「真一様、お嬢様には、あまり厳しく当たらないで頂きたいのですが」
「俺の気持ちも汲んでほしいよなぁー黒服」
トッと軽いタッチの音《ね》がした。突然、目の前に黒服があらわれる。やはりトタン屋根に忍んでいたのは黒服だったか。
「わかっています、ですからお願いをしているのです。真一様」
「俺だってな、春日はかわいいさ……。むちゃくちゃ素直な娘だし。しかしねぇ」
俺は、少ししょんぼりとした黒服の胸元を叩いた。からかうように正拳をくりだす。乾いた衝撃音。へともしない黒服は申し訳なさそうにしてして頭を下げた。
「すみません。私はお嬢様の立場でして、お嬢様は娘みたいにおもっております。しかし春日お嬢様の幸せを第一に考えますと、真一様が我慢していただくほか……」
「俺だってただの同級生だったら喜んでくっ付いてるよぉー。でも春日はさぁ……」
「ですから、これを用意いたしました。ワタクシができることは、ここまでなのです」
自分が転校前に住んでいた場所からわざわざもってきたお気に入りの自転車のとなりに、あからさまにおかしな自転車があった。
黒服はその外見から実にメカメカしい自転車を指差す。
「ちょっ、このジオン研究者が開発したようなゴツゴツした自転車はなに?」
「たぶん……今夜は長くなりそうなので、ワタクシの気持ちでございます。これでもって、お逃げ下さい」
黒服の目が血走っている。これはただごとではないのが嫌でもわかった。
この自転車のフォルム……すでに自転車の概念を逸脱している。
どうみても金田のバイク――アキラに出てくる――バイクだった。アキラといっても世代でわかりづらいのかもしれない。俺は黒服に聞いていた、その性能を。
「黒服。今晩にいったいなにがあるかわからないが、この“バッドだねヨシオ君”に出てきた初代のバイクは自転車なのか?」
「はい。性能は、ハンドルについているボタンをてきとうに押していただけると発動いたしますが……自転車といいますか、電動自転車です。ほら」
黒服は電動自転車とおぼしきメカメカしい自転車の後輪を叩く。――ホントだ! ナンバーが無い。
このアメリカンのような、脚を伸ばした体勢で乗る電動自転車には、ペダルがあった。
原付の、屋根付きキャノピーを引き伸ばしたようなフォルム。赤とピンクのツートンカラー。春日カラーか。
アクリル硝子とおもわれる屋根には、デカデカと素直財閥科学研究所と書かれてあった。チャコールグレーの文字。
「おい黒服! この自転車は春日のんじゃねーのか?」
なぜか近くの大木にもたれかかり、煙草の煙を巻き上げる黒服に訊いた。黒服は、ふぅと紫がかった煙を吐き出した。煙草を靴の踵で揉み消す。肺にのっている煙を燻らせながら答えた。
「真一様。心配ご無用。これは、お嬢様がお父様の為ために造られた自転車です」
「え? そんなもの勝手に借りていいの? やばくない?」
「先ほど同期の黒服に連絡をして急遽ご用意いたしました。真一様はそうそうに早引けされるおもいまして」
黒服と、先ほど別れ間際に浮かべた苦笑いがダメだったか。ばればれだったのか。しかし――急遽持ってきたってことは……。
「無許可?」
「そうです真一様。無許可です」
「春日は、そのこと気付いてる?」
「気付いて、いらっしゃいません」
いや、ちょっと待て。さっき春日は俺の自転車に跨って、俺のこと待ってたよな? ってことは……目の前にある、あからさまに怪しい自転車に気付かないはずがない。普通わかるだろ!
「黒服、さっき春日の目の前にあったんだぜ、春日が気付かないわけないじゃん」
黒服は目尻から少しばかり涙を流した。穏やかな空を眺めて、遠い目をしている。
「あのですね真一様。春日お嬢様は真一様しかみえておりません。冗談抜きで真一様が好きで好きで仕方がないんです。目の前にあるお父様に贈った自転車があったとしても、そんなもの見えてはいないのです。真一様の自転車と真一様しか、眼中に無いのです」
何もかも捻じ伏せる豪腕理屈。かなり無茶ではあるが、異様に説得力があった。
春日の一途な性格を考慮するとありえない話しではない。、いや、むしろそうとしか想像できないほど、だ。
「うそだろ……」
それでも驚きを隠せない。心臓がばっくんばっくん。
「過度のマッドサイエンティストですから」
ああ、あのマッドサイエンティスト系清純派お嬢様サトラレール属性なら、ありえる!
うおぉ……。
マジで、この後、一体なにがあるというのだろう。長い夜になりそうだとか、もしかして俺の計画がバレてる?
ツートンカラーの自転車。シャア専用自転車《リゲルグ》を用意していると考えると黒服にはバレていることはわった。春日はどうなんだろうな。
「真一様。とりあえずお逃げください」黒服は慈悲深く、俺の肩をそっと撫でた。
「なぜだ?」
「そのうちわかります。では、真一様――ワタクシお嬢様のところへ帰えらなければならないので」
シュタっと手を振りあげて「失礼!」と黒服の残像が揺れる。
すると地面にはクシャクシャになった紙切れがあった。紙切れの一部に真一様へと書いてある。俺は手をのばして拾った。
それをひろげ、覗き込む。こう書いてあった。
――真一様へ。まず、これを読まれましたら、すぐさま破り捨てて下さい。
機密を洩らしますと、非情に不肖黒服、身の危険が迫りますので。今夜が長くなるといったのは、他でもありません。真一様……。お嬢様の自宅に伺わず逃走なされるのは、春日お嬢様には、十二分に承知でございます。もうばればれってなものです。
時間がございませんから割愛させていただきますが。真一様、頭上にお気をつけください。確実になにかが追いかけてまいります。
黒服より愛を込めて――
とあった。
☆
……OK。黒服、春日、わかったよ。その気持ち。さあて、逃げましょうか。
春日とは、たかだか小一時間の対面だったが概ね性格は把握している、つもりだ。もしくは想像よりも数段、斜め上いくぐらいの特権階級の持ち主だ。
危険過ぎる。俺の身の危険も重々ある。むしろ春日は俺を獲《と》りにくる。
手段を選ばす獲っておいて監禁軟禁。後ででどうとでもするつもりだろう。仮に俺が致命傷になて最悪の事態に直面しても、春日は息を吹き返すまで看病を――科学を駆使するだろう。
嗚呼……。逃げてやるよロリッ娘――俺、ヤってやるよ! 逃げ切って自由を手に入れるんだ! 真一。俺なら出来る、出来るさ!
俺はツートンカラーの金田バイクに跨り、ペダルを思いっきりこいだ。
ハンドルにはわけのわからないボタンが山ほどある。俺はホイルベースが異様に長い自転車。金田バイクを傾けコーナーを駆け抜ける。
三輪の原動付き自転車のように似非ハングオンを繰り広げた。学園から市外までの下り坂、ドーパミンを垂れ流してペダルをこぎまくる。。
しばらくすると頭上から、あまり聞こえたくない春日ヴォイスが響き渡った……。
きやがった、春日がきやがった。
「当学園の生徒諸君! 高等部理事長素直春日だ。
真一のアホが逃げ出すといった暴挙に出たため、市街戦になりそうである。が、心配するな。超科学の前では爆破はつきものだ。
周辺一体が焦土と化すが、むしろ楽しんでほしい。家屋等の金銭的な保証はする。だが生命の保証はない。生きろ! そして避難せよ 以上」
バラバラバラ――と上空より風を切った音が聞こえてくる。
俺は素直財閥科学研究所とかかれた硝子ごしに空を見上げた。
太陽をバックに徐々に巨大化していく春日の姿。逆光にあおられ、黒影があらわれたヘリに乗る春日の姿。
真赤なボディに輝くヘリコプターの着地の足に乗り、出入り口に備え付けられたポールを握る春日が、近づいていた。
風をかっ切る羽根《プロペラ》の音が近づくにつれ、強大な騒音となってきていた。