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こちらは、主に素直でクールな女性の小説を置いております。おもいっきし過疎ってます
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猫、心重ねて

 1.
 窓の外から入り込む灯りが、室内に写し出されていた。窓を閉め、ザ――ザ――と降る雨は灯りを散らし反射させる。ワンルームの一室は蛍光灯が消され、パイプベッドから不規則に軋む騒音を放っていた。静寂とした空間の中で、安っぽいギシギシとした音が響いている。――微かな吐息が、その騒音に雑じり込んでいた。雨は降り注ぐ。


 ☆


「にゃにゃ、みゃぁぁああ――あうぅ」
 どうしてこうなってしまったのか、まともに呂律《ろれつ》が回らない。鉄ちゃんは、あれ以来帰ってこない。寂しい想いを慰める為に、自慰行為に勤しむとは如何なものかと……溜め息が止まる事はなかった。
 あの日実家に帰っていった鉄ちゃんを想うと、切ない気持ちが溢れ出す。
「にゃぅん」
 猫なで声が自然と零れた。
 元々私は遺伝子組み換え配合済み人外生物ではなかったのだが、まさかこんな猫になるとは思いも寄らない。しかし、あの雌猫を責める訳にはいかなかった。
 男物の、サイズが合わないパジャマの私はベッドへ寝転がり、横を向いてクの字になって悶えていた。頭部からカチューシャのように肌触り良さ気な猫の耳が生え、掌と足の裏からは肉球が現れていた、尻の辺りから尻尾が生え、猫ではないと言い難いが半猫化している事実は否めない。
 四つの耳により聴覚は敏感になり、感度が爆発的に上がった。全身毛むくじゃらにならなかった事に関しては安堵をするが、実生活を思うと両手を上げて万歳とはいかなかった。
 しかし、そのような明日への活力を見出しているのにも関わらず、ズボンの中で弄っていた手は……想いに反して止まらなかった。
「にゃふぅ」と吐息が漏れる。ショーツの上から筋をなぞる肉球が、するりとショーツの中に差し込まれる。肉球という新たな感触が、快楽へと誘うのだ。
「にょにょにょにょにょ」――むずむずが私に襲い掛かる。気持ち爪を出して襞《ひだ》をなぞり上げる、くいくい、と突き刺さらないように珠が覆われる膜壁を捲る。「う――」空気を揺らしながら、慎重に珠を剥きあげてゆく。
「にゃにゃにゃな――あっあっ」
 爪で傷をつけないように肉球で弄び、柔軟な肉球をぽにぽにと押し付ける。鉄ちぃん、早く帰ってくるにょぅ……切ない吐息が語尾に雑じる。
「あうあうあう」
 ザラついた肉球が、珠に吸い付いて離れない。頭から剥き出した猫耳がへたりと塞がり、辺りの物音を消してゆく。鉄ちゃんの顔を思い浮かべ、襞の筋をぺたぺたと押し潰す。
「にゃにゃにゃぁあ」
 びくびくびくびくびく、と快感が全身を走り、膝を抱え蹲った。「ふにゃぁあん……」まどろみながら、ゆっくりと意識が飛んで逝った。



 2.
 小雨が降っていた。相合傘で二人で歩く。商店街を抜け鉄ちゃんの肩に寄り添い、ああだこうだ会話を交わしながら帰宅途中だった。大学の講義終了後、時間が合えば待ち合わせをして帰宅していた。
 ――鉄ちゃんは私の彼氏になる。一人暮らしの私の部屋にしょっちゅう上がり込み、半同棲清生活を続けていた。取り立てて顔が良いだとか恰好が良いだとか、そういったものではなく、高校からの腐れ縁だった。しかし鉄ちゃんを愛していた、鉄ちゃんの良さは私だけが解ればそれで問題はなかった。大学へ入学してほどすぐ、鉄ちゃんの周囲に女友達が増発した事が……かなり気になっていた。
 小雨は霧雨に変わり傘をすり抜けて、私たちを濡らしていった。霧吹きで吹いたように水分が纏わりついてきた。
 だが鬱陶しくはなかった。この出来事も話題になり、私たちの会話も弾む。二人を取り囲む熱が染み込んだ雨を溶かし、蒸気になりたちあがる。そうして半透明の青いビニール傘は曇り、また冷されて水滴に戻ってゆく。――まるで隣に居る鉄ちゃんのようだった。喧嘩をしては蒸気になり家を出る。心配させるだけさせておいて、熱が冷めればまた水滴になり私の元に戻ってきていた。
 鉄ちゃんは過去の浮気がばれていないと思っている様子だ。しかし、しょっちゅう顔をつき合わせているのだから、気付かないはずがない。
「おい、そこの助平。浮気するなよ」
「何を急に言い出すんだ、アホか」
 そういって、私の頭を手の甲で小突いた。鉄ちゃんが小突く瞬間、躊躇したかのように思えた。現在も浮気をしているのか、と不安に駆られ腕にしがみついた。胸が詰まる、自然と過去の浮気リストを頭に浮かべた。
「穂種だろう、玲だろう、渡辺さん……まだまだいる。もう浮気出来ないように脱ごうか? 鉄ちんは、私の魅力を再認識しなさい」
 すうっと鉄ちゃんの手が伸び、私のスカーフを押さえた。
「お前は本当にやりかねんから、やめとけ。この変人めぇ」
 鉄ちゃんは、からからと大口を開けて笑う。
「変人扱い大いに結構、半ば諦めたよ。まあ、変人と自分で認識するまでに、多少時間は掛かったがね」
 表情を変えず、何事もなかったように振舞った。鉄ちゃんは私の変化に気付いていないはずだ。確証のないまま問い詰めても良かったが、正直本当に浮気をしていた場合を考えると怖くなった。
 あがらない雨は強くもならず、ただ静かに霧のように降り、風に攫われて大気中を泳いでいた。空も同様薄く、靄が掛かったように長細く雲が伸び、太陽の零れ陽が滲んでいた。
 そろそろ我が家に着こうか、という頃、信号待ちしていた私たちの横で、猫が睨み合いをしていた。一匹の黄色の猫が、薄汚れた鼠色の猫に向かって睨みつける。
「鉄ちん、凄い剣幕だな」
「うわぁ、あっちの方の猫に同情するなぁ、俺だったら絶対逃げるわ。身に覚えあるし……」
 鼠色の猫に指を差していた、雄猫のようだ。そうすると、黄色の猫は雌だろうか。ぎゅっと、しがみついていた鉄ちゃんの腕に力を入れる。
「じゃあ、あっちの鼠色の猫が浮気したんだ。粛清されても文句はないな」
 鉄ちゃんは私を一瞥し、肩をすくめた。
「みゃああ――――」鉄ちゃん猫の奇声が聞こえた。
 雌猫の圧力に耐えかねて、鉄ちゃん猫は踵を返した。信号はまだ赤だ、躊躇いもなく車道へ飛び出した。
「危ない!」思わず叫んでいた。「ああああ……」鉄ちゃん猫は車両をすり抜け車道を渡る。
 ――反射的に雌猫も追いかける。情報が眼に入ってから脳が認識するまでのタイムラグ、雌猫はコンマ数秒出遅れた。駆け出す雌猫、鉄ちゃん猫はどうにか駆け抜ける車両をかわしきって、向こう岸の歩道まで辿り着いた。雌猫はどうなったのか?
「鉄ちん、猫が!」
 更に鉄ちゃんの腕を締め付ける。掌を伸ばして、互いの指と指を絡め合い握り締めた。あの雌猫の危険が増さり、指に固く力が入る。掌から汗が滲み熱が入る。「危な――」
「駄目だ、死ぬぞ!」
 鉄ちゃんの叫ぶ声が、一面に響き渡った。――一瞬の出来事だった。
「鉄ちん……」
 クラクションの情けない音が、単調なテンポで鳴り響いた。“ぷわぁぷわぁぷわぁ――”木霊する旋律の中で、雌猫はアスファルトに血痕を残して横たわっていた。軽トラにぶつかった衝撃によって吹き飛ばされ、鉄ちゃん猫が居る歩道まで届けられ、そうしてぐったりとしていた。「みゃうぅん」と、鉄ちゃん猫は泣き声を張り上げ、雌猫の顔を舐め上げていた。
 信号は青になり、私たちは駆け寄った。黄色いポールに内臓されるスピーカーから、とうりゃんせが流れ出す。安物臭い電子音が、クラクションと共に私の耳を打つ。
 ――やりきれない思い……強い想いが交錯する。
 正直他人とは、猫ではあるが、あの雌猫は他人とは思えなかった。どうしても、私と鉄ちゃんとの関係を想い浮かべてしまう。雌猫の威嚇のような睨みつけは、責め立てているように思えた。浮気をした鉄ちゃんに罵声を浴びせ倒している私の姿と重なった。申し訳なさそうにして逃げ出す鉄ちゃん猫も……同じ姿だった。
 現実に“私”の目の前で“私”が憔悴して横たわる。疲れ果てた面持ちを露にする“私”が、抱かれるようにして“鉄”に舐められていた。
 ――やりきれない。
 今回と言うのも口惜しいが、結果雌猫が死んでしまった、もしかすれば鉄ちゃん猫が轢かれていたかも知れなかった。事実、車両を確認してからではなく、車道に飛び出してから車両に気付いて避けていたのだ。雌猫が一歩も動けずに、目の前でボディにめり込み吹き飛ぶさまを、あまりの出来事に傍観せざるおえない可能性があった。
 愛するものを失うか、私が失われるか、二者択一だった場合……私はどうするのだろうか。
 ――痛い。万力で想いの根源を圧殺される。切なくて狂い死にそうだ。
 私は、再び鉄ちゃんの手を握り締めた、引き千切るほど握り締めていた。鉄ちゃんの指が絡み合って私の甲に爪がめり込む、私の長い爪も鉄ちゃんの甲にめり込んでいた。
「つぅ……」
 引っかき傷がお互いにでき、私は洩らしていた。鉄ちゃんは眉一つ変化せずに、唇を噛んでいた。無言のまま猫たちを凝視し、真剣な面持ちをしていた。
「何も言わず思いっきり握れ、あの鼠猫には悪いが俺が轢かれるべきだった」
 私は何も言えず立ち尽くした。信号は青に変わり、鉄ちゃんに手を強引に引かれた。
「行くぞ」
「ハイ」
 バサバサと開いていた傘が風を切り、私は引っ張られ上半身が前乗りになった。脚が縺れ、つんのめるようにして駆けた。水泡のような霧雨が頬を打ち、徐々に小雨になり雨へと変わる。
 辺りは何事もなかったかのように動き始める。轢き殺した運転手も窓から身体を乗り出し窪んだバンパーを一瞥、「あーあ」と面を顰《しか》めて身体を戻す。何食わぬ顔をして、アイドリングしていた。衝撃を現す窪みは痛々しく、しかし私は悪態を吐くにも嫌味の一つも運転手には言えずに、ただ鉄ちゃん猫が嘆く場所へと向かっていた。私は、そのような悪態を吐くほどの立場ではなかった。
 雨が増して強く降り出した。歩行者の傘が一斉に開く、鉄ちゃんと私はその横断歩道の中をすり抜けた。鉄ちゃんの持つ傘が歩行者の傘に干渉する、水飛沫《しぶき》をあげながら、嘆き続ける鉄ちゃん猫と雌猫の居る場所に辿り着いた。傘を引っ掛けられた歩行者は、汚い物をみるように軽蔑した眼差しを向け、去っていった。
「おい糞猫――」そういって、鉄ちゃんは笑っていた。
 その鉄ちゃん猫へ手を伸ばすと、鉄ちゃんは威嚇された。けたたましい剣幕で「シィシィ――」と鳴き声とも取れない衝撃を放つ。鋭く八重歯を剥き出して、顔の輪郭を歪ます。
 しかしながら鉄ちゃんは、ほほ笑みを崩さず指を近づけた。――が、「痛え」鉄ちゃんの悲痛なる咆哮がうねりをあげた。身も心も猫たちに共感する私たちは、千切られ――そして散らされる想いだった。
 そうして歯形の痕を残した鉄ちゃん猫は逃げ出した、いや駆け出していった。
 雌猫の残骸がある、ピクリとも動かない完全に終了した“私”だ。外傷は少なく、口から血反吐をしてアスファルトに垂れ流れていた。雨がただ雌猫を打ち、血痕を綺麗に流していた。毛並みがしっとりと身体に吸い付いて少し地肌をみせながら、母親生み出た産卵直後のように生々しく、それでいて美しい屍になっていた。
 美しいが胎内は最悪の状態だろう、と唇を噛みしめ、その産まれたての猫を持ち上げた。
「――っ」
 案の定複雑に折れていた。流石に内部はわからないが……変に軟わらかい。私は雌猫を抱きしめていた。訳の分らない体液がべっとりと付着し、ブラウスを汚した。そんな事はどうでも良かった、ただ雌猫の体温を感じたかった。願いは叶わず雨に濡れ汚物に塗れ、雌猫は冷めきった屍骸に変体していた。
「おい、お前何やって」
「え?」
 蒼白した鉄ちゃんが私の胸元へ、視線を釘付けにしていた。更に驚愕した鉄ちゃんは私を抱き寄せた。
「力を抜け……な?」
 一体何を言っているのかこの人は、そう思い鉄ちゃんの視線を辿ると、胸元は猫の体毛を毟り取ったように多量の毛がこびり付き、胃液なのか血液なのか体液なのか、さまざまな液体がブラウス全域に拡がっていた。屍骸を無意識に締め付けていたため、抉れ薄っぺらくなっている。
「気持ちは解る」鉄ちゃんは頭を撫でてくれた。
 無意識に“私の屍”を潰していた。無意識に、悔しさのあまり抱きしめるつもりが……潰した。
「とりあえず、お墓を作ってやろうか」
「そうだよね」
 雨は強く、アスファルトに向かって降り注ぐ。ビニール傘は大粒の雨を吹き飛ばし、耳に付く音色を放っていた。傘に入りきらない肩は塗れ、蒸気をあげる。風に乗った雨は私たちの顔を横殴りにして、気力を消耗させていく。
 そうして我が家に向かって歩み出した。


 ☆


 マンションに着いた私たちは、都市条例のため仕方なく設置したといわんばかりの公園に向かう。コンクリートに囲まれた、申し訳ない程度に細い木が一本植え込まれた公園。景色と同化してもいない、名前だけの箱庭のような公園だ。その面積がワンルームじみた狭い公園の砂地に腰を下ろす。鉄ちゃんは私に傘をあてていた。
 転がる拳程度の石を拾い、穴を掘っていく。水気をたっぷりと含んだ土は柔《やわ》く、簡単に抉れ掠め取れた。飛び散った泥が頬や額、唇に付着するが、雨と暖かい涙が流してくれていた。
「手伝おうか?」
 肩を叩きしゃがみ込み、鉄ちゃんは石を探し始める。
「いい、私一人で掘るから」
 先ほどの猫の飛び出しに気付いた時には、既に遅かったとはいえ、責任を感じずには居られなかった。手の出しようがなかった事は認める、が――いたたまれない、ただの意固地になっていると自嘲した。
「そう思い詰めるなよ」
 鉄ちゃんは寄り添うようにして、しゃがんだまま傘を顎と肩で支える、胸ポケットからCoolMildsを取り出し唇に挟み火を点けていた。傘は視界を軽く遮る。
「あっ、すまん」
 何事かと思うと、傾いた傘の支柱から伸びる針金が頭に乗りかかり、私の頭部で支えていた。
 気が付かないほど、抉れた穴から泥を掻き出していた。
 無言のまま私は猫一体分の穴を堀あげて中へ落とし込む、肉塊がホーローに叩きつけられたような濁る音を立てた。盛り上がっている、掘り起こした泥を掻き集め、のたのたのた――雨が墓穴に浸水する最中、泥で覆い尽くし蓋をした。
 そっと鉄ちゃんの口元が歪み、咥えていた煙草を取り出そうとした。摘み上げた吸いかけの煙草を墓へ持っていく。その行為が少し気になった。私は「鉄ちん、線香代わりだとか言って墓に挿すなよ」と、釘付けしておいた。案の定。差し込むつもりだったらしく、危険回避をしておいて正解だった。
 小奇麗で無機質な公園の一角に、有機的な墓が出来上がった。墓石はスコップ代わりに使った、皿のように凹み鋭い角を持つ、灰と黒が入り混じる拳程度の石だった。
 雨は一向にやむ気配をみせず、ただただ雨雲は地上へ滝のような酸性の水を降らせていた。
「俺、一旦家に帰るわ」
 鉄ちゃんが立ち上がった。
「泊まっていかないのか?」
「ちょっとね……」
 急に畏まり苦笑を浮かべた鉄ちゃんは、私に傘を渡し、足早に実家へと駆けていった。不安に思いながら、一人で自室に帰ることになった。


 ☆


 あの日以来雨は降り続く、鉄ちゃんは実家に帰ったまま、私の家には帰ってこない。電話を掛けても繋がらなかった。大学にも来ていない。二、三日経つが、いまだ鉄ちゃんは現れなかった。――私の身体が異常をきたす。
 あの日以来、夕方になると猫の鳴き声が辺りに響いていた。通りがかると、鉄ちゃん猫が墓に凭《もた》れ掠れた声色で喉を鳴らしていた。いまだ雨はあがる事はなく、強く弱くを繰り返していた。――私の身体が半猫化した。
 鉄ちゃんが姿をみせなくなってから数日後、鉄ちゃん猫も姿をみせなくなった。静かに雨が降り続いていた。――表へ出ることが出来ない。
 変装して、鉄ちゃんの実家へ訪ねてみる事は出来なかった。関係を崩してしまう恐れが、私を押さえつけていた。――自慰行為の自制が効かない、苛立ちが募る。



 3.
 窓に肘を突いて、ひょいっと顔を覗かせて外を眺めていた。空は薄く雲を張り巡らせ、朧の形状を全面に映し出し、オレンジ色をした夕日が黄昏ていた。少々空は明るいが、雨はしとしとと降り注いでいた。
 横座りして、身体を外へ乗り出す格好をして眺めていると、マンションの玄関に人影が入ってきた。フード付きトレーナの帽子で頭部を覆い、トレーナーの腹部に当たるポケットに両手を突っ込む人影だった。このマンションはある程度の人通りがあり、特別気になる格好をしている訳ではなかったのだが、見覚えのある雰囲気を醸し出していたために気になった。
 電話も満足に寄こさない阿呆の鉄ちゃんが、姿を消してから一週間と少しばかり経過した。変装をして買い物に行くのも慣れてきていた。慢性的に何故か罪悪感を覚える自慰行為を繰り返していた、いまだ慣れる事はないが、行為終了後すすり泣く日々が続く。
 電気を消したまま、雨の中夕日を眺め、一人黄昏ていると……不意にインターフォンの呼び出し鈴が鳴った。
「どちら様ですか?」
「俺、鉄」
 既に私は駆け出し、ドアノブを握っていた。勢いに乗っていた私は、その勢いのままドアを開けた。
「うおっ」
 勢いあまってドアを鉄ちゃんにぶつけてしまい、手にはぶつかった衝撃が響く。
「お前なぁ、居んの分るだろう」
「一週間も音沙汰なしで、急に現れる鉄ちんが悪い」
 口を噤み額に手を当てて、鉄ちゃんは「入っていいかな?」と、ドアの縁から顔を覗かせた。
 正直説教の一つも垂れてやろうか、と思っていたが、鉄ちゃんの情けない表情をみると、その罵声の一つや二つを飲み込んでしまった。鉄ちゃんが又帰ってきたと思うと、素直に言葉が出ていた。
「帰りなさい。自分の家に帰ってくるのに、聞く事もないだろう」
「そりゃそうだ。んじゃ、おじゃましまぁす」
 鉄ちゃんが通り過ぎる瞬間、“お邪魔します”の一言で頭に血が登った。そそくさとハイカットのブーツを脱いで中に上がろうとした、その時。
「自分の家だといっとろうが」
 罵声を浴びせ、無防備に背中をみせる鉄ちゃんに向かって蹴りを見舞った。うつ伏せに倒れ込む鉄ちゃんを跨いで「ただいまでしょ鉄ちん、他人行儀な事言うなよ」私は息が上がり、肩を上下させる。
 何だか分らないが、こちらまで情けなくなってきた。鉄ちゃんを想い続け心身ともに果てた私は、蓄積された不条理が噴火したのかも知れない。
「勘弁してくれよ……って」
 振り返り、鉄ちゃんは私の顔に目をやって、怪訝な眼差しを送る。鉄ちゃんは呆けたまま、微動だにせず固まってしまった。嫌な空気が漂い始め、鉄ちゃんが口を開き、漂う空気感を切り開いた。
「頭に何か付いてるぞ」
「はっ」すぐさま頭に手をやった。
 ――猫耳だ。
 いつもならば、現在の鉄ちゃんのようにフードを被って訪問者の対応をするのだが、今回は鉄ちゃんの声を聴いた瞬間、何も考えずに出てしまっていた。どうせばれるのは時間の問題で、順を追って説明するつもりだったが、早速ばれる事になった。
「お前、いつから猫になった?」
 猫耳を確認しても驚きもせず、鉄ちゃんは真剣な眼差しを、なおも送る。
「鉄ちんが居なくなってから、ほどして猫化した」
「そうか」と吐息を零して、鉄ちゃんはフードを捲った。
「鉄ちん――」
 ひょひょこと小刻みに動く、鼠色した毛並みの猫耳が生えていた。すぐにある事を閃いて、鉄ちゃんのジーンズを下げる。すると体と床に挟まれた猫の尻尾が顔を出した。芋虫のように尻尾が暴れていた。
「……と、とりあえず、落ち着こうか」
 私が告げると、鉄ちゃんは「そうだね」とジーンズを戻して立ち上がった。雨に濡れた衣服が気になったため、鉄ちゃんに体を温めるように促した。
「お風呂入りなよ」
「そうするわ」
 無言のまま、リビングにあるパイプベッドへと身体を放り投げた。一度軽く跳ね、浅く身体が沈む。
 脱衣場もないトイレ兼用の浴室から、シャワーの音が聞こえてきた。玄関すぐ傍に備え付けられた浴室兼トイレの前に、鉄ちゃんの衣類が無造作に放り出されていた。それを横目に眺めながら、鉄ちゃんの部屋着を用意しないとなぁ、と考えていた。
 私はベッドからするりと転げ落ちた。


 ☆


 雨のようにザ――ザ――と、鉄ちゃんの身体に水道水を浴びせているシャワーは鳴り終えた。蒸気が渦を巻くように身体中から立ち上《のぼ》らせて、鉄ちゃんは頭を拭きながら浴室から出てきた。下半身に何も纏わず、バスタオルで全身を拭きつつ笑顔をみせる。
「なあ、着替えある?」
「そこに置いてあるよ」と、鉄ちゃんの足元に置いていたパジャマの上下と、トランスを指差した。
「ありがと」
 鉄ちゃんはトランクスを穿き、乾ききっていない濡れた身体のまま、肩にパジャマを掛けた。ベットの上で脚を抱えて座る私の傍に寄り、鉄ちゃんは肩を抱く。
「準備いいね」
「まあね、鉄ちんの帰りを待っていたしね。でも、すぐは駄目」
 すうっと身体を背けた。私は鉄ちゃんのパジャマを準備するついでに、同じくパジャマに着替えておいた。何もないとは、思っていなかったからだ。しかし、なし崩し的に性行為は勘弁願いたかったため、一度距離を置く。かただか数センチだが、幾ら鉄ちゃんを愛していても、これまでの音信不通を性行為で誤魔化されるのは我慢ならなかった。
「お前の猫耳、可愛いよ」頬笑みを魅せつけ、唇を奪いにくる。
「誤魔化すな」心に反して抗えなかったが、微々たる最後抵抗手段――口を噤み進入を防いだ。
 ブラウスの上からしっかりと乳房を弄られる。ブラジャーは着けていなかった、生地の上からでも感じてしまいそうになる。更に鉄ちゃんは、ちょんちょんと噤んだ唇を優しく甘えるように小突いてくる。
 “あまえても無駄”と言おうとして粘り付いた唇を開いた瞬間に、鉄ちゃんの舌が入り込んできた。にゅるにゅる、ぷつぷつと粘着系の、泡が弾ける音が雑じりながら絡み合った。唾液が口内に溢れ出す、鉄ちゃんは転がすように唾液を弄び、私の舌を縦になぞりあげて強引に唾を喉へ捻じ込む。
「ほら、飲んで」
 身体をぐいと引き寄せられ、鉄ちゃんの腕が腰の回りに纏わり突いて、胸と胸が合わさる。力強く締め付けられた私は、呆然として体内から分泌され混ざり合った体液を、喉を鳴らせゴクリと飲み込んだ。
 鉄ちゃんと私は額を付けて見つめ合う、満面の笑みを浮かべた鉄ちゃんを凝視すると何も言えなくなり、逆に私が唇を奪っていた。鉄ちゃんのアホたれに強引に気持ちを高められ、無我夢中で口周りを這わせ貪り尽くす。我を失い強く口を押し付けていたため前歯が当たり、硬い金属音のような高い音色が部屋中を駆け巡っていた。
「鉄ちぃん……卑怯だ」
 鉄ちゃんの身体の上に跨り、ブラウスのボタンを二つ外し、頭と腕を抜いて放り投げた。前かがみになり、重力で下がる乳房の先を鉄ちゃんの胸に擦りつけながら――私は喘いだ。
「うっさい。俺も色々あんの――そういうなって」
 悪戯っぽく鉄ちゃんは笑う。すうっと鉄ちゃんは私を抱きしめ身体を薙ぎ倒し、くるりと反転して鉄ちゃんが上になった。
「こんな誤魔化し方をしていると、将来絶対に上手くいかないぞ。えっちで丸め込んだって、長続きはしない」と先手を打ち、訝しげに睨みつけた。
「じゃあ舐めてくれたら、ちゃんと言うから」
「いつもフェラしているだろう、阿呆か」
 鉄ちゃんは私の首筋に舌を這わせて、乳房の先端に向かって進行する。先端に到着すると全身に電気が走り、鉄ちゃんの肩に腕を回していた。
「さすがに今日は、してくれないかなって」
 左乳首を舌で転がしながら、上目遣いで苦笑する。私は「自覚があるなら説明しろ」と、肉球で鉄ちゃんのつむじの辺りを軽く叩いた。
 だらしなく頭《こうべ》を垂れる鉄ちゃんは、「すみません」と申し訳なさ気にぽりぽりと鼻面を掻く。
 溜め息を一つ吐く私は母性本能が擽《くすぐ》られる形となり、頭をあげて唇に軽くふれフレンチキスをした。普段は適当な性格の癖に、重要な場面では凛々しく、性行為では“甘えたさん”の鉄ちゃんが本領を発揮し、理論も筋道も吹き飛ぶほどに身も心も焦がされ犯されていた。
「どこから説明したらいいのかな」
 ベッド代わりにしていた私の身体から転がり落ちる鉄ちゃんは、隣に寄り添い仰向けになる。私の首下に腕を差し込み、鉄ちゃんは枕代わりにしてくれた、少し息があがる。鉄ちゃんは「とりあえず」と、この状況から把握しきれない、しかし実に鉄ちゃんらしい行動を取る。
 鉄ちゃんは私の手首を強引に掴んで、腰にあるトランクスのゴムを掴ませた。
「脱がせて」
 母性本能が更に加速し膝まで摺《ず》り落とした、そうして触りなれたペニスへとあてがわれる。ペニスの静脈が浮き出しどす黒く異形を放つが、掌の感触は通常通りしっくりきていて、収まりきれない亀頭の先端は軽く塗れていた。ぬめりとした透明な液体を肉球で伸ばし、粘膜と共に撫で回してやると反射的に鉄ちゃんは「にゃぁあ」と喘いだ。
 ――猫。
「鉄ちん、猫」
「猫だ」
 二人して天井を見上げ、鉄ちゃんにあてがわれたペニスをこね繰り回しながら、緩急の隙を突いたようにピタリと時間が停止した。今度は手首を上下にストロークさせられ、爪で皮を引っ掛けないようにしてシゴク。
 私は身体を傾けて、鉄ちゃんの身体に添わした。頭を鉄ちゃんの胸板に載せ、定期的に奏でる鼓動を感じ取っていた。
 鉄ちゃんは思い出したように「そうそう、猫だよ」と自己解決して、猫猫、と反復しながら語り始めた。
「あの日、俺実家に帰っただろ? 俺さぁ、猫のお墓掘ってた時のお前見て、正直びびったんだよね。なんか、中途にお前と付き合えないわって。だってさぁ、何に対しても真剣で本気だし……お前の姿見てたら、下手な事出来ないと感じたよ。冗談抜きでお前の事振ったら殺されるか自殺するか、どっちかしかなさそうだから――四、五日考えてた。それでさぁ他の女に走るにしても、お前の事振る訳にもいかないから自然消滅だよな、とか思ってて……あの時はホント怖かったんだよ。お前の事好きだけど、お前の事受け止める自信ないしさぁ。何にしても、このままって訳にもいかない気がして」
 急激に鉄ちゃんの鼓動が高まった、心拍数が異様にあがる。更に困惑した面持ちで「肉球がやばい、気持いい」と微笑んだ。手首を掴む力が抜け、私の意思でストロークを始める。
「この前朝起きたら猫になってた、しかも鼠色の猫。あれは焦ったねぇ、それでもすぐに……あぁ、あの時の猫の仕業かと、自然に受け入れてたよ。こりゃお前から逃げられないわってね。腹が決まったから知り合いの女の子に電話して、関係を切った」
「それは浮気相手か?」
 鋭く鉄ちゃんを抉る。鉄ちゃんは首だけを横へ向け視線を逸らした。ここまで来ておいて誤魔化す鉄ちゃんに鉄槌を喰らわすべく身体を伸ばし、鉄ちゃんの顎の辺りに頭部を叩き込んだ。
「……女友達」
 貴様、保身か……男などは可愛い生き物で、こういってやると簡単に折れてしまう。私は優しく、そして激しく問い詰める事にした。
「友達だったら縁を切らないだろう、正直に吐け鉄ちん。フェラしてやらないぞ」
「え――気になる女の子から浮気相手まで、全て女友達になりました」
 解れば宜しい。しかし、ここは正念場だ――執拗に追い込みを掛ける。
「私は?」
 鉄ちゃんは遠まわしに、しかし気持ちをストレートに伝えた。
「猫共々、どうぞ宜しくお願いします」
「こちらこそ、おねが――」
 両手首を掴まれた私は、馬乗りになる鉄ちゃんに唇を奪われた。
 唾液で汚れていた唇は少し乾き、お互いの気持ちを確かめるようにフレンチキスを繰り返す。何度もキスを繰り返し、数え切れないほど唇は重なり合う。鉄ちゃんはすっと顔をあげ、もう終わりなのか? と思ったその時に不意を突いて又キスをする。鉄ちゃんは目を瞑り、唇を離すと笑顔を魅せ又目を瞑りキスをする。この繰り返しが続いていた。最初のうちは私も目を瞑っていたが、中盤に差し掛かると眼を見開いて、そのさまを眺めていた。
 ぴりぴりと全身に痙攣が走り始める。息が耳から頬にかけて掛かるたびに、膣が準備を始める。子宮が鉄ちゃんを欲しがり、うち太ももが擦れ合い、もじもじとしてしまう。
 このキスの応酬に満たされて、私は鉄ちゃんの後頭部を抱きしめ、長い長い口づけをした。圧迫された鉄ちゃんの息が切れ、それでも唇を重ね続け、鉄ちゃんの鼻から熱く荒い息が顔中に纏まりついていた。


 ☆


「にゃぁあ――」
「にゃにゃにゃにゃぁあ」
 鳴き声が部屋中に響き渡る。いままでになかったほど、幸せの絶頂を感じ、切ないほどに“泣き声”が木霊した。パイプベッドの軟《やわ》いスプリングが壊れるのではないか、と考えてしまうほどベッドは軋み、四脚は床に引っ掻き傷を残していた。
「お前、声デカ過ぎにゃ」
「私に言うにゃ、猫に言ってくれにゃん」
 信じられないほど声が大きい、半猫化が原因のようだった。鉄ちゃんが私の襞を掻き分け、濡れきった膣にペニスを挿入すると呂律が回らなくなった。半猫化がもたらす効果は、オーガニズムを感じ始めると声帯絡みに猫化が進む、と推測した。
「にゃにゃにゃにゃ」
「鉄ちんも大概五月蠅いにゃうん」
「猫に言え、にゃあ――猫にぃ」
 正常位の体勢で、鉄ちゃんは私を正座している形を取らせる。膝が折り曲がり、太ももと脛を一緒に腕で巻き込みピストンを繰り返す。鉄ちゃんは、だらりと脚をおおぴろげ垂れ下がるのは脚が浮くために、私が辛い体勢だと思っていて、コンパクトにまとめてくれる。
 性行為中の鉄ちゃんは、異様に優しいというのだろうか、やたらと気を使ってくれるため愛情を感じる。
「鉄ちん、もっと……もっとして、にゃんっ」
 鉄ちゃんを感じたいための卑猥な懇願。羞恥心が私を襲い、膣からは愛液が溢れ出し、更に乳首も硬化する。眼が充血し始めた鉄ちゃんは眼球を奥に据え、睨みつけるようにして腰を挿し込み続ける。
「みゅぅぁあ」
 ストロークが短くなり、子宮口にペニスがコツコツ当たる。「みゅみゅみゅみゅぅう」口がだらけきった私は悲鳴をあげ、鉄ちゃんの首に手を回し、乳房の谷間引き寄せる。たぷたぷと乳房は楕円を描いて、鉄ちゃんの両側面を叩きつけていた。
 陰毛同士が密着して、鉄ちゃんは膣内の、繊毛が取り巻く天井を強引に突きまくった。密着する陰毛は、高まりきった身体が反応して捲りあがり、剥けたクリトリスを刺激する。
「みょみょみょっ、うみゅぅ」
 自制出来ない気持ちと身体は、異常反応をきたして狂ったように悲鳴をあげる。雌猫、お前も鉄ちゃん猫を感じているのか、欲しい……
 欲しい――鉄ちゃんが欲しい。
 欲しい――鉄ちゃん猫が欲しい。
「締めるにょ、気持ちいいから、もっと締めるにょ」
 ペニスで掻き回し、鉄ちゃんは吼えた。
「にゃん」
 汗だくの鉄ちゃんは谷間から顔をあげ、額から大量の汗が噴き出し「逝く逝く逝くにょ」と連呼した。ぐぐぐ、と肛門辺りの筋肉を縮め、小陰唇の肉襞をペニスに絡め膣口を固く結ぶ。
「みゃあ――」
 鉄ちゃんの強請《ねだ》るような奇声があがり、乱暴に膣内を突き上げた。私の腋《わき》に手を送り、抱え込むようにして肩を掴んだ。
「にゃう……」
 やわらかな肉球が肩を包み込むが、手加減出来ない鉄ちゃんは剥き出しの爪を鎖骨に喰い込ました。爪が突き刺さったまま鉄ちゃんは、私の身体ごとペニスに向かって引き込み、その動作に合わせて突き上げる。
 天井の繊毛を掻き毟るかの如くペニスが暴れ、神経が焼き切れそうになる。制御しきれない交感神経が猛威を奮い、視界が歪み白くぼやけ――ただ「鉄ちぃん、鉄ちぃん、うみゅう」と、泣きじゃくっていた。
「出すにょ」
「いいにょ」
 霞む視界の中に、鉄ちゃんの眉をしかめ悶える顔が浮かびあがる。大口を開いていた私の唇を覆い隠し、鉄ちゃんの口で塞がった。技術も何もない、本能だけで舌が絡み合い唾液が多量に溜まる。唾液腺からドーパミンが噴出するように――生暖かくねとついた唾液が分泌され、鉄ちゃんの唾と融合して飲み干した。
 鉄ちゃんと私の大量の唾液が喉を過ぎ去り、喉越しを感じた刹那……
 にゃ――
 にゃ――
 同時に、逝った。


 ☆


 そろそろ蛍光灯を点けようか、そう感じ窓の外をまどろみながら眺めてみれば、太陽は街へ深く沈み込み、雲に蔽《おお》われた月が顔を出す。辺りは薄暗くなり始め、雨は濃霧のような状勢を呈していた。鉄ちゃんと私は寄り添い合い、互いに絡み合うように寝そべっていた。
 膣内に射精すると鉄ちゃんは、「ちょっと待ってね」と笑顔を浮かべ指で掻き回し、精子を刮ぎ出していたのに今回は違った。鉄ちゃんは逝くなり私の身体に倒れ込み、ペニスを抜こうとはしなかった。注ぎ込まれる感覚、通常であれば子宮手前――膣道付近に射精するのだが、子宮口にペニスをあてがい直接精子を放出した。この子宮内に“鉄ちゃん”が充填され、満たされる充足感。
 鉄ちゃんとの性行為の、お互いの気持ちが高まりきり稀に注ぎ込んでくれる精子を、子宮内で感じ取れる絶頂時に殺されるなら、私は世界中で一番の幸せものだと断言出来る。鉄ちゃんの愛を感じ、このまま寝てしまい眼が覚めなくても結構。
 ――この先鉄ちゃんと別れるぐらいなら、この場で殺されてしまいたい。
「どうした?」
 鉄ちゃんは、私の髪をぐじゃぐじゃと撫でる。「うんにゃ、何にもない」と首を横に振り、鉄ちゃんの頬にキスをした。
「鉄ちん、諦めはついたのか? 一生傍に居て離れないぞ。アレだ、ひっつき虫だな」
「諦めって何か言葉悪いなぁ、お前に決めたんだよ。そういっても相手しくれるヤツが……だって、猫だしな」
 ひょこひょこと鉄ちゃんの猫耳が動き、笑ったように思えた。
「そりゃそうだ、猫だしね」
「ねー」
 そういって鉄ちゃんは、自分の頭を私の頭へと押し当てる、コツンと軽い音がした。仕返しに、肉球でぺしっと鉄ちゃんの猫耳をはたいてやった。
 鉄ちゃんと二人でじゃれ合っているうち睡魔に襲われ、鉄ちゃんの身体の上に、圧し掛かるような格好で眠りについた。目が覚めるまでの間、人肌に暖められ猫のように丸まって眠る。押し潰された鉄ちゃんの唸り声が、微かに聞こえていた。



 4.
 目が覚めると昼前だった。時計は十一時を指し、長く寝すぎたせいか、空腹のためお腹が鳴る。気が付けばタオルケットがなくなっていて、鉄ちゃんも居なくなっていた。眼が乳化したように、アイボリー色に視界がぼやけていた。昨日鉄ちゃんと戯れて、本気を出しすぎたかも知れない、と全身の気だるさが身体を支配する。
 窓から射し込める陽の光は、ランプのように部屋中を照らし出す。ぼんやりと包まれる部屋を見渡して、徐々に意識が醒めていった。
「あれ、鉄ちんは?」
 とりあえず、洗顔等シャワーを浴びる前に鉄ちゃんを探す。辺りを見渡しても人影一つも確認出来ず、仕方なく先にシャワーを浴びる事にした。コンビニへ何か買いにいっているのだろう、と適当な理由付けをしている自身に、軽く笑いが込みあげてきた。
 ――痛え。
「鉄ちん?」
 急な訪問者を思考して、裸体のため――人に魅せるほど良いものではないが一応の準備をしておこうと――床に転がっていたタオルケットを取るため、ベッドから降りた瞬間。
 ――苦しむような悲鳴がした。
「昨日から、攻撃しすぎ」
 足の裏にやわらかい感触を覚え足を退けてやると、タオルケットの中からひょこりと、鉄ちゃんが顔を覗かせた。
「殺すきか!」の鉄ちゃんの一言に、私は「私のために死んでくれ、そうしたら一生心配しないで済む」と頬の筋肉も緩ませず、真顔でいい放ってやった。
「もう勘弁してください」
 鉄ちゃんはうな垂れた。
「冗談だ、半分は本気だけどね」
 タオルケットになかなかの山を建てた鉄ちゃんの、そのペニスを軽く足で突いてやる。鉄ちゃんは不貞腐れて床を転がり、膨れた面で伏した。
 ――ん? 疑問が脳を貫いた。私はすかさず鉄ちゃんの包まるタオルケットをひっぺ返し、頭と手と足と腰の辺りを凝視する。「ない、ない」私は全てを確認すると、猫の姿は消え去り正常の姿に戻っている事が解った。
「鉄ちん、普通の身体に戻ったぞ」
「ああ、何の事?」
 寝ぼけ眼の鉄ちゃんはそっとしておいて、少々躊躇いながら自身の頭に触れた。ない、ない――私の頭にも猫耳がない。思わず鉄ちゃんの体に向かって飛び込んだ。「元の身体に戻っているんだよ!」私は、現状をよく理解していない鉄ちゃんの首元に腕を巻きつかせ、ぼさぼさの髪を掻きじゃくってやる。
「な? 猫耳消えているだろう」
「……あっ本当だ」
 鉄ちゃんは忙しなく身体中を見渡して安堵、私の身体を触り倒して満足気にする。調子付いた鉄ちゃんは、どさくさに紛れて私の太ももに手を添わし、肉襞をなぞりあげる。「ここも大丈夫だな」そういいながら、肉襞の頂上にあるクリトリスを刺激した。
「元々そこは猫の影響を受けていないぞ、分かっている癖に。鉄ちんは朝から元気だな」
「まあね」
 満面の笑みを浮かる鉄ちゃんと見つめあい長い沈黙、鉄ちゃんが何も言わず目を瞑った。鉄ちゃんの背中を指で縦になぞってやると、静かに唇がふれ合い――私も目を閉じて少し冷たい唇の感触を感じる事にした。
 ぱらぱらと雨の降る音、雨脚を弱めていた。あの日から降り続いていた雨も、徐々に雨あがりを予感させる。


 ☆


「傘もっていこうか?」
「いらない、多分あがると思うから」
 鉄ちゃんは靴紐を結び、ブーツを履いている最中聞いてきた。私は玄関のドアに背中を傾けながら答えた。少々雨模様だったが、理由はあるようでないけれど、雨はあがるような気がしていた。
 これから鉄ちゃんと、近くの食堂へ昼ごはんを食べにいく。
 あの衝動的な性行為の後、二人でお風呂に入り出掛ける準備をした。鉄ちゃんは頭を適当に拭いただけで服を着ようとしたため、無理やり座らせてドライヤーを掛けてやる。早々に準備を終えた鉄ちゃんは、ごろんとベッドで横になっていた。私はカジュアルな格好に着替え、薄くファンデーションを塗り薄いピンクのリップクリームを唇に載せ、足早に準備を済ませた。
 表へ出ると、いまだ雨はやんでいなかったが、空は蒼く雲の合間から陽が淡く射していた。ぱらぱらと降る雨は傘を差すほどでもなく、寧ろ心地よく感じる事が出来た。
 取って付けたような公園の一角にある、お墓へと足を進める。子供が一人も遊ばない公園は、猫専用の霊園墓地のような様相を呈していた。鉄ちゃんの絆を強く結びつけてくれた大事な猫のお墓だから、霊園墓地になる事は、ある意味都市条例に感謝をしたいぐらいだった。
 長くに渡り雨が降り続いていたもので、足場がぬかるんでいた。よろけないように鉄ちゃんの手を取って寄り添い、お墓の前でしゃがんだ。肩から下げていたトートバッグの中からお菓子を取り出して、お供えをして手を合わせる。
「あれ?」
 お墓の隣にも、地面が盛り上がり、お墓らしきものがあった。頂上には同じく、小皿ような拳程度の石が備え付けられていた。
「ああ……それね、俺が作ったお墓」
 不意に予想外な事を伝えられ、一瞬たじろいて混乱した。
「実はさ、迷っている間にも何度か近くまで来てたんだよ。そしたら、あの鼠色の猫がお墓に倒れてたから」
「そうか」私は頷いて、トートバックから飴を二、三個取り出し、鉄ちゃん猫のお墓にお供えをした。鉄ちゃん猫も協力してくれたんだ、と猫たちのお墓へ深々とお辞儀をして祈る。幸せでありますように、と。
「そんな所で煙草吸っていないで、鉄ちんもお辞儀しなさい」
「はいよ」
 鉄ちゃんも煙草を咥えながら、手を合わせた。流石の鉄ちゃんも鉄ちゃん猫に対して、文句を吐き付けてはいないだろうが、おどけて悪態の一つも吐いているかも知れない、と私はくすりと肩を竦めて、鉄ちゃんの尻を叩いた。
「いこうか、鉄ちん」私は鉄ちゃんの腕を取った。
「いや、線香あげないと……」
 咥えていた煙草は、水面に石灰を落とし拡散したように灰が零れ落ちた。ほぼフィルターのみ残る煙草を摘まみ、鉄ちゃんはお墓に挿した。私は猫たちのお墓をよくよく眺めてみると、何本か煙草のフィルターが挿されていたのが分った。
「鉄ちん、ご飯を食べた帰りに、線香買って帰るから」
「煙草じゃ駄目ですか?」
「当たり前だ」
 鉄ちゃんの手を取り、足早に駆ける事にした。引っ張る力が徐々に緩まり、鉄ちゃんは澄ました面持ちで抜き去った。そうして私の腕を引っ張った。近くの食堂まで競争し、先に着いた鉄ちゃんは私に向かって頬笑む。負けた私は鉄ちゃんの胸に飛び込んだ。
 ――太陽は雲から顔を出し、雨のあがりを教えてくれる。涙のように降っていた雨はやみ、服に含んでいた涙が、息があがる身体の熱によって昇華してゆく。軒先から落ちる雫は太陽の光を屈折させ、水たまりや木の葉に浮かぶ雫――全てが光を反射させた。辺り一面はキラキラと輝きに満ち、霞む陽射しはきつく、飽和した大気を照らし出していた。

  1. 2006/09/11(月) 02:11:35|
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