「海が見えるよ、空」
「そうだな。心が洗われるようだ。」
「ああ……」
オンボロ車の屋根に僕らは居る。ベキベキと音をさせながら、グリーンの屋根に、空と二人で海を見る。
草むらの下り坂を過ぎると、そこには真っ白な砂浜とエメラルドグリーンのとても大きな水溜り。
横に座る空の髪は潮風に流されて、時々指で髪をかきあげる仕草は、とても素敵で綺麗だ。
コレといって着飾らない空は、白のシャツにベージュのカーデガンを上に合わせて、デニムのロングスカート。高校から履いているクリーム色のスニーカーが、少しだけ懐かしい。
高校を出たばかりの僕は、すぐに車を買って、初めて空を乗せてココまで来た。
取り立てて何か特別な事がある訳じゃない。平日の午後に空を乗せようと大学まで迎えにいって、友人に囲まれた空をかっぱらってきた。
細かい事はどうでもいい。ただ空が毎日僕の隣に居ないのが嫌なだけだった。高校生の頃は、毎日休み時間に喋って、放課後は一緒に帰った。ソレがいつまでも続くモノだと思っていた僕は、大学入試に失敗して浪人の身になった。
初めて空の存在の大きさを知って、今日。気付いたら、空が通う大学の正門の前に、車を停めていた。
走り出してすぐ、空が呆れ果てた顔をしながら、座席にもたれ掛かる。でも、ホンの少しだけ、空の眼が優しかった。
僕は無言で車を走らせて目的地も無い、思いのままに進めていたら、目の前に海が現れてきた。
込み上げる、むずがゆい気持ちを断ち切ろうと、車を歩道に寄せて駐停車。『空』っと、名前だけ呼んで、僕は車の屋根によじ登った。
「君ってヤツは」
そう言って、空も屋根に登る。
屋根の上で二人、海を眺めていたら、空が僕に言った。
「強引だな」
僕は潮風に流されて、空の表情を伺う。
「ふふふ。怒ってなんかないさ。君にしては強引だなと、そう思っただけだ」
高校時代から空と一緒に居るから、僕の勇気の無さが露呈して簡単に見透かされる。そんな事は無いよ、と。そう言いたかったけど、長い付き合いだから、強がった事がすぐにばれてしまう。
だから僕は、無言で行動に出した。
そっと空の肩を抱き、声がうわずるのを分かりながら、空に話し掛ける。
「寒くない? 空」
空の肩は、震えていた。
「別に寒くはないが。そうだな、寒い事にしておこう」
「でも……」
『震えているよ』僕がそう言ったら、空は『照れているだけだ、気にするな』と、僕に告げる。
「うん、分かった」
僕は空に返す。そうして二人、海の流れるさまを、ずっと眺めていた。
遠くを見つめると雲が早々と流れ、太陽が見え隠れする。薄暗い周りは僕と空以外、誰も居ない。
「なあ、男。今日はこの後……どうするんだ?」
空は、波が嬉しそうに遊んでいる海を見つめ、僕に聞いた。抱いていた肩が、激しく揺れ動く。
そうだなあ。
「海。――――行こうよ。海」
どうしてか分からなかったけど、むしょうに海に入りたかった。恥かしいから? 分からない。でも、僕は屋根の上で靴と靴下を投げる。
ソレを見た空は、ニヤリとしながら『しょうがないヤツだなあ』と言って、くたびれたスニーカーと紺の靴下を投げた。
僕たちは顔を見合わせて、見つめあう。
「そうだな。行くか?」
空は、僕を置いて勢いよく屋根を蹴って、海に向かって飛び出した。
「待てよー空!」
グリーンの屋根を蹴って、僕も走る。
草むらの下り坂を足早に駆ける。空はもう砂浜に、沢山の足跡をつけていて。僕が砂浜に着く頃には、空は水面に足を浸け流れる雲を眺めていた。
「空」
僕の声に気付いて、空は振り向く。薄暗かった周りは、太陽が雲から飛び出して、束の間の時間を作る。
瞬間的に世界は蒼と光に包まれて、海は僕たちを映し出した。
僕の中に太陽と同じように勇気が飛び出して、束の間の時間が僕を急かして背中を押す。
今しかない。
空がそこに居る。スカートの裾を海に浸けて――水面が太陽に照らされ、光り輝く海の中に空が居る。
「空! 好きだ!」
眼を細め、やわらかい表情の空に、僕は抱きついた。
空があまりにも僕に身を委ねるから、そのまま海へ倒れ込む。
空は水面に浮かび、僕の腕の中で遊ぶ。長い髪は扇のように広がって、キラキラと輝いていた。僕の背中に空の手がふれる。
顔を上げて空は、僕の耳元でそっと囁いた。
「やっと言えたな」
「うん」
力いっぱい空を抱きしめながら、力いっぱい海と戯れながら、あの頃の僕に――さよならをした。
二人してずぶ濡れになって、誰も居ない草むらで笑顔で笑う。太陽がまた、流れる雲に覆い隠されるまで日向ぼっこ。
少しだけ服が乾いた頃に……
僕達は車に戻る。
僕は窓を全開に空けて、『ありがとう海、ありがとう太陽』と叫んで、車を出した。
隣で空は少し呆れたように、アホか。と、そう言って窓辺に肘を突いて、海を眺めていた。