メラミ、ベギラマと、シャレにならない、笑えないジョークを春日にとばされ憔悴しきった俺は、黒服に「とりあえず帰るよ」といいのこして退散することにした。
春日に放課後化学室へ来いといわれていたが、その気にもなれずとっとと家路に着くことにする。
「これ以上春日に関わると、ろくなことがない……でも、めちゃめちゃ好みなんだよなぁ」
性格に難のある春日とはお近づきにはなりたくはなかった。が、しかし、あのバディといいフェイスといいヴォイスといい申しぶんない。
――まあるっこいフェイスにして溺愛しそうなほどの下膨れの頬。中学生にしかみえない春日の醸しだす雰囲気。
胸は小ぶり。おなかがぷっくり出ているところなどはイカっぱらさながらで、身長はハッキリとはわからないが俺の胸下あたりに収まっている。その風貌にも関わらず態度がデカい。
しかも、潜在的に興奮さめやまぬ擽られる声色。と、いわば声帯の波形を再形成したような――かわいらしいアニメティックな声を春日は発していた。
俺の性癖を抉った春日を我を忘れてかっさらって愛《め》でつづけたいほどだった。しかし相手が悪かった。
黒服がいうには、素直財閥会長の孫娘で素直市を牛耳る地主みたいなものだった。知事に長男を据え、市長は次男、さらに素直市をホームグラウンドにする一流と呼ばれる企業グループの代表が三男らしい。
まるで愛知県の豊田市さながらの、素直市になっている。だれも素直財閥には手だしができない状態だった。
トドメとばかりに春日は超科学専攻のマッドサイエンティスト。マッド業界では一位二位をあらそう実力を誇るという。いや独占天下人だ。
正直、告白した相手が悪かったのだろうか……。
転校初日にして平穏な学生生活をエンジョイできる気がしない。この先、いったいどうなってしまうのだろうか? 一抹の不安を感じ、とりあえず家に帰って、寝て、明日考えたい。
まさか学生生活の根底から覆すような地雷――そのような生易しいものではなく、核兵器を起爆スイッチを押すようにな……常にデンジャラスに見舞われるとは夢にもおもわなかった。
ある種の脅迫めいたものだったが、一概に自分に非がなかったともいいきれず、苦い現実を叩きつけられてしまった。
春日にはなんともいえない感情を持ってしまうが、いまはなにも考えられなかった。考えたくはなかった。
そうして俺はトボトボと正午にもならない三時間目を終えて、授業をサボることにした。
☆
自転車置き場へと脚を進める。
鍵のわっかに指を入れて、回しながら自転車置き場に到着すると、鍵が指からすりぬけて飛んでいってしまう光景に出くわした。
早引けしたはずなのに、俺の自転車の後部座席に女座りをして待ち侘びている少女の姿があった。
脚をぶらぶらと上下して、駐輪場のトタン屋根の裏側を見上げる春日だった。
「うう……。やはり神々しいまでの輝きを放ってる。脱出不可能、ですよね」
心臓を揺さぶられるほどの春日のロリっぷりに食い入った。惹かれてしまった。魅了《チャーム》を掛けられた、とおもうほどに春日から目を離せない。身体ほとそらす他にないぐらいだ。
俺に気付いた春日は、こちらに振り向きニヤリとほくそ笑む。
「真一。遅かったじゃないか。では新居に帰ろう」
イキナリの春日の発言に度肝を抜かれた。新居とはなにごとだ、おい。
「春日、新居とはどういうことなんだよ」
「ああ? 真一はなにいっているんだ? 新居とは一緒に生活する新たな家だろう。私たち付き合っているのとちがうのか?」
睨みつけるよな春日の強い眼差しだったが、途端にウルウルと眼が潤ってきていた。大人たちに囲まれて、心細くなった儚い子犬の眼を俺にむける。このまま春日を放置して帰れば、誰かに拉致されたうえに監禁されるのでは? と思わず心配になってくるほどの――この愛くるしさ。
おもわず――
「付き合ってはいるけどさ。さっそく一緒に住むってのは、おかしくないか?」
と付き合いの事実を認めてしまった。春日の、その瞳がいけない! 可愛い過ぎる。むしろ罪!
じくじたる想いが混濁とした。勢いのまま付き合いが成立してしまった件について、後悔の念が押しよせてくる。
そりゃーさぁ確かに春日に告白したよ。しかしながら告白させられた感は否めない。筋を通して撤回を敢行できたのでは? とか切に感じてしまう。が、いまさら――後の祭になってしまった。くそぅ。
自分で「付き合ってはいる」と公言してしまったのだ。なにを垂れようが頭《こうべ》を垂れようが、春日なら理系の正確さで正当性を通すだろう。春日は理系の人間。白黒以外にグレーという認識は皆無と考えるべきだ。
――まさにハルヒイズム炸裂。
頭皮から汗がじゅわりと滲む。背筋は汗が噴き出す。カッターシャツをぴたりと吸いつけた。
ヘタに地位や権力がある春日と会話するにあたって、よほど言葉を選択せざるおえないと気付かされた。
「彼氏になるということは家族ぐるみの付き合いだ。真一と私は共に新居にて花婿花嫁の修行だ。お前は財閥幹部候補生として私は夫を支える妻として、だ」
真正面、真っ向勝負の春日は屈託のない笑みを浮かべ俺にすりよった。
まるで大木が寄り掛かっているように俺の腰に手をまわし抱きしめる。身長差により上から見下ろす俺は春日のつむじしかみえなかった。体温の暖かさだけが感触として残っていた。
うん。甘酸っぱい匂いがする。べたべたのミルクのような匂い。
俺は……。訳はわかるが、納得がいかない。
あたりまえだ。準備もできていない人間に対して戦地へ赴け、と指令を出しているようなものだ。はいそうですか、といえるはずがない。いってしまいそうなのが、春日の罠だ。
ここは逃げるが勝ち! と春日の頭をやさしく撫でる。
ここからが――勝負の――はじまりだ。
深く深呼吸。くわっと神経を集中させた。
「春日、新居に行くにしても荷物があるからね、一度取りに帰りたいんだ。大まかなものは黒服に取りにいかせればいいけど。うん、大事なものは自分で持っていきたいだろ? そうだろ? 春日」
「うん。それはある。私もレアメタル化合物は自分で持って出たい。大事だもの」
俺は「だろ?」と、はにかむ笑顔を存分に魅《み》せた。石鹸の匂い薫る春日の黒髪にふれる。そっと指を差し込み毛先を遊ばせた。包み込むように春日を抱きよせる。
「そうだよなー。そうそう、俺はいったん家に帰るから後で家の方にいくよ。そのへんの歩いてる人に訊きゃぁ教えてくれるんだろ?」
身長差が加わり腹部に顔がある春日は、もぞもぞと寂しそうに埋める。
線の細い髪質が俺の腕を撫でる。くすぐったくて、変な感じだった。
春日は家に荷物を取りに帰るだけの時間も我慢ままならないご様子。
「誰でも知っている家だからな。そりゃ……」
と春日は、そっと俺から身体を離した。
春日の俺を見上げる面持ちは、木々からこぼれだす光が潤う瞳に反射してキラキラと輝いていた。
不意に打ち込まれる新兵器――春日ウエットeye。
確実に惹かれ虜になっていく。やべえ、腰から砕けそうだ。
身の危険を感じ、この場からいち早く脱出することを決意した。
このままでは新居にて再教育を施されて、自由が失われるのは必至。
「それじゃあ、俺いくわ」
俺は視線を、春日から身体ごと逸らした。
春日は、ぱたぱたといまにもコケそうな走り方で飛んでいった。自転車の鍵を春日は拾う。物憂いしくあんにゅいな表情。俺に向かって鍵を投げた。
「真一……待っているから。ぜったいにきてね」
春日はこぶしを硬くしめ、がっくりと肩を落とした。か細い後姿で自転車置き場を後にした。
トタンの屋根がかすかに振動をした。俺は人影を確認した。木々が、意識しないとわからないようなほど仄かに揺れた。
――たぶん彼だろう、と俺は横切った人影を見逃さなかった。