいんだ。
「ヨシオ君。わかった。覚悟を決める。やってくれ、おもいっきりやっちゃってくれ!」
「急に素直になったっすね。さすがカイザー頭の回転早いっす。わかりました! 幾多の可能性を計算してマクロを組みましたから、本当にあとはスパコンの出方次第になります。これからカイザーにはホーンを押していただきます。カイザーの作業はそれだけです」
「わかった――。これだな、これを押せばいいんだな」
ハンドルの手摺の根元にボタンがある。丁度、親指で押せる場所だ。ふるふると震える親指の先端に力を込める。
「GO! GO! カイザー!」
「うっせー!」
押した。押し込んだ――
なにが起きる。これからなにが起きるんだ。
金田バイクから超弩級のホーンが咆哮した。
――フィーヴァァァァァアアアアアアアア! 777番台。確立変動ノーパンク、フィーヴァースタートおめでとうございます――
「なんでパチ屋! 確変掛かってるし」
「いやー。お父様は無類のパチンコ好きなんっす」
液晶画面が発光した。……真っ赤に染まる。
俺はそのまま画面が消えるとおもってたから度肝を抜かれた。ってオーイ! 兵器確定してんじゃん!
なんだ。なにに決まったんだ。ヨシオ君どういうことなの? いやぁぁあああ。
見た。見た。見た。液晶。みた。点滅してるぅー。兵器の場所でカーソルが点滅してるって! 何? 何? なんなの? 兵器は? 何? どれ? おい! 回避できなかったの! ヨシオ君。もう義男君! yosio君ってばぁー。
返事が返答が、ヨッシーはなんも言わない。NO! ヘブン! 決まった。決まっていた。兵器確定のお知らせ。
――神の玩具♪ 春日☆悪戯――
「ギャース! おまっこれっ、各国に宣戦布告してんじゃねーか! KITA●鮮かっG7入りかっ」
次に画面が切り替わり、世界地図が表示される。下部に各国の主要都市、百二十都市がナンバーを打たれてずらっと並ぶ。最下部に二桁三桁の数字が高速で切り替わっている。
こっこれは。ゲームメーカー光栄時代の得意な表示。
そんなことよりも、「どれかキーを押してください」の表示が怖いよ。ピンクと赤に点滅してる。
上部に残り時間が表示。時間にして三十秒ほどだった……。
「のあーいやー」
勘弁! 勘弁! おしっこちびりそう。むしろでた。
もー見るのやーんぺ! しーらないっと。ある……あるよねー。こんなことって結構頻繁にあ――
「ネーよ! ねーって」
ヨシオ君、なんで無視するの? 冗談っていってよ、いってーさ。ぴーぴよぴよ、ぴーぴよぴよって言ってーな。
「嘘だといってよぉバーニィ」
全身に寒気が。背筋が凍る。残りタイムが十秒を切った。
「NASA! そうだ。NASAがこんな暴挙、黙っているわけがない。素直財閥の暴挙を見逃すはずがない! ぜってー止めに入るからぁー」
俺の叫び。しかし誰の返答もない。もう時間が迫っている。来る、タイムリミット。そしてタイムアウトがぁ。
4――3――2――1――
「素直財閥科学研究所はNASAに対して技術提携と四割の出資をしていますんで、多分NASAは見逃しますぜ。カイザー」
ぼぞっと電子音が聞こえた。
「ヨシオ君? その声はヨシオ君なの?」
「スパコンからの反応が薄かったので、ちょーっと焦ったっすけど……成功しました」
おおおおおー。よかった! 耐えたぁー俺ぇS級戦犯にならずに済んだ。済んだんだよ!
「よくやった! ヨシオ君。ガッ! ジョブだ」
「正直……数億倍のスペックを持つスーパーコンピュータ相手に、よくやったと自画自賛っすね。まぁ、お父様直属のマシーンなんで手玉に取れたようなもんですから」
「どういうこと? ヨシ――」
「それよりも、です。カイザーあとの処理お願いします!」
ヨシオ君が俺の声を、ばっさり上から掻き消した。あとの処理って……。
液晶画面が変化して、中央部に文字が表示された。かすかに記憶のある言葉だった。
これが選択された兵器? 冗談みたいな表示だった。
叫び声が突如あがった。ヨシオ君のテンションマックスの電子音。すげーこんなヨシオ君、はじめてー。
「ハーイ。こちらヨシオでぃーす。やってやったぞこんチクショウォ! これからお送りするカイザーアンドヨシオーズチョイス、ジ、ウェポン! 九年の沈黙を打ち破り登場する初期型素直式兵器。レッツショータイム!」
金田バイクの後輪が変形して、数千のバルーンが放出された。足元にあるステップが百八十度反転。両サイドにあらわれたのは、紅藍黄の三色レンズ。そこから接写《せっしゃ》された映像が空中に。子供、女の子。ひらひらのアイドル衣装に身を包んだ幼少時代の春日が映し出された。
見た目はいまとそんなに変わらないが、現在にない無類の無邪気さがそこにあった。そして少し恥かしそうに、照れながらはにかんでいる。あー持ち帰りたい……。
さらにアクリル硝子に半透明の文字で「愛をおぼえていますか」が浮き出てきた。
これは……。
☆
「カイザー! セリフっセリフー」
「えっ? そっからやるのぉー」
「画面に台詞が表示されていますから、棒読みでもいいからはじめちゃってください」
「これってマクロス劇場版じゃねーか!」
「そうそう」
「そうそうってお前。こんな恥ずかしい台詞、言ってのか! わーったよ。えーっと……しかも、ここからかよ」
誰がわかるんだーこのネタ。俺は画面に表示された文字を叫んだ。
「先輩だって柿崎だってみんな死んじまったんだ。やりたいことだっていっぱいあったろうに」
「かっかっ、カーキーザーキー」
いきなり電子音。それ柿崎が出てきた瞬間、墜ちたシーン! 「ヨシオ君うっせーよ! なんで素直式兵器がミンメイアタックなんだよ!」
そうなんだ。あの時――春日☆悪戯――から画面が切り替わって、設定された兵器が「ミンメイアタック」だった。ありえねー。ヨシオ君も柿崎ぃーとかいっちゃってノリノリだし。
くっそー。でも、しょーがねー。核がどこぞに落ちるよりはよっぽどマシだぁ。
えーとつづきは……と。
「君はまだ、歌がうたえるじゃないか」
春日が待機する。ホログラムに映し出された幼い春日は、両腕を後ろにまわしている。つま先をこつこつと叩いてリズムを取っている。そして口づさんでいる。
――ワン、ツー、スリィー、フォー。ワン、ツー、スリィー、フォー。
「あっワンツー」
イントロが掛かった、超時空要塞マクロスの曲。リン・ミンメイとこ素直春日が歌う「愛をおぼえていますか」。
春日が身体いっぱい使って腕を振り上げた。全身でリズムに乗った。左右に身体を振っている。
ここでヨシオ君の音声が入った。カラオケ状態のままAメロに突入! 春日が片手を前に押し出し、ニコリと笑う! AメロBメロに乗ってヨシオ君の解説が炸裂する!
「超時空要塞マクロス劇場版。ストーリィーは割愛。最終局面!
宇宙軍戦艦三十、ゼントラーディ軍戦艦七十、両軍艦載機合わせて千二百。敵「素直財閥科学研究所ヘリコプター」に向かって突入!
各戦艦は敵索レーダーを搭載、ヘリの弱点を分析して艦載機に通信。よって艦載機は回旋する二枚の羽根に対してミサイルを集中放火。撃破を狙う」
的確な解説を披露するヨシオ君。よくわかる内容。このくすぐる展開、春日のセンスに脱帽です。
解説が終了とともに、サビに突入。
あふれるほほえみ。真剣な眼差し。素敵な春日。マイクを口元にそっとそえて熱唱する!
おぼえていますか? 目と目が合ったとき。
おぼえていますか? 手と手がふれあったとき。
それははじめての、愛の旅立ちでした。
I Love song
もぅひとりぼっちじゃない、あなたがいるから。
「キタキタキタ! きたぁー」
ここで春日の映像が反転。ホログラムで擬似化された巨大スクリーンがうちっかわに反り返り、春日フェイスのアップに替わる。真面目な面持ちで、切なく歌う狂おしいほどの春日のメロディ。
そのスクリーンの前方に数千の艦載機が一気にミサイルを撃ち込んだ!
一斉にミサイルを発射。各艦載機から一閃のミサイル。それが分離して六発のミサイルが火を噴く、さらに分離して八発のミサイル。一機のミサイルから6*8=48発。全艦載機1200*48=57600発。計五万七千六百発の弾丸が大気を刻むように宙を舞った。
360度――全方向から、ヘリめがけて火花が散った。
一瞬――空がオレンジ染まった。刹那、ヘリを取り囲むように灰色の煙幕が空を覆いつくす。はじける快音。濃度が薄れた煙幕の下部から、ヘリは崩れ落ちるように顔を出した。
二枚の羽根は、くの字にへしゃげている。装甲は剥がれ、骨組みがむきだしになっている。
雄叫びをあげるように黒々とした煙硝をまきあげるヘリは落下。
ある一機の艦載機は――最期を見逃さなかった。
もぅひとりぼっちじゃない、あなたがいるから。
はぁ……ん。はぁ……ん。
甘く切ないヴォイスで歌いきった春日は、息を切らせて肩が上下にゆれていた。
その凹に反り返った巨大スクリーンの中央に――人型に変形した艦載機が!
太陽に照らされて、シルバーの装甲が鈍く輝いた。そして人型から飛行タイプの戦闘機に変形。ジェット噴射の朱色の火が噴射口から盛りあがった。大気の壁を突き破り、高速で敵素直財閥科学研究所ヘリに向かって突進した。
墜落するヘリの上部に停止し、上空からヘリを見下ろす。
艦載機の各発射口がぬるりと開き、全弾発射! ごりぃ、とへしゃげた羽根の付け根が……へし折れた。そしてもげた。
無機質に淡々とヘリは自由落下。直後、爆音が轟いた。
「スカルワンよりデルタワンへ、任務完了! これより帰還します」
金田バイクの液晶に表示された台詞を、俺は感無量で読み上げた。感情を込めた。
あぁ……春日。俺、じぃーんとキたぜ!
「こちらデルタワン、了解……」
切なく響く、ヨシオ君のささやきだった。
――あたりまえのラブソング。