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レイプ(仮)

どうもpoolです。途轍もなく仕事が忙しいために、なかなか時間が取れず更新が滞っております。ぜんぜん気にもしてない、とは思いますが。来年のエンタ系新人賞の作品の途中経過をアップして、更新を稼ごうなどと企んでーおります。


まー実行するんですが、良ければ感想などくれたらうれしーなーっと。


横書きで読むのは厳しいぐらい文字列が詰まっておりますので、縦書きソフト推奨です。ウチのブログにリンク貼ってますので、そちらからDLしちゃってください。


月一回の更新で、何ヶ月稼げるのでしょうか? 少々、心配です。


レイプ(仮) 1


 乾いた風が吹き荒れる、木の葉が舞い散っていた。玄関ホールの片隅で渦を巻き、木の葉はコンクリートブロックを切りつけている。街灯は細々と道路を照らしている。マンションの玄関にあるインターフォンを前に、私は立っていた。
 震える指を圧し殺し、部屋の番号を押した。一呼吸おいて、呼び出しのボタンを押す。数秒後、ノイズが雑じる質の悪い声が発せられた。ハスキーヴォイス、祐子《ゆうこ》の微睡《まどろ》む声音が耳を打った。
「どちら様で?」祐子が聞く。「わたしー香奈子《かなこ》」私は答える。
 声色がうわずっていなかったのだろうか、胸を打つ鼓動は速度を速めた。
「こんな時間にごめんね、ちょっと近くを通りがかったから」そう言うと、
「いいよ、開けるね」祐子の声のトーンが跳ね上がった。
 オートロックの鍵が解除された。扉を開け、肩から提げている鞄の中身を確認する。蛍光灯に反射して、金属が鈍く輝いた。それが目に入ると、自然と高鳴りが治まっていた。
 鏡面加工されたブロックに埋め込まれたパネル盤、ボタンを押す。最上階から降りてくるエレベーターを待った。午前十一時を回っている。この静寂したホール、嫌でも緊張感が高まる。空洞の中心から上部へ伸びるワイヤー。暴れている滑車は擦れ、扉の隙間から雑音が洩れる。首筋を伝うように耳に入り、触る。
 一生交わることはないと思っていた祐子に会いに来た理由、それは高校時代から付き合いのある友人からの電話だった。
 香奈子さー、あの娘に男、獲られてるよ。――どういうこと。
 高校の頃祐子いたじゃん。――うん。
 その頃って香奈子と別れた男、その後祐子と付き合ってたよね。――うん。
 今回だって祐子に旦那獲られたんじゃない。――嘘、なんで今更。
 知らないけど、高校の友達からそんな話が回って来たのよ、香奈子なにかしたんじゃないのぉ。――ちゃんと覚えてないけど、なにかしたかも……。
 なんかさっ、香奈子んちの近くで祐子に似た人みかけたんだって。――え、ホントに?
 うーん、まっそういうことだから、気になって電話してみたわけ。――わかった、ありがとう。
 なんかあったら電話してね香奈子、よろしくー。――そうする……じゃあね、また今度。
 友人から祐子のことを聞かされた。電話を切った直後、寒気が襲った。鳥肌が全身を這う。卒業間近に最後に会った祐子との、教室での出来事が脳裏をよぎった。胃から込み上げてくるモノがあった、瞬時の吐き気。ごくりと喉を鳴らし、胃の奥く深くに捻じ込んだ。
 高校時代の友人から祐子の情報を掻き集めるため、手当たり次第に電話を掛ける。そして祐子の自宅に向かって駆けていた。途中、電車の中で忘れていた祐子のことを思い出す。
 久し振りに祐子の名前を聞いた、約十年振りだろうか。忘れていた過去が、頭の奥底で徐々に形成していく。絨毯にぶち撒いてしまったロゼをスポンジで吸い出し、搾ってラズヴェリィカラーの記憶を脳に浸していく。ゆったりと記憶が波打っている。
 高校時代、私立に通い、祐子と三年間同じクラスだった。一貫教育がどうのこうので、クラス替えが全くない学園だった。隣の席に祐子が座っていた、仲良くなった。祐子はサバサバとして男っぽく恰好が良い。肌が小麦に焼け、格好良い。私の下膨れた童顔と違い、脂肪に包まれる私と違い、祐子は女であることが勿体無いくらいだった。必然に祐子はモテた。男からは好かれ惚れられる、女からは憧れ慕われる。私も一緒。半年もしない内に親友になった、それ以上に想いを膨らませた時期もあった。
 高校生活の中で、一度、祐子に恋をしたことがある。さも、それが当たり前のように惹かれた。擦り寄る、だけど親友だから猫を被らない告白もしない。ただ恋をして想いを持ち、言葉にせず、つたえつづけた。
 ある時ふと気がついた、親友の関係は祐子との距離が近すぎる、と。近ければ近いほど相手に求めると苦労もせず返ってくる。なにごともなく平然と、それが行なわれ、当たり前の関係が、そこにある。私の中で深く気持ちが昂ぶらず、祐子を、親友以上に想うことが出来なかった。
 あれからだろうか、祐子が、私の別れた男と付き合うようになったのは。急激に祐子に近づいて、祐子を諦めて、祐子との距離を取り始めたあたりから、か。
 現実に引き戻すように、甲高いベルの音《ね》が鳴り響いた。静けさに包まれるホールに異音が響く、目が覚める、ハッとした。エレベーターが地上に到着したのだ。分厚いドアが両脇に圧しやられ、くねるように開かれる。
 気付けば手のひらで鞄の表面を撫でていた、ザラついた合皮の感触。表面から、ぐぐぐと押し込み中のそれの重厚を感じる。物音を立てないようにローヒールをすらせ、足を忍ばせる。ゆっくりとエレベーターへ乗り込んだ。
 祐子の部屋の階数は二十三階。中に入り、壁に背をもたれさせた。ジジジと、低い振動が支配している。中は明るい、嘲笑うかのように煌々とひかりを浴びせる。ダルそうにして重苦しいドアは閉まる。急激に圧迫される、耳鳴りがする。背中に一筋の汗が垂れた、ぞくぞくぞく、身震いを起こす。息苦しい、取り囲まれた壁に圧殺される……胃が上下に痙攣を始める。抜けるような太い息を吐き捨てた。
 緩やかにエレベーターは上昇を始めた。上から引っ張られているのか下から押し上げられているのか、頬が吊り上がった。加速する、ずっしりと重圧が掛かる。無理矢理身体を押え付けられ自由を奪われた時に味わった、あの頭の重みと重なる。机に後頭部を打ってしまったような、一瞬視界が真っ白になりくらくらとする。脳が鉛のように重く、ダラリと頭が垂れ下がる、同じ感覚。足を踏ん張って、蹲るのを耐えた。胃をくちゃくちゃと掻き回されて気持ちが悪い。到着するまで、終始、嗚咽していた。見上げると、階数を表示するランプが二十階をさしていた。息を呑む、ごくりと大げさに喉が鳴った。
 すうっと身体に掛かるあ圧力は消えた。胃液が持ち上がった、鼻から臭いが抜ける。鬱陶しくベルの音が鳴る。ドアが開かれ開放感がひろがった。咳き込み、前のめりになりながら壁に手をついて表へと出た。
 じっとりとした汗が額から滲み出た。灰色をした廊下の壁に身体を預け、腰を這いずるように腰を下ろした。棘のようにでこぼことしたコンクリートの壁は、衣服越しに身体を傷めつける。ひんやりと冷めた廊下はショーツ越しに伝わり、地上から数十メートルある高さを表していた。
 突如――胃が暴れ出す。状態の変化に耐え切れず胃が軋む、胃液は攪拌され逆流。喉を刺激し、鼻にすえた臭いが篭る、込み上げてきた胃液を舐めた、嘔吐して目尻から涙が零れる。この舌の両端の奥に染み込む酸味に、嫌悪感を抱いた。
 同種の嫌悪感を抱いたのは、友人の電話を切った後、旦那と別れた時、祐子と最後に会った教室での出来事。電話を切った瞬間に込み上げてきた吐き気は、強烈に覚えている。旦那との別れは神経を炸裂させ、確りと身に刻まれた。祐子との記憶は曖昧だ、ただあの時全身を貫いた嫌悪感だけは身体のどこかに残っていた。舌の表面全体で味わう胃液は、あの教室の出来事をぶり返す。忘れていた過去を呼び戻す。
 卒業式の前日、祐子を呼び出した。放課後、教室には夕日が差し込めていた。太陽の朱色におおわれて、春の陽気にほのあたたかい教室。やわらかい光は、ドアを開けた祐子の姿を照らしていた。祐子は普段の雰囲気とは違い、少女のように可憐な乙女。普段の祐子は活発で色気はなく、まったくといっていいほど化粧をしない。目の前に現われた祐子はパッションオレンジのリップを唇にのせ、うっすらと中間色のファンデーションをのばしていた。くっきりとした輪郭。シャープに切れた眼。髪は刈りあげていて、色素の抜けた髪質は窓からの斜陽に当たり赤く染まっていた。オレンジレッドに輝いた祐子にあてられて、たじろいだ。
 不意にみせられた祐子に、心の芯が折れそうになる、揺らぐ。
 祐子の細い身体になだらかなカーブを想わせる筋肉が違和感なく肉づいている、スカートから流れる露出した脚に脂肪と筋肉の調和が取れた曲線が描かれている。笑顔を魅せる祐子、屈託のない恥じらいもない頬笑《ほほえ》み、健康的な唇を大きく開いていた。
 あの時、あの祐子の頬笑みを感じた時、私はひどく申し訳ないおもい身に詰まされた。祐子は、一体どういった気持ちで教室にきたのだろう。確実なのは、私の気持ちとは正反対だろう、ということ。そうでなければ、あんな笑顔にならないから。――祐子を呼び出した理由は単純だった。
 翳りのある私の表情を祐子は気付いた。だけど、見当違いなことを発した。
「どうしたー香奈子、なんか嫌なことでもあったの? あーあれだ卒業式前だから、普段やっかんでる連中に嫌なこといわれたんだろ? あたしがガツンといってやろうか? 香奈子、大人しいから言いにくいんだろー。いいよ、任しといて」
 首を横に振った、「ちがう、そんなことじゃないの」
「へ?」
 人気ある祐子に最も近い存在だった私。そのとこで卒業式前に文句の一つでもいわれた、と祐子は勘違いをしていた。確かに下級生からは多少の嫌がらせを受けたけれど、問題はそんなことじゃなかった。
「ねえ祐子、卒業式の前に、聞きたかったことがあるの」
 じっと見据えて、祐子を直視した。祐子は一瞥したあと、すうーっと視線を逸らした。
「別れた男とどうして付き合うの? なにもモトカレじゃなくてもいいじゃんさ。だって、祐子、モトカレ以外付き合ったことないじゃん、他は断ってるのに」
「ふーん」
 そう言うと、祐子は苦笑して首を傾げた。その後、パッションオレンジの唇が横に波打った。眉は垂れ、頬はくだけ、大笑いをした。腹を抱えて、ちょちょ切れた涙を人差し指で擦った。
 ドスンと物音を立てて、ぶっきらぼうに机に腰を乗せた。からかうように私を流し見た。
「なーんだ、香奈子の話ってそんなことだったの、ツマンナイな。モトカレと付き合う理由? あるよ。男って振った癖ににさー、調子コいて香奈子のこと後悔とかすんじゃん? 慰めてやってるわけよ。っていう表向きの理由だったりして、アハハ」
 ――表向きの理由……祐子?
 祐子は言い放つとガタンと机を揺らし、脚を下ろした。真摯に表情を顰める。直後、またその表情をくしゃくしゃに崩した。
 祐子がなにかを語っている、でも聞こえない。祐子のパッションオレンジの唇がパクパクと動いている、蠢いている。聞こえない、耳に入ってこない、乾いた声が身体に伝わってこない。祐子の顔がおぼろげに翳んでいく、祐子と共に視界に入る黒板も色褪せてきている。しかし、パッションオレンジの唇が色褪せず近づいてきていた。その唇が発色して向かってくる押寄せてくる。
「嫌!」
 叫んだ。目前にあるセーラーの胸元から、鎖骨がくっきりと現われていた。モノクロームの視界に映る肌を這う血管。見上げれば、祐子の唇の内側がたっぷりと潤んでいた。肉厚の舌が唇からにゅるりと引っ込む。半開きの唇。その唇の、片脇のしわからツバがたれた。
 たれたツバが私のスカートに染みを作った瞬間――全身の血の気が引いたようにこごえて、身をちぢめた。
 ぴちゃぴちゃと音を立てて唇が波打ちつづける、止まらない。祐子が言葉を発しているけれど、消される。無音の中に放り込まれたように耳鳴りがつづき、祐子の乾いた声が掻き消される。
 祐子の唇が停止した。固まった唇は、眩く発光していた。その動きを止めた唇に安堵した直後、祐子の顔が目の前にきた。目が合う。優しい暖かい目、愛でるような居心地が良くなる表情。祐子と視線が絡み、しせんが私を貫いた。くる。祐子がくる。ハッと目を見開くと、唇がおそいかかってきた。
 力を込めて、祐子の身体を押し出した。硬質な感触が手のひらにひろがる。押し出していた腕が途中で止まった……祐子に手首を掴まれた。眉をよせて、噛みつくように祐子を睨みつけた。――祐子は目尻を弛ませて、片目を閉じた。そしてにっこりとわらう。唇がゆっくりと開いた。
「香奈子、いまさらそれはないよ。その気にさせといて、ひでーヤツ。あたしの純情はどうすんだー? ってね。香奈子、あたし、本気だよ」
 いままで祐子の乾いた声は掻き消されていた。しかし、この言葉は耳に入って、理解した。祐子にすすりよっていた気持ちと負い目が、祐子の言葉を認識したのか。
 締めつけて離さなかった祐子の手がとけた、ゆるゆると祐子の人差し指と中指が私の手のひらをすべる。抵抗しない私に気を良くしたのだろうか、指の間に祐子の長い指が差し込まれる。祐子の指がうれしそうにはしゃいでいる。祐子はいたずらっぽく目をつむり目を開けると、さっき、一瞬垣間みせた真摯の顰めた表情になった。
 私が祐子をそうさせたんだ。祐子に恋をして、近づいて、掻きまわした。親友のままのつもりだった私、でも、祐子は違う、そうじゃなかった。
 駄目、祐子のしせんに絡め取られたように身体が硬直をはじめる。祐子の指に力が入り、甲に爪がくいこむ。爪が甲を引き裂くように、祐子のしせんがねっとりと私の顔を舐める。祐子の瞳が私の唇にくぎづけになっている、パッションオレンジが近づく、くちづけをする。身動きが取れない、抗えない、押し付けるように瞼を閉じた。
 ふぅっとカメラが引いたように、私の姿が祐子の姿が、歪んだ。触れあっている祐子と私、他人のドラマをみているようだ。教室の天井から撮っている映像の中心に、重なった祐子とワタシが居た。
 手のひらが重なり合ったまま、祐子はワタシを机の上に押し付けた。硬い木材に手を押し付けたまま、祐子はアタシの首筋に頭を埋めた。祐子の脚がワタシの股に差し込まれ、無理矢理開けられている。首筋から顔をあげた祐子は、丸みを帯びているワタシの身体に頬ずりをして下半身に向かっていく。ワタシは机の上からだらりと頭を垂れ下げていた。鉛のような頭が揺れ、髪が垂れ落ちて床を擦っている。そして祐子の頭が、ワタシのスカートの中へと消えた。股を弄んでいるように上下に蠢いていた。
 ――プツっと、その映像が途切れた。
 左手の甲にふにゃりとした感触、暖かい。視線を向けると、嘔吐した異物がねっとりと汚していた。込み上げた異質な液体が鼻を突いていたことに今更気が付いた、ツンと刺激して鼻腔に異物がこびり付く。
 切り裂くような強風に打たれ、顔面が痺れた。ここは二十三階、棘のようなコンクリートの壁に後頭部を叩きつけた。突き刺さるような強風に呷られて、冷え切った廊下に座り込んでいた事実に対面した。これから祐子に会うのだ。
 喉がヒリヒリと痛い。咳き込むと、受けた左手に血が付着していた。エレベーターからの嗚咽と嘔吐で、喉が切れた。壁に左手をついて立ち上がる。前屈みになると、だらしなくひらいた唇から唾液が伝って垂れ流れる。痰ごと吐き捨てて、左手で拭った。手の甲に血が残っていた、服の裾に擦りつけて拭き取った。突き刺さるように切ない。
 壁から左手を離した拍子にふらついて、右手を外側の手摺りに掛けた。右手の内側にガキンと弾けるような衝撃。右手を掛けたつもりがすり抜け、身体ごと手摺りにぶつかった。途端手摺りに乗り上げ、腹に激痛が走る。頭から転げ落ちそうになるのを耐え、手摺りにしがみついた。
 手摺りを脇で押さえ、溜め息を吐いた。先ほどの金属同士が当たった衝撃音は、絶景の星空へと消えていった。鼻腔の異物に反応した鼻水は、地上が掻き消された闇へと滴り落ちた。
 うな垂れていた頭を上げると、ずっしりと重みある刃物が目に飛び込んだ。右手に握られ、内向きになった包丁。刃の部分が赤褐色の斑模様になった万能包丁。知らず右手で握り締めていた、無意識に右手での動作を避けていた。
 ジッとみつめると、血だらけになったワタシと目が合った。斑の隙間の金属部から垣間見えるワタシ。その瞳の奥に、悲痛な叫びをあげながら頬を小刻みに痙攣させる旦那の姿があった。唇の付け根に皺を寄せた旦那が哀願していた。この包丁で旦那を刺した、たぶん刺した、刺したと思う、唇を横に波打たせ別れるといったんだ。理由は思い出せない、ぽっかりと穴が開いている。旦那の発した言葉にノイズが乗って、思い出しても聞き取れない。
 斑点がひろがる包丁の旦那は、ワタシを掠めて逃げ出した。部屋の中央で蹲るワタシは、背中越しに玄関の閉まる音を聞いた。ワタシは床に斑点を作り、膝と手をつき嗚咽していた。その斑点が溝に沿って流れていくさまを滲む視界で追っていた。
 そして同じように私は込み上げ、ゲフと発した音と共に、胃液を絶景の夜空にぶちまけた。もう出ない、胃液も干からびたようにゲフゲフと空気だけが食道を抜けて、鼻と口に残っている。
 小刻みに震える脚を叩く、手跡の輪郭を現して赤く腫れる。あまり痛みは感じない、感覚が麻痺している。壁に左手を押し付け、足をずって前に進む。脳を刺激するかのように手のひらにチクチクと棘が突き刺さる。右手にある包丁の重みが堪える。鼻水を啜る。
 ようやく――祐子の部屋の、玄関の前の、インターフォンのボタンに、指を当てた。
 押せば鳴る。一度勢いよく息を吸い、そして深く吐く。三度、四度、それを繰り返す。
 胸に右手を重ねる。胸の膨らみに刃があたり、吸い込まれる。斑に紋様を施された包丁の刃に胸がのる、刃が消える。速度が跳ね上がり心臓の鼓動が聞こえる。
 準備はいい? 玄関ホールでの会話で私は解った。私がどうして来たのかを祐子は知っている。十年ほど会っていない人間に対して、平然と、あの会話は出来ないはず。祐子の感情に変化がみられなかった、祐子の中では想定済みだってことだ。予定調和ならば、いつでも対応がきく。祐子は近々私が来ることを分かっていた、何故ならば旦那はここに居るから。現在は祐子の彼氏だ。電話で友人のいっていた通り、祐子は旦那を奪った。学生時代同様、私と別れた彼氏と祐子は付き合う。
 どうして、それもわかっている、私は知っている。ここまでくる途中、祐子の記憶を手繰り寄せて気がついた。もしかしたら既に知っていたかもしれない、記憶の奥底にあったかもしれない。ただ、思い出したくない過去として、心中深くに沈めていただけかも、しれない。
 教室に祐子を呼び寄せて、結果としておこなわれた出来事。はっきりと断言は出来る、祐子は私の股の間に頭を埋めた。その掻き消された記憶の事実。徐々に思い出してきたけれど、全容ではない。まだなにかあった、あの後なにかあった。そうワタシが身体を軋ませて教えてくれる。あのまま、なにもなかったかのように祐子と別れたはずはない、奥底のワタシが叫んでいる。
 行け。ドクン――心臓から一気に血液がおし出された。埋もれた包丁が胸をおし込める。インターフォンのボタンを押す。
「香奈子ぉ? ちょっと待ってね香奈子、いま開けるから。帰っちゃ駄目だよ、ね? 香奈子」
 無言で眼を瞑った。インターフォン越しに、祐子の浮かれた声色がつづく。
「ちょーっと香奈子、ここまでくるのに時間掛かったよね。帰ったかなーとか思っちゃて、心配したんだよー香奈子」
「うん……思ったより高くて、ビックリしたの。脚が竦んじゃって」
「うんうん分かる、香奈子そういうとこあったよね。まあいいや、香奈子ぉ! これから開けますよー」
 そういって、インターフォンからのノイズは消えた。ドアの奥から騒々しい足音が洩れてくる。
 眼を瞑ったまま、私は待った。祐子の記憶を手繰り寄せる。祐子の表情が鮮明に浮かび上がる。頬を和らげた祐子の唇はパッションオレンジに色付いている。祐子の波打つ唇。
 頭が強烈に痛い、後頭部にひり付くような信号が走る。確りと包丁を握り締めた。子宮をきゅうきゅうと締め付けられる、長細い指で内壁を掻き毟られたよう。玄関が開かれる準備をすると、現実から背けたくなる衝動と現実を壊したくなる衝動とが雑ざり合う。また教室の記憶が重なり、祐子のコロコロと変わる表情が脳裏の片隅で繰り返される。
 歪む視界、おぼろげにドア引き伸ばされていく。色彩は灰へ変わり、みえなくなるほどに白み掛かっていく。
 みるからに厚みのある鉄板を挟んだ先に、祐子の声が。隙間から洩れるのではなく、このドア全体から祐子の声が聞こえるようだ。
「お待たせー、香奈子。香奈子上がってくるの遅くてホント良かったー。香奈子に逢えるから、準備するのに、手間取っちゃったよ。じゃあ開けるね、香奈子」
 そして、開かれた。


 ☆


「やっと逢えたね、香奈子、どう? あたし、可愛い?」
 一目、祐子が視界に入ると、持っている万能包丁を握り締めていた。目が合った、視線が繋がった。
 祐子を刺した。
 膝が崩れる祐子。玄関のコンクリートに膝をついた祐子の体重が包丁にのり、その包丁が斜めに傾く。祐子の腕が私の腰へ回り、しがみつく。手に神経が走っていないかのように自由が効かない、包丁を握ったままだ。祐子を、その包丁によって支えているような感覚にとらわれる。腹に祐子の息が掛かる。蹲った祐子の後頭部が目にはいる。
 生暖かい液体が指を撫であげ、ヌメる。ぬらぬらとした液体が、指に纏わり、ねちゃついて、ぴちぴちと弾けた音を奏でる。祐子の血液が手のひら全てを朱に染めている、生ぬるい血液が覆い尽くした。祐子の腹に包丁がズブリと。祐子が呻いている、「香奈子、高校ん時と変わんないね。あの時はカッターだったけど」


 ☆


 案外、祐子を刺した割には驚きもなく、平然と状況を認識していた。
 パニックに陥ったのは一瞬、祐子の唇がパッションオレンジに色付いていたことに気が付いた時。唇が蠢き、言葉を放った瞬間、祐子の身体に包丁を突き立てていた。教室での恐怖感と同等の恐怖が襲った。
 祐子は教室で会った時と同じ化粧、唇にはオレンジの口紅。髪は相変らず色素が抜けた茶掛かった質感、変わっていたのは肩下まで伸びた髪型。まあるいソーの白いブラウス、やわらかいスウェード素材の黒いロングスカート。あの頃と違って、女性の匂いに溢れていた。
 片目を瞑り、額から脂汗を滲ませて、祐子は面持ちをあげた。私に柔《やわ》い視線を送る。
「香奈子、高校ん時と変わんないね。あの時はカッターだったけど」
「どういうこと?」
「やっぱ覚えてない? だよね、次の日、普通に話し掛けてきたから」
「私、なにか、したの」
「したよ、腰にあるの、痕が」
「嘘、覚えてない」
 あの後、教室で祐子に襲われた時、私、祐子を刺したの? 覚えてない。でも、記憶がないだけで可能性はある、私の中に隠された記憶があるから。可笑しい、私の中でなにか色々なものが欠けている。
 現在だってそうだ、祐子を刺したのに平然としていられる。恐怖は感じない、ただ、少なからず感情を抱きながら物事を受け入れている。どうして呼吸の一つも心拍数の一つでも、乱れないんだろう……
 ――あの時と一緒、香奈子って後で忘れるから、だから別に大したことじゃないんだよねー。まあいいけどっ、どうせ次があるから。どうしようか? うーん……
 そうだ。じゃあこうしよう、あの時の続きしよ、ね。後はあたしがなんとかするからさ――
 断片的な記憶の片隅で、祐子の呆れた声が過ぎ去っていった。過去に祐子の放った言葉が、押し込まれている記憶の断片を無造作に組み合わせていく。それら記憶の断片は一体いつなのか、順序は? 手繰り寄せる記憶の確実性が薄れ、曖昧さが色濃く残る。
「ねえ! 祐子。教室で祐子が私を押し倒したよね、それは思い出しているの。その後、私が祐子を刺したの? はっきりしないの」
 吐きつけた息で、祐子の前髪が揺れていた。祐子は眉間を横に顰め、目を細めた。視線が絡み、祐子の目尻が垂れる。
「そうだ、よ、香奈子。ほら、ここ。凄いでしょ香奈子、ばっちりの残ってんの、これ、あたしに残した香奈子の痕ね」
 紅い染みが繊維を侵食しているブラウスを、祐子は捲り上げた。皮膚が引きつって盛り上がった痕が縦にのびていた、それも三箇所、コレがカッターを刺した痕跡。尋常じゃない。ただカッターで引っ掻いたぐらいの傷じゃ、こんなにも酷くはならない。三回、深く刺し込んでいるようにしかみえない、無茶苦茶だ。
「いくらなんでも酷いよこれ……」
「まあね、それよりも、あたしのお腹の方が、大変なことになってるんだけど。……香奈子?」
「う、うん」
 祐子が私の肩に手を掛けて、立ち上がろうとする。強く握り締めていた包丁から手を離そうとすると、祐子はそれを制止した。祐子は、私の手首を、力強く掴む。
 身動きが取れないまま、祐子は身体を預けるようにして抱き寄せる。
「香奈子待って、そのまま」
 掴まれていた手首は祐子の身体に向かって引き寄せられた。さらに深く、包丁がめり込む。柄の部分を握っていた両手は、祐子の身体に当たり、止まった。手のひらから、刃の部分が全て祐子に吸い込まれた感触が伝わる。
「ひゃっ」声をあげた。
 変な話、思わず声をあげていた。
 肩に身体をのせていた祐子は、ゆっくりと身体を持ち上げて、肩を掴んで体勢を維持する。苦悶の表情で唇をひくつかせ、頬を吊り上げる。歯を喰いしばっている。腕を私の顔に近づけて、震える指で頬を撫でた。
 ねっとりとした人肌の血が頬に線を引く、血の跡が生ヌルイ。唇が半開きになり、ただ祐子をみていた。
 眉を細くして、目を見開き、強張らせ、祐子は、祐子なりの満面の笑みを浮かべた。
「これで忘れない。さすがにあたしのこと忘れないよね? 香奈子」
「わからないよ、祐子。全然わからないの」
「落ち着いて香奈子、って、落ち着けったって無理な話だよね、イテテテ……だって刺さってんだもん。落ち着いてるあたしも可笑しいか、まあいいや」
 祐子は身体をくねらせた、殺虫剤を撒かれた蜘蛛ように身体をちぢ込ませる。弓形に背中を反らせ、祐子は咽び返った。パッションオレンジ色した唇の隙間から薄い朱の体液を、たらりと垂れ零れた。
 虚ろになった祐子は、茫然と無機質な表情。祐子は瞼をぎゅっと一文字に閉じ、開いて私を直視した。祐子の口が開く、唇の内側に朱の体液を滲ませていた。近づく、近づいて紅に滲んだパッションオレンジが半開いている。眼前に唇だけになったと思った途端、祐子の唇と交じり合った。
 背の高い祐子は唾液を流し込む、私は咽た。鼻の先にツンとした刺激が走った。口を閉じて抵抗しようとしたその時、祐子の体重が圧し掛かった。祐子は呻いた。
 ドロドロとした酸っぱい液体が喉を犯した。祐子から多量の体液が流し込まれる。痛い、辛い、粘着した液体か固形物が混入した液体が容赦なく叩き込まれる。祐子から顔を背け、異物を吐き出した。直後、粘ついた涎かなにかが首筋に貼り付いた、襟首をすり抜け、背中に体液が入り込んできた。
 見上げ、祐子を睨む。
 ゴボッっと抉じ開けるような硬質な音色を奏で、祐子の頬が膨らんだ、栗鼠かハムスターのように。祐子の両鼻から朱の液体が噴き出す、その噴き出したそれに混入物が雑じっていた、長細い麺のようなものだった。
 そして祐子は吐き出した。真っ赤に染まる大量の胃液が勢いよく飛び出し、祐子との間に注がれる。仄熱い真っ赤な胃液が握っている手の甲に当たり、多量の麺が纏わりつく。その赤い汁を吸い取った麺は千切れ、すり抜けて落ちた。祐子と私、身体中真っ赤に染まった。
 祐子のブラウスは排泄物に塗れ、ほぼ血液のような胃液に塗れ、くちゃくちゃと音が鳴る。黒のスカートはたっぷりと胃液を吸い上げ、赤キャベツのようなパープルカラーに膨らんでいる。スウェードの繊維はべったりとねている。
「祐子、祐子、祐子」
 振った。手首を掴んでいた祐子の手が緩んだ、肩を掴んで揺さぶった。
「祐子、祐子、祐子」叫んで祐子の頬を叩く。付着している胃液でヌルりと滑った。
 脱力した祐子。眼は焦点が合っていない。だらしなく祐子の両腕は下がり、立っていることを維持出来ず、私の胸で支える。祐子をがっちりと抱きかかえて、耳元で何度も叫んだ。
「一体私に、なにがあったの? おしえてよ、祐子。ねえ、祐子ぉ」
 首筋の産毛が波打った、幽かな声音が耳朶を掠めた。祐子の硬い髪が私の頬に張り付いた。空中分解してしまいそうな弱々しい声が、捻り出された。
「多分、途中で、意識がとぶから、いいたいことだけいうね。香奈子のこと、好き」
「うん」
「それだけ? ひでーな。あたしのこと、好き?」
「好きよ」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃないよ。おしえて、記憶が曖昧なの」
「でも、まあ、嘘でもいいや。香奈子、高校卒業してから、今日初めてあたしと逢ったって思ってるんでしょ。それ、違うから。この前、逢ってるのよ、あたしたち。実際には二回、だから今日で三回目。
 高校の時聞いたよね、どうしてモトカレと付き合うのかって。あの時あたしは慰めてるっていったけど、あながち間違ってはなかったんだ、あの頃から可笑しな素振りがあったから。いまほど酷くはないけど、ね。
 香奈子を守ってたんだ。好きだから、ただそれだけ。
 奥の部屋みたら、色々思い出すかも。別にあたしはどうでもいいんだけど、香奈子がずーっと私を覚えてくれてたら、それでいいし。旦那がい」
 支えていた祐子の身体がずっしりと重くなった。
「祐子」
 艶やかな御影の墓石を抱えたように重い。祐子の身体から力《りき》みが消え、支えきれなくなる。祐子の膝が折れ、正座の体勢になり、私の下半身に頭がもたれ、支えられていた。じょじょじょと祐子の股から体液が流れた、アンモニア臭が鼻をつく。胃液、血液、排泄物、祐子、それら雑ざり、床にひろがった。祐子の頭が横に流れ、今度は床に頭がもたれ、くの字になってとまった。そして転げた。
 この瞬間は生きているかもしれない、既に死んでいるのかもしれない。しかし、あのパッションオレンジの唇はもうぴくりとも動かない。このまま祐子は底止《ていし》するだけだ。思いもよらず、脅かされた唇が恋しくなった。
 好き、と嘘をついた。祐子に会うまでは殺意とまではいかなかったけれど、持ち出した包丁がなにをさしているのか。一種の精神安定のためか、わからない。祐子と会話するまで、触れ合うまで、好き嫌い以前の問題だった。そもそも祐子を忘れていたのだから、思い出しても傍事のように感じていた。閉じ込められたワタシが過去をみせただけで、その実感はなかった。
 祐子が私を愛していた気持ちを利用して、嘘をついたのだ。結局、断片的にしかわからなかった。苛立ちが這う、その苛立ちは身勝手な私に向けられたものなのか、わからずしまいだった祐子に対してなのか、知りたくもなかった。
 私の中でなにかが、かわる。どう代わるのか替わるのか、祐子に抱いていた感情や感傷や印象、それらかわりはじめていた。拒否感も違和感もない、自然に祐子が浸っていく。
 「今日で三回目」といった言葉で、いままで持っていた祐子の人間性がさらさらとなくなった。そう、記憶が戻りつつあった。祐子を刺した後、落ち着いている私に語りかけた記憶の中の祐子。忘れるから大したことはない、といった祐子。もしかして祐子に救われているのかもしれない。
 祐子は、仕方がないなー香奈子、と微笑んで記憶のパーツを積み上げた。破片の一つ一つが繋がっていく。
 ぽっかり空いたパーツを埋めていくには、まだ足りない。あと、旦那のパーツが足りない。祐子と旦那を結びつける接点が欠落していた。空洞と化した旦那との記憶が咬み合えば、卒業後祐子と出会った過去があらわれてくる。
 しゃがみ込み、横になっている祐子を仰向けに寝かせた。あの頃と同じように、祐子の前髪を人差し指であげた。活発で健康的な祐子の面持ちが甦った。目は見開いて焦点は全く合っていなかったけれど、教室での祐子だった。この数年間の変化はあったように思えるが中身はなにも変わっていない気がする、私も同様。
「奥の部屋」
 ひとりごちた。そして祐子の言葉をなぞる「色々思い出すかもね」
 祐子の瞼を指で閉じ、立ち上がる。
 玄関から数歩いった突き当たりにドアがある。白いドアに血痕が数箇所浮いていた。ねちゃねちゃと、てきとうに液体が雑ざり合った塩ビの床も、軽く盛り上がっていた。灰色の塩ビシートに、さまざまな色彩が刻まれていた。ぬめっている廊下に足元を掬われないように、ゆっくりとドアに近づいていく。途中、麺を踏み、みちみちと潰れる音色が響いた。
 ドアを開ける。祐子のいっていたように、一つに繋がるのだろうか。開いた先の部屋、室内を見渡して呆然とした。ある紙袋が四つ、それらを目にして絶句した。

  1. 2007/07/15(日) 15:58:13|
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